三人で、祝杯を
1 葡萄酒は口をすべらせる
「いやー、怖かった……。寿命が縮まるかと思った」
かなり本気の表情で呟くエディスの前に、メレは食堂から持ってきた葡萄酒の杯を、ことりと置いた。
「今朝、ランドルフに捕らえられている奥方様を見た時のアドル様は、もっと
本気で青い顔を強張らせたギズが、低い声で呟く。
先ほどのアドルも十分、恐ろしかったが、それ以上だったのかと、メレはギズに同情した。
顔立ちが秀麗な分、群青の瞳に苛烈な怒りを宿したアドルは、下手な悪魔よりも恐ろしい。
「でもまあ、フェリエナ様が御無事で、本当によかったよ。もちろん、メレと神父様も」
三人の前に葡萄酒の杯を置き、ギズの隣に座ったメレに、エディスがにこりと感じのいい笑顔を向ける。
ここは、ギズの部屋だ。
フェリエナの部屋の前から、アドルの
「何はともあれ、勝利と、アドルとフェリエナ様の未来に乾杯!」
杯を手にしたエディスが高らかに告げ、杯を上げる。
視線を向けた先は天井――三階の一室だろう。
「ええ。アドル様、エディス様の勝利と、奥方様が無事にお戻りになられたことに」
ギズが応じて杯を上げる。
「フェリエナ様と、ご領主様のお幸せな未来に!」
メレも負けじと杯を掲げた。
「「「乾杯!」」」
三人の声が唱和し、金属製の杯が澄んだ高い音を響かせる。
「くーっ、祝いの酒ほど美味いものはないね! しかも、それが親友のものとなれば、格別だ!」
一息に杯の中の葡萄酒を飲み干したエディスが、目を細める。メレはすかさずおかわりをついだ。
「本当に……。これほど葡萄酒が美味しく感じられたことはありません。ようやく……っ。ようやく、この日を迎えることができました……っ」
杯を両手で握り締めたギズの声が潤んでいる。
メレは一瞬、ギズがこのまま泣き出すのではないかと心配した。
正直、メレだって、嬉しさのあまり目が潤みそうだ。
そっと杯に口をつける。葡萄酒など飲み慣れていないが、今日の葡萄酒は驚くほど飲みやすく感じる。
客人であるエディスのために、良い葡萄酒を持ってきたためもあるだろうが、それよりも、心が弾んでいるからというのが大きい。
ギズの言う通り、ようやく……ようやくフェリエナとアドルが本当に結ばれる日が来たのだと思うと、喜びが全身を満たしていく。
あっという間に葡萄酒に酔ってしまいそうだが、今日くらいは、少し羽目を外してもいいかもしれない。きっと、階下でもお祭り騒ぎだろう。
ちびちびとメレが杯を傾けていると、二杯目に口をつけていたエディスが、楽しげな表情で顔を上げた。
「いやー、ようやくアドルとフェリエナ様の二人も、おさまるべきところにおさまったし、次はギズとメレの番かな?」
にやにやと、楽しくてたまらないとばかりに放たれた爆弾発言に、メレは葡萄酒を吹き出しそうになった。
「なっ、ななっ、何をおっしゃるんですかっ、エディス様っ‼」
酔いのせいではなく、一瞬で顔全体が熱くなったのがわかる。
「わ、わたしはですねえっ、一生、フェリエナ様にお仕えすると決めていて……っ!」
メレの決意に嘘偽りはない。
フェリエナに仕えるためなら、一生、独身だってかまわない。
けれど、メレの抗弁に、エディスはますます笑みを深くする。
「じゃあ、ギズならうってつけじゃないか。ギズと結婚すれば、ヴェルブルク城を出ずに結婚できるんだし」
「そっ、そういう問題では……っ!」
心の奥底に密かに秘めていた願望を見透かされた気がして、メレはますます焦る。
アドルの友人でさえなかったら、今すぐエディスの口を縫いつけてやりたい。
これで、ギズとの関係が悪くなったら、いったい、どう責任を取ってくれるのか。
エディスはにやにやと笑ってギズを見ているが、メレは視線を向けるどころではない。
もし、ギズがエディスの冗談に、不快な顔をしていたらどうしよう。
今の今まで、幸せな気分だったのに、一瞬で地獄に叩き落されるだろう。
正直、怖くて見たくない。
ギズに嫌われているわけではないと思う。
だが、どこまで好かれているかとなると、自信なんて、まったくない。――ましてや結婚だなんてっ!
耳元で心臓がばくばくと鳴っている気がする。
このまま、目を閉じ、耳をふさいで逃げ出したい。
問題の先送りにしかすぎないが、何か理由をつけて退出しようかと、メレが本気で検討し始めた、その時。
かん! と、金属製の杯をテーブルに置いた高い音が響く。
弾かれたようにメレが音の出どころを見ると、ギズが飲み干した杯をテーブルに置いたところだった。
その表情は冷静沈着ないつものギズと変わらない気がする。いや、むしろ不機嫌で迷惑そうだ。
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