オープン・ユア・アイズ!

オープン・ユア・アイズ(前編)

 朝起きると、やはりあのウサギ、ルイスはどこにもいなかった。

 昨日引き継ぎ作業と称してひとみの元に残ってから、そのまま戻ってくるのことはなかったのだ。

 それだけなら枷が外れた開放感もあったかもしれない。

 だが問題は、変身用のバックルも一緒に消えてしまったことだ。

 どれだけ念じても祈っても、昨日までのように出てくることはない。

 つまり宇佐美真は、正義のヒーローに憧れるただの男子高校生に戻ってしまったのである。

 鏡の前で変身ポーズを取る。

 右手を鋭く、肩越しに斜め上へと突き上げる。

 そして祈るような感情を込め、バックルのあるべき場所へと手をかざす。

 だが、特になにも起こらない。

 ピンクの光もなければ、あのフリフリの衣装もない。

 そこには、ポーズを決めた一人の男子高校生が立っているだけである。

 全ては夢だったのだろうか。

 そんな風にも思えてくる。

 なにか、自分が変身して戦ったという証拠がほしい。

 自分の力を実感したい。

 真の中で、そんな感情が渦巻いている。

 突きつけられた現実を拒否するかのように、真は慌てて家を飛び出した。


 だが学校に来たところで、真の希望はまだ出口が見えないままである。

 さらに追い打ちをかけるように、教室に追川ひとみの姿はない。

 登校時間が遅いということも考えられたが、それが真の感情を落ち着けることにはならない。

 しかし、それをぼんやりと待つことも、今の真にはできなかった。


「なあ、昨日の魔法少女の話、なにか他に新しい情報はないか?」


 堪えきれず、クラスメイトたちに話を聞いて回る。

 だが、特に目新しい情報は得られない。

 昨日はめぼしい出来事がなかった上、クラスに転校生が来るらしいという別の話題が熱を帯びているため、既に魔法少女の話題は賞味期限が切れかかっているのだ。

 それはすなわち、昨日の変身やシケルトンとの戦いに関しては目撃者がいなかったということでもある。

 それについての真の心境は、安堵と失意が織り交ざったような複雑な思いだった。

 正体がバレずに済んだという安堵。

 誰も自分を見ていないという失意。

 どちらも、間違いなく真の本心だ。


「宇佐美、お前、そんなにあの魔法少女が気になるのか?」


 動画を見せてくれたクラスメイトである立花にそう言われて、真はなんと答えるべきか悩むばかりである。

 正体を明かすなどもってのほか。

 しかし、情報は必要だ。

 特に今は、少しでも自分があの魔法少女であった証拠が必要なのだ。


「……ああ、気になる。なにか情報があれば、教えてくれると助かる」


 それが真の答だった。


「ははーん、なるほどな……」


 一方の立花は、それを聞くと意味深な、そしてどこかいやらしい下衆さの滲む笑みを向けてくる。


「わかるぜ、お前の気持ち。あの魔法少女可愛かったからな。そりゃお前からすれば憧れもするだろう」

「は?」


 思いがけない言葉に、真はただ唖然と口を開くばかりである。

 なにしろその魔法少女は自分自身なのだ。

 顔を見れば一瞬でわかりそうなものだが、どうやらルイスの言っていた認識をズラす力というのは相当のものらしい。


「みなまで言うなみなまで言うな。よしわかった。俺も写真や情報は集めてやろう」


 ズラされている当人に自覚などあるはずもなく、立花は押しつけがましい笑みを浮かべてそんな言葉を投げてくる。

 真は苦笑いを返すしかないが、相手はそれさえも別の意味に捉えているらしい。

 予鈴が鳴るのを聞いて、立花はサムズアップをしながら席へと戻っていった。


 結局、朝のホームルーム開始の時間になっても、追川ひとみは現れることはなかった。

 もちろん、ルイスがやってくるということもない。

 不安と心配と焦燥感が真の心の中で軋む。

 自分の変身が不安なのか。

 ひとみの事が心配なのか。

 目の前の現実に焦るのか。

 そのどれもが絡みあい、真自身にも自分の感情が整理できないままである。

 そこへ、さらに別の問題がやってきた。


「えー、今日からこのクラスに転校生が来ることになった。入りなさい」


 担任教師のその言葉を受けて教室に入ってきたのは、まるで人形をそのまま幽霊にでもしたかのような、青白くも美しい少年だった。

 ほとんど銀に近い金髪の下に輝く、あどけなさの残る青い瞳。

 血液を感じさせないような白い肌と、その中で僅かな赤みを示す薄い唇。

 それらの調和は不自然なほど完璧で、男子の制服を着ているために男子と認識されてるが、その表情は性別を超えた無垢さの象徴のようですらある。

 当然、教室は彼を見ただけで騒然となる。

 神の降臨を目撃した村があったとすれば、まさにこれに酷似した状況だっただろう。

 それ程に彼と、彼を見る人々の間には、超越的な隔たりが存在していた。


「ブラウ・トリニティです。これからよろしくお願いします」


 流暢な日本語で、その転校生はそう挨拶する。

 そのことがさらに、教室のざわめきを加速させる。

 言葉に出来ない言葉で囁き合う生徒たち。

 それでも、その一挙一動を見逃すまいと、常に視線は固定されている。

 静かな熱狂が教室に満ちる。

 だがそんな中、宇佐美真だけは、心ここにあらずといった表情でその様子をぼんやりと眺めていた。

 真の心の中で、様々な想いが浮かんでは消えていく。

 なにしろこの顔、その造形、この印象である。

 追川ひとみがこいつを見たらどういう反応を示すだろうか。

 俺の代わりにこいつを魔法少女にしようと考えるだろうか。

 そうなった場合、俺の魔法少女の力はどうなるのだろうか。

 そもそも、途中で契約を破棄することは可能なのだろうか。

 それを決めるのは、ルイスとひとみ、どちらなのだろうか。

 そんなことばかりだ。

 だが、不意に冷静さが降りてくると、真は、自分とあの転校生をひとみが比較したらということばかり思案していることに気が付いた。

 そして、自分が負けるであろう想像をしていることに。


(どうでもよかった、はずなんだがな……)


 魔法少女の真相を知った時、真は、追川ひとみに距離を置こうと思ったはずだった。

 なし崩し的にパートナーになってしまったが、真自身はまだ、追川ひとみに対してどういう態度をとるべきなのか決めかねていた。

 少なくとも、これから一緒に頑張っていこうなどと素直に言うつもりはない。

 それをするには、埋めねばならない溝が多すぎる。

 そのことも踏まえて、もっと落ち着いて話をする必要がある。

 そう考えていた。

 だが、その追川ひとみはここにいない。

 ルイスが連れて行ったまま、あちら側から戻って来られないのか。

 それともなにか別の事情があって学校に来られないのか。

 今の真には理由はわからない。

 あるのはただ、不在という事実だけだ。

 その事実が、真の脳内で追川ひとみの幻影を生み出して動かしているのだ。

 そんなことを考えているうちに、転校生の自己紹介も、朝のホームルームも終わってしまっていた。


「このクラスに、魔法少女を見た生徒がいるという話を聞いたんだけど……」


 ぼんやりと窓の外を見ていた真の耳に、そんな話が飛び込んでくる。

 声の主は転校生のブラウ。

 声変わりも迎えていないような澄んだ声で、クラスの生徒たちに尋ねているようだ。


「そいつなら、まだ来てないぞ……」


 真は、思わず横からそう口に出してしまっていた。

 親切心ではない。

 その転校生の態度が、そこはかとなく不審に思えたのだ。

 魔法少女の出現。

 それは極めて珍しい出来事だ。

 興味を持つのは当然だし、気にするほどではないかもしれない。

 だが、転校早々に、まずなによりも先にそのことを尋ねて回っているのが、真の不安を駆り立てるのである。

 その魔法少女が自分自身である以上、どれだけ神経を尖らせても真に安心などはない。


「転校生、もしかしてお前さんも魔法少女に興味津々って感じか?」


 そこへ無神経に立花が割って入ってきて話を広げる。

 転校生は少し戸惑いの表情を見せたが、すぐに笑顔に戻り言葉を続ける。


「あ、うん、ちょうど話を聞いたからね。この町のことをもっと知る上でも、色々調べておこうかなと思って……」


 何気ない返答ではあったが、真はそこにあった違和感を見逃しはしなかった。

 この転校生は、単なるその場の興味などではなく、明確な意図を持って、調のだ。

 彼の本当の目的までは真にもわからない。

 しかし、このまま放置するにはあまりにも危険だというのは、考えるまでもない。

 なにしろその魔法少女は宇佐美真なのである。


「それならそこの宇佐美と仲良くするといいぞ。そいつはヒーロー馬鹿で、それが高じて魔法少女の話題にも人一倍敏感だからな」

「お前なあ……」


 冷やかし半分で立花が勝手に話を進めている。

 その態度自体はあまりいい気分ではなかったが、話の流れとしては真にとっては都合のいい方向となっていた。

 転校生の視線が、あらためて真へと向く。


「えっと、宇佐美……くん?」

「宇佐美真だ。確かにそいつの言うように、俺も魔法少女の情報は集めてはいる」


 視線を合わせることなく、ぶっきらぼうに、どこか突き放した口調でそう自己紹介をする真。

 元来の性格もあったが、その魔法少女の正体が正体だけに、自分から多くを語ってボロを出すことを避けたかったのである。

 しかし転校生は、そんな真の態度など意に介することもなく、屈託のない笑顔を向ける。


「じゃあ、ボクにも魔法少女の話を聞かせてもらってもいいかな?」 

「おう、ほら、これがその魔法少女だ。こいつはもう見たかもしれないけどな」



 真はなにか言おうとしたが、それよりも先に、目の前に手が伸びてきた。

 まるで真とブラウの間を取り持とうとするかのごとく、立花が動画を再生させたスマートフォンを渡してきたのである。

 その薄く小さなディスプレイを、真とブラウは顔を並べて見つめることになる。

 顔が近い。

 その距離が近付けば近付くほど、真の中に違和感が芽生え始める。

 この転校生は、あまりにも、美しすぎるのだ。

 まるで女子のようですらある。

 いや、そういった括りさえも陳腐で、その例えが返ってこの存在を貶めているように思えてしまう。

 目を逸らすように、真も動画に集中する。

 相変わらずの派手な戦闘シーンだ。

 何度見ても真には、そこに映っているのが自分自身であると信じられずにいる。

 それはなにも、魔法少女というネガティヴな印象だけではない。

 美しく、颯爽とした、自らの憧れを体現しているかのような姿。

 そしてそこから繰り出される圧倒的な力。

 全てが、宇佐美真の一つの理想形なのだ。

 ただし、その姿は魔法少女である。

 それを考えてしまうともう画面を見ていられない。

 目をそらし、横目でもう一度ブラウを見る。

 しかしそこで、真はおのれの目を疑った。

 小さなディスプレイを見つめるブラウの表情は、先ほどまでからは想像もつかないような、鋭く真剣なものだった。

 真は、その表情に寒気を覚えた。

 ブラウの青い眼に宿る光は、魔法少女に対する純粋無垢な興味などではない。

 確実に、この魔法少女の正体を探り出そうという、狩人の眼だ。

 感じるのは静かな執念と狂気。

 完全な調和によって構成された顔だからこそ、眼の印象が変わるだけですべてがそれにあわせて塗り変わる。

 だが、そのことに気が付いた生徒は他にいないだろう。

 この転校生はあくまで、穏やかな少年の面しか見せていない。

 真だけが、その『』を発見したのだ。 

 そのことに気付かれることを恐れて、真は慌ててディスプレイへと視線を戻す。

 しかし、脳に焼きついた青く冷たい眼は消えることはない。


「おーい席につけ! 授業を始めるぞ」


 だが、真がもう一度その眼を確認するより前に、すべての事柄は中断された。

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