2 兄という名の審判者


 なぜこうなった?

 と、アドルは自問自答した。


 立派な馬車の中、目の前に座るのは、身なりの良い洗練された青年。


 アドルは固辞したのだが、

「異国から来られた身分のある方を、お礼もせずにお帰ししては、我が家の沽券こけんに関わります」


 と、言葉巧みに誘われ、馬車に乗せられてしまった。

 というか。


「なぜ、わたしが異国から来た貴族だと思われに……?」


 今のアドルは、控えめにいっても庶民と変わらぬ地味さだと思うのだが。

 むしろ、ドイツの片田舎から出てきた分、流行遅れでみすぼらしいかもしれない。こんなアドルを見て、身分のあると考える者などいないだろう。


 青年が、にこやかに笑う。

「簡単なことです。お腰の剣」

 す、と青年の長い指がアドルが腰にいた剣を指し示す。


寡聞かぶんにして、どちらのものかは存じませんが、紋章入りの立派な剣は、庶民や傭兵ようへい風情が持てるものではありません。加えて、剣を佩いての堂々とした立ち居振る舞い。おそらく、名のある騎士殿かと」


 「それと」と、青年が悪戯いたずらっぽい光を、新緑を思わせる瞳に宿す。

 途端、端麗な容姿が、人好きする雰囲気をかもし出した。


「失礼ながら、あなたが感じ入ったように海を見ていらっしゃる姿が目に留まりましたので。この辺りの者なら、海など見飽きておりますし、船旅で来られた旅人なら、もう海は十分に堪能しているでしょうから。おそらく、内陸の方から旅してこられた方かと、推測しただけなのですが」


 ぼんやりしていた姿を見られていたのかと苦笑しつつ、アドルは頷く。


「おっしゃる通りです。わたしはドイツにありますヴェルブルク領の領主、アドル・フォン・ヴェルブルクと申します。どうぞ、お見知りおきを」


「これは申し訳ございません。助けていただいたこちらから名乗るべきを」

 青年が、優雅な所作で詫びる。


「わたしはロズウィック子爵家の嫡男、グスター・フォン・ロズウィックと申します」


「……え?」


 ロズウィック。

 思いがけない名乗りに、アドルは不躾ぶしつけであることも忘れて、思わずまじまじと青年を見つめる。


「どうかされましたか?」

 グスターが不思議そうに尋ね、アドルは「その……」と、あわててかぶりを振った。


 言うべきか、言わざるべきか。

 めまぐるしく考える。


 出た結論は、せっかく得られたこの機会を逃すべきではない、というものだった。


 アドルは、す、と背筋を伸ばすと、目の前のグスターを見つめ、ゆっくりと口を開く。


「実は……。わたしがネーデルラントへ参りましたのは、ロズウィック家の御令嬢に、求婚するためなのです」


「フェリエナに?」

 グスターの片眉がぴくりと上がる。


 ああ、そういえばギズの報告によると、フェリエナという名前だったと思い出し、自己嫌悪に陥る。

 求婚しようとしている令嬢の名前すら、うろ覚えだなんて、我ながら最低だ。


「ふむ」

 頷いたグスターが、ゆっくりと馬車の壁に背をもたせかける。


 動作はくつろぐ者のそれなのに、目が笑っていない。

 先ほどの人好きする雰囲気は霧散し、代わりに、貴族特有の、人を値踏みするような冷ややかな空気がグスターを彩る。


「我が妹に求婚するために、わざわざドイツから来られるとは。いったい、どんな噂を耳にされたのかな?」


 深く響く声が、刃のように斬りこむ。


 富裕といわれるロズウィック家の令嬢の、高額な持参金が目当てです。

 最初に浮かんだのはそんな言葉だが、口が裂けても言えるはずがない。


 グスターとフェリエナの兄妹の関係がどんなものかは知らないが、もしアドルがグスターの立場なら、そんなことをのたまう求婚者など、問答無用で馬車から蹴り落としてやる。


 何か、もっともらしい理由を返さなくては、と焦るアドルの脳裏に甦ったギズからの報告事項は。


「……その。フェリエナ嬢は、新しい大陸からもたらされた珍しい植物を育ててらっしゃると、風の噂にお聞きしましたので……」


 おずおずと、しかしグスターから視線をらさず告げると、意外そうな表情が返ってきた。


「他には?」

「他に、ですか……?」


 アドルが持参金目当てで求婚しようとしていることを見抜かれていて、正直に言えと、言外に圧力をかけられているのだろうか。


 あなたの妹御についてくる高額な持参金が、喉から手が出るほど欲しいのです。


 正直に言っていいものか。いや、さすがに駄目だろう⁉

 脳内で自問自答し。


「……その……。フェリエナ嬢は、いまだ良縁に恵まれていらっしゃらないと、そう、聞いておりますが……」


 「行き遅れ」を可能な限り婉曲に伝えると、グスターが、「ぷっ」と吹き出した。


「確かにその通りだ。フェリエナは、残念ながら、まだ良縁に恵まれていなくてね……。アドル殿。あなたがフェリエナについて聞いた噂は、フェリエナが新大陸の珍しい植物を育てているということと、まだ婚約者がいないという二つだけかな?」


「他に、何かあるのですか?」


 アドルが尋ね返すと、グスターは無言で笑みを深くした。

 かと思うと。


「それにしても、フェリエナが珍しい植物を育てているからと求婚する御仁は初めてだ。それが、そんなに大切なことかな?」


「もちろんです!」

 どこか、からかうような声で尋ねたグスターに、アドルは間髪入れずに頷く。


「お恥ずかしながら、我がヴェルブルク領は、お世辞にも作物が育ちやすい土地とは言えません。わたしは、領主として少しでも領民の暮らしを豊かにする責務があります。珍しい植物を育ててらっしゃるフェリエナ嬢でしたら、ひょっとして、我が領の恵みとなる植物をご存知ではないかと……」


 祈るような願いを込めて、アドルは告げる。


 他人が見れば、何を世迷言をと、失笑するかもしれない。

 アドル自身、お伽話とぎばなしのように都合がいい物があるなんて、本心から信じているわけではない。


 けれども。

 たった一条の光でもいい。

 一縷いちるの望みがあるのならば。


 呆気あっけに取られたようにアドルを見つめていたグスターの面輪おもわに、人好きのする笑顔が戻ってくる。


「……なるほど」

 一人、心得顔で何度か頷き。


「ときにアドル殿。あなたは、結婚相手の美醜や容姿に、こだわられる方かな?」

「はい?」


 一瞬、質問の内容が飲みこめず、アドルはぽかんとグスターを見つめる。

 グスターは、まるで楽しい悪戯でも思いついたかのように、新緑の瞳を輝かせていた。


 グスターの男ぶりは、アドルが見ても惚れ惚れするほどだ。彼の妹なら、さぞかし可憐な令嬢だろうが……。


 親子や兄妹、同じ血が流れている者でも、時に神の悪戯かと思うほど、似ていない家族はいる。


 グスターの先ほどの言葉から推測するに、グスターとフェリエナは似ていない……おそらく、フェリエナは醜女しこめなのだろう。


 それなら、高額な持参金持ちだというのに、行き遅れになっているのも頷ける。

 アドルは、きっぱりと首を横に振った。


「いいえ。わたしは妻になってくださる方の容姿など、気にいたしません。容姿よりも、大切なのは、心映こころばえのほうでございましょう?」


「……うん、まあ……。フェリエナはああ見えて、中身はかなり意地っ張りだけどね……」


 グスターの嘆息交じりの愚痴ぐちが耳に届いたが、聞こえなかったことにする。

 高額な持参金の前では、醜女だろうと性格が悪かろうと、全て、ささいな問題だ。


「そもそも」

 と、アドルは軽く両手を広げてみせる。


「わたし自身、片田舎の不作法者です。貴族にあるまじき質素な身なりで……。豊かで洗練されたネーデルラントの方々に、呆れられても仕方がありません。そんなわたしが、相手に何を求めることがありましょう?」


 嘘偽りのない、本心だ。

 アドルが花嫁を引きずり込むのは……悪夢でしかない、結婚生活なのだから。


 胸中の罪悪感を、押し潰す。

 ヴェルブルク領を出立する前に。覚悟は決めてきた。


 たとえ地獄に落ちる羽目になろうとも、ヴェルブルク領を救うためならば、どんな罪だって背負ってやる。


 果たして、アドルの返事がグスターの意に沿うものであったかどうかは、わからない。

 グスターの顔を見つめたまま、アドルが審判を待っていると。


「……あなたは、今までの求婚者達とは、少し毛色が違うようだ」


 新緑の瞳を悪戯っぽくきらめかせて、グスターが告げる。


「わたしは気に入ったよ。……まあ、フェリエナがどう思うかは、アドル殿の努力次第だが」


 一瞬、浮き上がりかけたアドルの心を、グスターの冷静な声が落ち着かせる。


「この後、屋敷へ招いて礼でもと思っていたんだが……」

 グスターは楽しげに笑い声を立てる。


「それだと、フェリエナに見つかってしまうからね。こうしよう。明後日、わたしはとある公爵様主催の舞踏会に招待されている。もちろん、フェリエナも連れていくつもりだ」


 グスターは、にこやかな笑顔をアドルに向ける。


「その舞踏会にアドル殿も入れるよう、手はずを整えておこう。そこで、フェリエナにダンスを申し込むといい。わたしの妹の心を捕らえられるかどうかは――」


 挑むように。

 祈るように。


 アドルの群青の瞳を真っ直ぐ見つめ、グスターは告げる。


「アドル殿。あなた次第だ」


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