二人で一人の魔法少女(中編)

「さあ、宇佐美くん! 今すぐ変身してみせて!」


 真が橋の下に着いた時、耳に飛び込んできた第一声がこれである。

 それだけで真の意識は粉砕され、一瞬で真っ白になった。

 そこにいたのは、今朝の、教室にいたしおらしい追川ひとみではない。

 まさに昨日この河原で会った追川ひとみそのものである。

 学校指定のジャージに身を包んだ追川ひとみは、いかにも勝ち気な表情で、真に対してその言葉を突き付けてきたのだ。


「お、お、追川、お前、いったいなにを言ってるんだ……」


 真は必死に動揺を隠しながら、なんとかそう返すのが精一杯だ。

 もはやヒーロー的もなにもあったものではない。


「あーあ、どうするピョン。どんな状況でも対応できるんじゃなかったウサ?」


 鋭い視線を前のひとみから、嫌味な言葉を横のルイスから受けながら、真は必死に言葉を探す。

 既にバレている可能性が高いとはいえ、なんとかしてこの場面だけでも誤魔化しきらねばきらねばならない。

 脳内はそのことで一杯だ。


「へ、変身? あ、ああそうだ、このマフラーでもう変身済みだ。お前も見てたんだったな、昨日の、龍聖騎士ドラグディンを」


 思いつきだけでそう口にする。

 マフラーで口元を隠し、精一杯強がってみせる。

 だがもちろん、目的に邁進するひとみにそんな言い訳など通用しない。


「あーそういうのはいいから、ほら、早く、昨日みたいにあの魔法少女に変身してよ。そのために早退までしたんだから!」

「そういうの……」

「ぷぷ、真の変身は変身と認められてないみたいウサね」


 立ち尽くす真を冷やかすように横でルイスが笑っている。

 もちろん真はそのウサギを睨みつけるが、ルイスはどこ吹く風のお構いなしである。

 だが、そのウサギの余裕も、次の瞬間には叩き折られることとなる。


「横のウサギもなに他人事みたいに笑っているのよ。さっさと宇佐美くんを変身させなさい!」

「えっ、僕のことが見えてるピョン?」


 今度はルイスが言葉をなくす番だった。


「見えていないつもりだったの? しかものうのうと学校までついてきて。こっちは笑わずにいるのが大変だったんだから」


 ひとみは的確にルイスにも重圧をかけていく。

 だが、ルイスのことさえも見えているという事実は、真にとっても逃げ場を失うに等しいことだ。

 そしてそれはすぐさま形となって現れた。


「もうダメウサ。真、諦めて変身するピョン」

「いやお前、諦め早過ぎるだろ……」


 自分に矛先が向いた途端のこの変わり身に、真も流石に呆れてしまう。


「そうよ、宇佐美くん。観念して変身しちゃいなさい!」

「断る」

「えっ」


 静かに、だが力強く真はそう返答した。


「仮に、もし仮に俺が魔法少女だとしてだ、なんでお前のために変身しないといけないだよ。ヒーローの変身ってのは、そんなに気安いもんじゃないぞ!」


 強い意志を込めて叫ぶ。

 ここまで追い込まれてしまった以上、孤高のヒーローになるしかない。

 そんな覚悟を込めた声だ。


「そっか、真くん、ヒーローだもんね……」


 それを聞いた追川ひとみの返答は静かで、真は、気圧されたように返す言葉を見つけられない。

 もう少し、言葉を選ぶべきだったのではないか。

 そんな感情がよぎる。

 しかし、それは一瞬の気の迷いでしかなかった。


「じゃあ私は、それをサポートするパートナーになるわ!」

「は?」


 一瞬、真の思考が停止する。

 またも頭の中が真っ白になる。

 ひとみの言葉を理解するのに、真はまず、その前に自分がなにを口にしたのかを思い出す。

 ヒーローの変身は気安いものじゃない。

 いつもの主張である。

 おかしなことはない。

 それに対してひとみは「ヒーローだもんね」と返した。

 ヒーローと認められるのは、悪い気分でなかった。

 そこまではいい。

 だがその結果が、サポート役であるパートナー志願である。

 そうだ、ここがおかしいのだ。

 しかし真が悩んでいる間に、事態を進めてしまう人物が別にいた。


「えっ、それは本当ウサか! もちろん、大歓迎だピョン!」

「やったー! 話のわかるウサギさんでよかった!」

「おい、お前ら、なにを勝手に……」


 真という当事者を抜きにして、ひとみとルイスの間で何かしらの取引が成立しようとしている。

 なにか言おうとする真に対し、ルイスが諭すように立ちふさがる。


「今朝も伝えたけど、僕もそうこっちの世界に居られるわけじゃないウサ。そこにこうやってサポート志願者が現れたんだから、まさに渡りに船だピョン」

「泥船でも知らんぞ……。いやそもそも、追川は一般人だろ! 巻き込んでいいのかよ」

「それをいうなら宇佐美くんだって一般人じゃない!」

「俺はヒーローだからいいんだよ」


 理屈にならない理屈である。

 もちろん、そんな理屈はすぐに上書きされる。


「だから、私も宇佐美くんと同じような存在になるって言っているのよ」


 思いがけない強い言葉に、真は少したじろいでしまう。

 なにが、ひとみをそこまで駆り立てるのか。


「いや、危険だぞ、昨日の怪物、覚えてるだろ?」

「それは、宇佐美くんも同じでしょう」

「俺はほら、変身ができるから……」


 まだなんとか隠しているつもりであるのと、あの姿への抵抗もあって、真は消極的にそう答えることしかできない。


「それにもとより、危険は覚悟の上よ」


 煮え切らない真とは対照的に、ひとみは力強くそう言い切った。

 その態度があまりにもまっすぐであったため、真も思わず反論の言葉を失ってしまう。


「まあ、決まりウサね。真も諦めるピョン」


 そんな二人のやりとりさえ無視するかのように、無責任な口調でルイスは勝手に話を進めていく。


「それで、サポートってなにをすればいいの? 宇佐美くんのコーディネート? それとも演出指導? 変身や戦闘での立ち振舞の考案?」

「いやいやいや、なんだよそりゃ。あと、それ、ヒーローに関係ないことばっかりだよな」

「あら、魅せ方は重要よ。ほら、今後の活動のために、いくつか衣装も考えてあるわ。見てみて」


 ひとみが鞄から取り出したのは、少し小さめのスケッチブックである。

 真はそれを手に取り、恐る恐る表紙を開く。

 そこに描かれていたのは、凝りに凝った魔法少女の衣装と、それに身を包んだ明らかに昨日の魔法少女とわかる人物のイラストであった。

 だが、そこに描かれている魔法少女の衣装は昨日のものとは別のものだ。

 ページが捲られる度に、また別の衣装のデザインが現れる。

 合計十五枚ほど。

 昨日の魔法少女目撃後にここまで描いたのだろうか。

 だがよく見れば各衣装のイラストには隅の方に日付があり、その一枚目は、今年の四月初め、入学式翌日から始まっていたのである。

 つまり、あの魔法少女が現れる遥か以前から、スケッチブックにはこれらのイラストが描き連ねられていたということだ。

 では、この魔法少女のモデルは……?


「……なあ、これ、お前が着るわけじゃないんだよな……」


 真実にいきなり触れる勇気は、真にはない。

 たとえそれで英雄でなくなろうとも、ここで勇気を振るうことなど不可能だ。

 だが当然、ひとみは言葉を緩めない。


「もちろんよ。私が着てもしょうがないじゃない」

「似合うと思うが……」


 場の流れを変えるためだけのいい加減な言葉。

 似合うと言ってみたものの、確かに、元気さと可愛らしさ重点の物が多く、静かな雰囲気の美人といったひとみの雰囲気にはあまり合わないようにも思える。

 では、誰が着るのだろうか。

 イラストを見る限り、それは、明らかにある人物が想定されている。

 だがそれが誰なのかは、真の口から言えるはずもない。

 もっとも、それで躊躇するひとみではなかった。


「これを着るのはもちろんあなたよ、宇佐美くん。宇佐美真くん。見て、私はこんなにも、あなたが魔法少女になってくれると信じていたのよ!」


 突きつけられるスケッチブック。

 破滅宣告にも等しい言葉が、ひとみの口から飛び出した。


「追川、お前……」


 この少女が本気以外の何物でもないことは、大量のイラストに溢れたスケッチブックを見ればわかることだ。

 だが、これほどの情念を隠し持ちながら、追川は教室で一切そんな素振りも見せず、無口で真面目で大人しい目立たない少女としてシラを切り通していたのである。

 ゆえに真は、このようなスケッチブックが描かれているにも関わらず、追川ひとみという少女を認識すらしていなかったのだ。


「ああ、やっと言えた……。やっと真くんに伝えられた……。うん、私は、同じクラスになって一目見た時からずっと真くんのことが好きでした。だから、私のために魔法少女になってください!」


 真摯な告白。

 今にも泣き出しそうな感極まった表情で、ひとみは真を見つめてくる。

 その顔は美しい。

 だがその告白を、真はまともに受け止めることができなかった。

 愛の告白にしては、あまりに余計なものが付いている。

 泣きたいのは自分の方だと思わず叫びたくなる。


「いや、お前、私のための魔法少女って……」


 落ち着いて、ようやくその言葉を絞り出す。

 なにしろ『私のための魔法少女』である。

 まずそこからしておかしい。

 もう取り繕ってもいられない。

 小さく息を吸い、決意を腹の奥にため込んで、意志を言葉として吐き出す。


「いいか、俺は、俺の意志で、俺自身のために戦うんだ。そもそも、俺は魔法少女じゃない。正義のヒーローだ」

「いや、真は魔法少女だピョン」


 次の瞬間ルイスの脳天にチョップが飛ぶ。


「……なんにしてもだ。これは俺の戦いだからな、お前には関係ないことだ」


 そう宣告し、真はただ静かにひとみを見つめる。

 ひとみもまた、真の意志を汲み取ったのか、ゆっくりと頷いて口を開いた。


「……わかったわ。そこまで言うなら私もサポート役は諦めて、陰ながら応援することにするわ」

「わかってくれたか……」


 安堵し大きく息をついた真だったが、それも一瞬のことだった。


「ええ、だからまずは、ファン第一号として、宇佐美真くんの大々的な紹介記事を作って売り込むわ」

「は? 紹介、記事……?」


 その意味をすぐさま理解して、真の思考は打ち砕かれ、頭の中はまたまた真っ白となった。


「そう、紹介記事よ。なにしろ、私はあなたに助けられた目撃者第一号なんだから。みんな、私の情報に耳を傾けるに違いないわ」


 その言葉で、ひとみがなにを企んでいるのかがおぼろげに見えてくる。


「県立筒橋高校一年A組、出席番号二番、宇佐美真。彼こそが、颯爽と現れた魔法少女なのであるってね。私を助けてくれた人のことを、みんなにも知ってもらわないと」


 ひとつ言葉が出てくる度に、そこに込められた意味が理解されていき、その度に真の顔が青褪める。


「お、お前、俺の正体をバラすつもりなのか……」

「バラすって、人聞きの悪い言い方しないでよ。私はただ、自分の見たことをそのまま伝えるだけよ。そう、私が昨日ここで見たことをね」


 そう口にしたひとみの顔には、邪悪さが滲み出た笑みが浮かんでいる。

 自分の行為が真になにをもたらすか、完全に理解している顔だ。


「……おい、どうなってるんだよ。まったく認識がズラされてないじゃないか」


 現実を諦めきれず、真は藁にもすがるようにルイスを問い詰める。


「確かにおかしいウサ……。こんなことがありえるわけないピョン」


 だがルイスも頭を悩ませるばかりで、答えなど出ない。

 そんな悩む二人に、ひとみはさらに追い打ちの言葉を投げかける。


「私は別に宇佐美くんの協力者でもないみたいだし、私も、私のしたいことをするだけだから。もし協力者だったら、正体バレたら支障が出るとか考えるかもしれないけどね。あーあ、協力者だったらなぁ」

「くっ……」


 それはまさに脅迫であった。

 宇佐美真という魔法少女の存在は、今まさに正体バレという崖っぷちに立たされているのだ。

 しかも、最初に助けた少女の手によって。


「真、もうあきらめるウサ」


 諭すように、ルイスが真の肩に手を置く。 


「それにずっと言っているけど、僕だって今後サポートできるかどうかは微妙なところなんだピョン。この世界でのサポート役は必要ウサ」

「それは、そうなんだが……」


 もう少し、選ぶ権利はあってもいいと真は思う。

 だが、誰も真の言葉など待ってはいない。


「そんなわけで、ひとみには是非サポートをお願いしたいウサ」

「やったあ! 決まりね。これからよろしくね、宇佐見真くん」


 真が口を挟む隙もないまま、ついに二人の間で合意が締結された。

 こうなってしまった以上、もはやなにをいっても無駄なことは、真にもわかる。

 この状況で真の手の中にあった拒否権はせいぜい『話を聞いてもらう』程度のものでしかなかったのだ。

 こうして強行されれば為す術もない。

 しかし、これは始まりでしか無く、話はまだ終わりはしない。


「それじゃあ、話もまとまったことだし、早速変身してみてよ」


 ひとみは目を輝かせながら手を握ってくる。

 温かく柔らかい手の感触が伝わるが、それとは反対に、真の肝は冷えるばかりである。


「いや、変身は、ちょっと、ここではだな……」


 なにしろ昨日もあの一瞬だけで映像が出回っているのである。

 どこで誰が見ているかわからない。

 今だって、橋の上には多くないにしても人の行き来はある。


「あの怪物もいないでしょう? 多少見られても平気だって」

「平気なわけあるか」


 お気楽なひとみの言葉に真は頭が痛くなりそうだった。


「何度も言っているけど、変身すれば真の正体はわからなくなるウサだから大丈夫だピョン」

「じゃあなんでこいつは俺を認識しているんだよ」


 真がひとみを指さすと、ひとみはにっこりと微笑んでその指を握り、ゆっくりと上へと向きを変えた。


「たぶん、私の想いが天に通じたからじゃないかしら」

「想い……」


 先程のスケッチブックが真の脳裏に蘇る。

 確かに、そこに込められた想いは凄まじいものである。

 しかし、真からすれば実感などほとんどない。

 なにしろ昨日のあの瞬間まで追川ひとみとまともに会話をしたこともなかったのである。

 そのことを何度も自分の中で確認する。

 同じクラスになってからの二ヶ月ちょっとの中で、この少女と交わした会話を思い出す。

 だがどれだけ思い出しても、両手が埋まることもない。

 文字に起こしてみても百文字を越えないだろう。

 おそらく昨日今日だけで、それまでの総会話時間の百倍にも達するのではないだろうか。


「でも案外、ひとみの言う通りかもしれないウサ」


 そんなことを考えているうちに、横から無責任にルイスが割り込んでくる。


「魔法少女の力は想いの力だピョン。真の変身を見たときにそれを願い続けていたひとみもまた、一緒に変身後に飛び越えた可能性はあるウサ」

「……つまり、どういうことだよ」


 尋ねはしたものの、真はその答えを知りたくはない。

 だが、確認せずにはいられない。

 そしてルイスは案の定、真の知りたくなかったことを平然と口にした。


「真の魔法少女の力は、ひとみの意志の力が上乗せされている可能性があるピョン」


 やはりそうなのだ。

 ひとみがサポート役に志願するまでもなく、この魔法少女は二人で一人の力なのである。

 実際のところ真は、あのスケッチブックの最後の絵を見た時点でそれを確信してしまっていた。

 なにしろその絵は、昨日変身した真の衣装そのままだったのだ。

 日付は一週間前だったにも関わらず。


「……いずれにしても、ここでの変身はなしだ。変身するならもっと人目に付かないところじゃないと」

「じゃあ私、宇佐美君の家に行ってみたいな」

「は?」


 その唐突な提案に、真の思考は凍り付き、またまたまた頭の中が真っ白になる。

 確かに、考えてみればもっとも合理的な発想ではある。

 どこが一番安全に変身できるかといえば、プライベート空間である真の部屋だろう。

 だが、女子を自分の部屋に上げるなど、真はこれまで考えたこともなかったのである。

 元々そんなに物が多い方でないとはいえ、いきなり他人に見られていいわけではない。

 どうすべきか。

 なにか、少なくとも今日いきなりひとみを部屋に上げることを防ぐ口実はないか。

 だがそんなことを悩む真の元へ、口実の方からやってきた。

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