オープン・ユア・アイズ(中編)

 授業を受けている間も、真の心には様々な不安が渦巻き続けていた。

 未だ現れない追川ひとみの行方。

 おそらく失われたままの変身能力。

 魔法少女の動画を見る、ブラウの青く冷たい眼。

 そのブラウが、魔法少女の正体に気付くかどうか。

 どれも今の真にとって重大な問題となっている。

 それとなく、ブラウの様子をうかがってみる。

 あたりまえだが、普通に授業を受けている。

 あの眼は自分の思い過ごしではないのか。

 浮かんでは消える感情を制御できない。

 もし魔法少女の正体を知りたがっているという推測が正しいとして、ブラウの目的はいったいなんだろうか。

 ただの興味本位ではあの眼はできない。

 その眼、その顔を思い出すだけで、真は自分の背筋が冷えるように錯覚する。

 見たのはほんの一瞬だ。

 だが、はっきりと心に刻まれた。

 あれは狂気だ。

 ただ隠し事があるだけなら、取るに足らない問題かもしれない。

 だがあれは、真の知る限り、もっとも恐怖を感じさせる眼であった。

 これまで相手にしてきたようなそこら辺の街の不良とは格が違う。

 そしてなにより恐ろしいのは、その眼が向けられていた対象は、回りまわって真自身だということである。

 直接に真を見ていたわけではない。

 その眼が見ていたのは画面の向こう側の魔法少女だ。

 今のところ、彼はまだその魔法少女の正体が真であるとは気付いていない可能性は高いように思われた。

 もしあれが宇佐美真であると気が付いていたら、既になにかしらの動きを仕掛けてきているはずだろう。

 そう思わせる執念が、あの眼にはある。

 しかし、今のブラウの態度にはそんな様子は微塵もない。

 真を疑うような素振りもない。

 ルイスの言う認識のズレは、今なお確実に作動し続けているようだ。

 それでも、あの魔法少女が真であり、その魔法少女に向けられていたのがあの『青い眼』である以上、真には安息はない。


「宇佐美くん、ねえ宇佐美くん。もう少し魔法少女のことを教えてくれないかい?」


 そんな真の複雑な感情など知る由もなく、ブラウは休み時間になると、すぐに真の元へと寄ってきた。

 注目を集める麗しき転校生のその態度に、クラス中の視線が真へと集まる。

 が、魔法少女の話題であるとわかると、遠巻きに見ているだけである。


「いや、教えてと言われても、俺だってさっきの動画以外には情報なんてないぞ」


 魔法少女の正体が真自身である以上、それは明らかに嘘ではあるのだが、ある意味では揺るぎない事実でもあった。

 真にしても、自分が魔法少女であること以外の情報はほとんどないままなのである。

 世間で、他の人々が、どこまであの魔法少女を把握し、なにを知っているのか。

 むしろ情報を求めているのは真の方なのだ。


「ああ、うん、それもあるんだけど、もっと根本的な、魔法少女について知りたいんだ。ボクはそのあたりも詳しくはないから……」

「魔法少女と言われてもだな……」


 これも返答に困る質問だ。

 真の人生において、魔法少女という存在が大きなウェイトを占めるようになったのは、ごくごく最近、つい一昨日くらいからである。

 なにを語っていいのか見当も付かない。

 変身ヒーローの女子版、と考えていいのだろうか。

 わからないので、真は逆に質問する。


「……そもそも、お前は魔法少女のなにを知りたいんだ ?」


 それは単純に答えを出しやすくするための質問であったが、同時に、真は、この少年の奥にあるものの正体を知りたくもあったのだ。

 あの狂気の青い眼の先にあるものは、いったいなにか。


「……魔法少女が、少女が変身して魔法を使う、漫画の中の存在というのは、ボクにもわかる。でもなんでそれがこの現実にいるのか。そのことについて、宇佐美くんはどう考えているんだい」

「どうと言われてもだな……」


 むしろそれは真が一番聞きたいことである。

 なぜ自分は魔法少女をやっているのか。

 魔法少女とはなんなのか。

 そもそも、なぜ魔法少女なのか。

 答えはまだ出ないし、真にだってまったくわからない。

 実際には既に昨日ある程度聞いた気もするが、真はあえてそれは無視する。

 そんな風に悩む真に対し、ブラウが急に顔を寄せてくる。

 そして、耳元で、真にだけ聞こえるように囁いた。


「ボクは、あの魔法少女の正体を解き明かすために、この街に来たんだ」


 衝撃的な告白に、真は、目を見開くようにしてブラウを見た。

 そこにあったのは相変わらずの無垢な笑顔。

 だがその中でなによりも雄弁な光を宿す青い瞳。

 そこに、狂気の正体の一端が垣間見えた気がした。


「正体を解き明かす、だって……」


 ただひとこと、それだけが真の口から出た言葉である。

 正体を解き明かすということは、最終的に真があの魔法少女であるということを公表されるということだ。

 考えるだけで恐ろしい。

 だがブラウが本気であることは、その青い眼だけでわかる。


「本当は、あまり大きな声では言えないけどね。でも、宇佐美くんになら打ち明けてもいいと思ったんだ」

「いや、なんでだよ……」


 微笑むブラウに真はそう返すしかない。

 振り返ってみても、真にはなぜ自分がこの転校生に秘密を打ち明けられたのかわからなかった。

 あくまで他人行儀に接してきたはずである。

 好かれる要素など見あたらない。

 やはり正体が既にバレていて、遠回しな罠を仕掛けてきているのだろうか。

 疑心暗鬼が真の中で回り続ける。

 しかし、ブラウが口にしたのは、意外な言葉だった。


「眼、かな」

「眼……」


 その単語に、真の精神は凍り付きそうになる。

 よりにもよって、だ。

 だが、そう告げたときのブラウの瞳は、あの青く冷たい眼ではなく、透き通るほど澄んだものだった。

 憧れを語る少年の、純粋な眼だ。


「宇佐美くんの、魔法少女を見ている時の眼。あの眼の真剣さを見て、ボクは、君を信じていいと確信したんだ……」


 ブラウはゆっくりと言葉を紡ぎ、真を見つめてくる。

 青く美しい瞳が真の視界の正面に入る。

 ブラウはおそらく、今しがた自分が語った『真の眼』を見ているのだ。

 ブラウもまた、真を見て、その眼からなにかを感じ取ったのだ。

 だが、それによって動かされた感情は、まるで正反対のようであった。

 真が見たブラウの眼と、ブラウが見た真の眼。

 狂気と、純真。

 その差が真には恐ろしいし、自分の眼がそう見られていることもまた、その肝を冷やすには充分だった。


「宇佐美くん、ボクは君の力になりたいし、君にボクの力になってもらいたいんだ」


 言いながら、ブラウは強く手を握ってくる。

 華奢で、繊細な、ガラス細工のような手が、真の荒れがちな手を包み込む。

 触れるだけで、その手がいかに美しいのかが伝わってくる。

 それだけで思考が吹き飛びそうになるが、真は、あまりに重い現実を思い出すことでなんとかその場に踏みとどまる。

 なにしろ、ブラウが解き明かそうとしている魔法少女の正体とは、今しがた手を握り、協力を仰いだ宇佐美真その人なのだ。

 明らかに、その利害関係は対立する。


「だから宇佐美くん、ボクと協力して、あの魔法少女の正体を解き明かそう」


 さらに握られた手に力がこもる。

 だが、真はゆっくりと、その握られた手を離す。

 そしてあらためてブラウの顔を見つめ返す。


「それはまだ、決められない……」


 それが真の答えであった。

 確かに、無碍に断ることもできたかもしれない。

 だが、そうするにはあまりにもブラウの眼が純粋すぎたし、狂気を帯びすぎてもいた。

 それに、今後増え続けるであろう魔法少女の情報のことを考えると、ここで縁を切ってしまっては絶対にまずい。

 しかし、ハイそうですねとそのまま従ってしまうのも真にはできない。

 距離が近くなりすぎては、この転校生の近くで変身できない以上、変身するのが極めて困難になる。(もっとも、それとは関係なく今は変身できないのだが)

 ルイスやひとみがこのことを知ったら、どういった反応をするだろうか。

 ブラウとの距離感を計りつつ、真は言葉を選ぶ。


「確かに俺は魔法少女に興味はあるが、正体を探ろうとは思わないからな。……一つ確認したいんだが、そもそも、お前はなんで魔法少女の正体を探っているんだ?」

「それは……」


 途端にブラウの口が重くなる。

 それを見て、真は本当の意味での危機感を覚えた。

 口にできないということは、本当に重大な事柄が裏にある可能性が高いということだ。

 当然、それは魔法少女にとってよいことではあるはずがない。


「それがわからない以上、俺は協力はできないな」

「そうか……残念だ。でも、情報交換くらいなら、できる、よね?」


 食い下がるブラウに、真も思わず頭をかく。

 潤んだ瞳で見つめられては、それを押し返す意志も奮い出せない。


「まあ、それくらいなら……」


 根負けしたように、真はぼんやりとそう返事をする。

 だが実際、真としても情報網は広げておくに越したことがない。

 あとはいかにして相手を踏み込ませないようにするかである。


「やった! じゃあ宇佐美くん、これからもよろしく!」


 もう一度、ブラウがその手で真の手を握る。

 真は、ただ黙って頷くだけだった。


 ブラウも離れていき、ようやく落ち着いた真だったが、ふと教室を見ると、また別の問題が浮上しているのが判明した。

 いつの間にか、追川ひとみが自身の席に座っていたのである。

 いったいいつ来たのか、真はまったく気が付かなかった。

 しかもひとみの真を見る目は、明らかな侮蔑に満ちている。

 ブラウの青い眼の狂気は恐るべき未来への、背筋の凍えるような恐ろしさがあったが、ひとみの視線は今そこにある危機を感じさせる。

 なんと声をかけていいものか。

 だが悩む間もなくそこで休み時間は終わり、話を聞くこともできずに授業が始まる。

 しかし結局、授業中にもいくつもの視線を感じてしまいロクに集中もできない。

 その後は教室移動もあり、結局、状況が整ったのは昼休みになってからであった。

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