いつか、あなたと手をつないで ~番外編~

綾束 乙@8/16呪龍コミック2巻発売!

舞踏会の、その前に

1 いても邪魔ですから海でも見てこられたらいかがです?


※※※※※

~作者からお願い~

 こちらは「いつか、あなたと手をつないで ~脱落令嬢と貧乏領主の前途多難な結婚生活~」

https://kakuyomu.jp/works/1177354054887506513

 の番外編となります。


 前日談、後日談、登場人物の別視点からの作中のエピソードなど、多分にネタバレを含む内容ですので、ぜひとも先に、「じれじれもだもだ、すれ違いの両片想い!」な本編を読まれてから、お読みくださいませ。

※※※※※




 無限に続く紺碧こんぺき

 白い波頭が、淑女のレースのように幾重にも重なって海原を彩っている。


 耳に届くのは、魂を揺さぶるような重い波の音と、停泊した船の横腹を波が叩く音、人々のざわめき。


 生まれて初めて見る海に、アドルは心奪われていた。


 話に聞いたことはあったが、海というものが、これほど偉大で、心奪う代物だとは。

 実際に見てみるまで、まったくわからなかった。


(実物、か……)


 自分がここ、ネーデルラントまで来ている理由を思い出し、苦く重い息を吐く。

 雄大な海に、一時忘れていた責務が、嫌でも心にのしかかる。


(ここまで来て怖じ気づくとは……。我ながら、情けない)


 今、ここにはいないギズに見られたら、また余計な気を遣わせてしまうことだろう。

 ちなみに有能極まる従者は、


「わたくしはどうすればロズウィック家の令嬢とお会いすることができるか、調べてまいりますので。あ、アドル様はいらっしゃっても特にしていただくことはありませんから。むしろ、いても邪魔ですから、海でも見て、フェリエナ嬢への求婚の言葉を考えられたらいかがです?」


 と、気遣っているのか、けなしているのか、わからない言葉を残して、一人でさっさと宿を出てしまった。


 言う通り、今アドルにできることはなさそうなので、ギズの言葉に従って、港まで来たのだが。


(まさか、ヴェルブルク領を出て、海を見る機会を得るとはな……)


 人生、何が起こるかわからないものだ。


 初めて見る景色に、心踊っているはずなのに、素直に喜べず、アドルはゆるりとかぶりを振った。


 視界に入るのは、商人や船乗り、荷運び人夫、船旅を終えた旅人など、人々でごったがえす港。


 アドルのそばで、一人の男が別の男にぶつかり、

「すみません」

 と、小さく頭を下げて通り過ぎる。


 その動きに違和感を覚えた瞬間。

 アドルは大股にぶつかった男に歩み寄り、男の左手をひねりあげていた。


「何しやがるっ⁉」

 地味な服を着たぶつかった男が叫ぶのと、ぶつかられた従者風の男が、


「銀貨の袋がないっ⁉」

 と叫ぶのが同時だった。


 叫び声が響いた途端、アドルの腕の中の男が、狂ったように暴れはじめる。


「放せっ! 畜生! 放しやがれっ‼」


 身をよじってもアドルの腕から逃れられなかった男が、短剣を引き抜く。

 何事かと注視していた周囲に人々から、悲鳴が上がった。


 が、アドルは動じることなく、男が剣を振るうより早く、男の懐に入り込む。


 腹に膝蹴りを食らった男が、身体を曲げる。

 アドルの拳が、呻く男の顎を正確に捉えた。


 脳震盪を起こした男が、どうっ、と仰向けに倒れる。


「取り押さえろ!」


 深みのある声が響いたかと思うと、袋をられた男を筆頭とした男達数人が、わっ、と男に飛びかかる。

 危なくないよう、アドルが気絶した男の手から短剣をもぎ取り、さやへ納めていると。


「まことに、ありがとうございました。従者に代わり、お礼申し上げます」


 先ほどと同じ、深みのある声がしたかと思うと、アドルの目の前に立った身なりの良い青年が、深々と頭を下げた。


「い、いえ。咄嗟とっさに身体が動いただけですから……」

 恐縮して返しながら、アドルは目の前の青年に視線を走らせる。


 港には似つかわしくないほど、身なりの良い青年だった。


 アドルにはネーデルラントの流行などわからないが、仕立ての良い濃い緑の服。

 甘さを感じさせる端麗な顔立ちは、ご婦人方の熱烈な視線を集めてやまないだろう。

 身長はアドルと変わらないほど高いが、騎士として鍛錬しているアドルと比べると、いくぶんせている。とはいえ、引き締まった身体つきは十分に魅力的だ。


 洗練された貴族の見本のような青年が、アドルの前でにこやかな笑顔を浮かべていた。


「当家の従者がご迷惑をおかけしました。ぜひともお礼をさせていただきだいのですが、ご都合は、いかがですか?」


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