彼が変身する(後編)

「……で、これはどういうことなんだ?」


 鏡に映るその姿を見ながら、静かに、宇佐美真はそうつぶやいた。

 極端に抑揚のない声が、かえってその心の内を表しているかのようである。

 鏡に映っていたのは、確かに宇佐美真本人である。

 少なくとも、その顔立ちは。

 しかしその水色を基調としたパステルカラーでフリルな衣装や、ひらひらのミニスカートとフリル付きロングブーツ、なにより、薄いピンク色をした髪をサイドテールにまとめたのその姿は、真の中性的な顔立ちも相成って、どう見ても完全に少女、しかもいわゆる魔法少女といわれる類のそれにしか見えなかった。


「えー、なんというか、君が可愛すぎるのが良くなかったのだピョン。ほら、だから、そんな怖い顔しないで笑うといいウサ」


 ウサギはいけしゃあしゃあとそんなことを言ってのけたが、次の瞬間には真によって耳を掴まれ、その小さな体が宙に浮く。


「ぼ、ぼ、暴力反対だピョン……」

「変身解除の方法を教えろ、話はそれからだ」


 そう口にする真の言葉にも顔にも、感情らしきものはこもっていない。

 しかしその一方で、その耳を握る力にもなんらためらいがない。

 無表情無感情に今すぐこのウサギを殺せる。そんな雰囲気を放っている。


「えっと、変身を解きたいなーと思いながら、変身のためのアイテムをはずせばいいウサ」


 それを聞いて真はウサギの耳を離し、ゆっくりとベルトをはずした。

 すると一瞬真の身体を光に包んだと思うと、真の周囲の質量が乱れて空気が淀む。

 そして気が付くと、真は変身前の、制服であるブレザー姿になっていた。

 だがその身格好は変身直前のままだったので、ゴミの山に突っ込んだ全身はゴミにまみれており、室内にもかかわらず足下は土足のままである。


「ねっ? 簡単だピョン?」


 だが真はなにも答えなかった。

 不穏な沈黙を保ったまま微動だにせず、口を真一文字に結んでそこに立っている。

 服の汚れも気にすることもなく、土足であるにもかかわらず靴を脱ごうともしない。

 ただじっと、目の前のウサギに視線を落として立っているだけである。


「……と、とりあえず、双方もっと分かり合うためにも、お互い自己紹介が必要だと思うウサ……」


 重圧に耐え切れなかったのはウサギの方だった。

 真と視線を合わせないようにして、ゆっくりとそう提案する。


「まずは、言いだしっぺの方からだ」


 静かな口調のまま真がそうつぶやき、ベッドに腰掛けて靴を脱ぐ。

 その対応に幾分か態度が軟化したのを悟ったのか、ウサギはゆっくりと口を開く。


「じゃあ僭越ながらこちらからいくピョン。僕はルイス・イナバウアー三世。《希望の国》からやってきた、敏腕エージェントだウサ」


 そう言ってウサギ人形ことルイスはかわいらしく跳ねてみせたが、真はなんの反応も示さない。

 ルイスの言葉が途切れると、部屋は再び沈黙に包まれた。


「ほ、ほら、僕はちゃんと自己紹介したんだから、今度は君は名乗る番だピョン」

「宇佐美真、男」


 ルイスの言葉に対して、真はただひとことそう口にした。


「……本当に、本当に男なのかウサ?」


 ルイスはいまだにそのことを信じていないかのように、真の言葉に対して首を傾げるばかりである。


「そもそもの話として、希望の石は本来、少女の願いにしか反応しないはずなんだピョン。なのに真はその石を使って変身して、しかもものすごい、破格といってもいい魔力量と戦闘効力を発揮したウサ。僕らの常識から考えても、まずありえないことだピョン」

「……つまり、この石が俺を女だと誤認したってことか?」

「もしくは、真が自分を男と思い込んでいるだけかもしれないウサね。第一、青春まっただ中の男子なのに部屋に男のポスターが貼ってるとか、どうかしてるピョン」


 ルイスの視線の先には、サムズアップをした、やけにまっすぐな眼を持つ青年のポスターが貼られている。

 確かにそれは、若い男子の部屋には少し似つかわしくないものかもしれない。


「うるさい、ああなりたいってことなんだよ」


 すねたように、照れたように、真はそれだけ言ってそっぽを向いた。

 そのポスターの人物こそ、真が人生の目標としているヒーローだった男なのだ。

 普段はどうとも思わないが、あらためて人にそのことを説明するのは恥ずかしいものである。

 しかし真のそんな態度を、ルイスの方はさらにはやし立てていく。


「ほら、照れてる照れてるウサ。やっぱり真は女の子なんだピョン。早く現実を見つめなおした方がいいウサ」

「黙れこの変態ウサギ。それより、お前の目的はなんなんだ? あの着ぐるみ怪人はいったい何者だ? 俺を変身させてなにがしたいんだ?」


 怒りで堰を切ったのか、今度は真が言葉を並べてルイスにぶつけていく。

 先ほどまでの静けさとは異なり、その口調は感情を剥き出しにした激しいものであった。


「待つピョン待つウサ。そう色々といきなり言われても一気には答えられないピョン。まずは一つずつ、ウサ」


 ルイスがそういいながら手を振り回すのを見て、真も一つ深呼吸をする。

 そして、今度はゆっくりと、あらためて最初の質問を口にした。


「お前は、何者だ?」

「やっぱり、それを説明しないと駄目ピョンね」


 そのぼやきを聞き、当然、真の目つきはさらに鋭くなる。 


「やっぱり説明する気がなかったのか」

「聞くと真も引き返せなくなるウサよ」

「勝手に巻き込んでおいて、よくそんなことが言えたものだな……」

「まあそこはそれ、だピョン。さっきも言ったけど、僕は《希望の国》のエージェントだウサ。希望の石の適正者を導き、この世界を守るために派遣されてきたんだピョン」

「世界を守る、だって?」


 その言葉を耳にして、真の口調にも少し熱が帯び、その瞳にはこれまでの怒りの鋭さとは違う光が宿る。


「そ、そうだウサ。僕らはあくまで、正義のためにこの業務を遂行してるんであって、決して怪しい者じゃないんだピョン」

「まあどう見ても怪しいけどな。それで、あの着ぐるみ野郎が世界の敵ってやつなのか?」


 興奮するルイスを軽く流しながら、真はさらに話を促していく。

 そこにもはや鋭さはない。

 真は今、自分自身の目的のために質問を続けているのだ。


「まったくもってその通りだウサ。飲み込みが早くて助かるピョン。あいつらはボーゼッツ、人々の絶望を集めるために《絶望の国》が送り込んでいる怪物ウサ」

「なるほどわかりやすいな。お前の言葉を信じるとするならば、の話だが」

「ま、真だってあいつの凶悪さを見たはずピョン!!」

「確かに、な……」


 そうつぶやき、真は手を握ったり開いたりしながら、小さく息を吐き出した。

 あの力がなければ、追川はどうなっていただろうか。

 変身前の自分では、なにもできなかったのだ。

 思い出されるのは、勝利よりも、無力さを突きつけられた絶望感。


「それで、あの怪物はこれからも現れるのか?」

「おそらくはウサ……。どうやらこの街は、絶望植民地計画の重要拠点に指定されたピョンよ」


 その後ルイスが語った《希望の国》と《絶望の国》の関係は、実に単純なものだった。

 常に新鮮な絶望を求める《絶望の国》が、人類の絶望を集める拠点を求め、それを阻止したい《希望の国》が対処に追われる。

 その際に《希望の国》サイドは人類に協力者を立てて《絶望の国》に対抗するのだという。


「要するにその表裏一体の異世界が、俺たち人類を勝手に食い物にしてると、そういうことか」

「そう言われると身も蓋もないけど、だいたいそんな感じだウサ」


 ルイスの方も慣れているのか、真のおおざっぱなまとめにも適当な相づちで答えるだけである。

 しかしそうなると、真には次の疑問が浮かんでくる。


「で、なんでその協力者が魔法少女なんだよ」

「そりゃ当然、それが希望の象徴だからピョン」


 なにが疑問なのかという表情のルイスに対し、真は思わず言葉を失った。


「古今東西、もっとも夢と希望、そして絶望に近い存在は真たちみたいな女の子って決まってるウサ。だから僕たちは、強い希望を持つ少女を探し、希望の石に力を貯めてもらいながら戦ってもらっているピョン。自衛も兼ねて魔法少女になるのは当然の帰結だウサ」

「俺は男だがな」


 しかしルイスは真のその言葉を完全に無視して話を進めていく。


「それに、こちらとしても事態をあまり大事にしたくないって事情もあるんだピョン。干渉が過ぎて人類全体の感情に影響を与えてしまったら、それこそ希望も絶望も滅茶苦茶になって目も当てられないウサ。まあこの件については、《絶望の国》サイドもおそらく同意見だと思うピョン」

「絶望のための植民地計画とか考えてるのにか」


 あれほどの怪物を量産できるのなら、人類にとって驚異でしかないだろう。


「あいつらも別に全人類の支配とかは考えていないウサよ。せいぜい街一つを少しずつ絶望で満たしていって、そこで数年くらい絶望を吸い上げられればいいとか思ってるピョン。ご利用は計画的にウサ」

「それはそれでえげつないな……。で、この街が選ばれたってことか」

「そういうことピョン」


 考えが大きいのか小さいのかわからない。

 だが、一つだけ確実にいえることがある。


「なんにしても、放っておいたらこの街は絶望に溢れるってことか」

「まあ、そうなるウサ」


 真はそれを聞くと、脱ぎ捨ててあった靴を持ち、ゆっくりと立ち上がる。


「よし、わかった」

「えっ、なにがわかったピョン?」


 不思議そうに真の顔を見たルイスに対し、真は、いかにも少年らしい屈託のなさと、いかにも男らしい力強さに満ちた笑顔を浮かべて、ただひとことこう言った。


「俺が、この街を救うってことがだよ」


 そこに至るまでに、真の心の天秤は揺れに揺れた。

 なにしろ魔法少女である。

 今も自分の脳裏に白いフリルが、ズボンの加護を失いスースーする脚の感覚がまだ残っている。

 しかしそれは、確実にであった。

 自分の手で怪物を倒し、クラスメイトを救ったのだ。

 ずっと夢見続けて正義のヒーロー。

 いまさら手段など選んでいられない。

 姿が魔法少女であろうとも、自分のやりたいようにやればいいだけだ。

 それを決めた時、真の中から迷いは消えた。

 しかし、その決意を揺るがす出来事が明日早速待ち受けているのだった。

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