2 奥方様は聖女か天使ですか?
「おとといの晩、賊が出て、フェリエナ様とご領主様が、一緒に出られたでしょう?」
「ええ」
メレの言葉に、思わず苦い顔で頷く。
「貧乏なヴェルブルク領に賊が出るなど……。想定外でした。盗まれたのは奥方様がネーデルラントから取り寄せられたパタタと、薬草で、金銭的な被害はそこそこでしたが……」
赤貧に喘ぐヴェルブルク領の会計を引き受けるギズにしてみれば、なぜ、ヴェルブルク領なのか、と、いまだ捕まっていない賊を憎まずにはいられない。
もっと豊かな領ならば、近隣にあるだろうに。
しかも、盗まれた物が、フェリエナ個人の資金で取り寄せた物だというのが……。
(これは、幸か不幸か……。いや、奥方様には申し訳ないが、ヴェルブルク領の資産が減らなかったという点では助かった……)
敏腕だと自負しているギズの手腕をもってしても、ヴェルブルク領は、極貧だ。火の車だ。青息吐息だ。
フェリエナとの結婚でもたらされた持参金がなければ、今頃は取り潰しになっていたかもしれない。おそらく、この冬は超えられなかっただろう。
それだけでもありがたいというのに。
「これを、ヴェルブルク領のために使ってもらえませんか?」
兄に持たされたのだという宝飾品を目の前に差し出された時には、夢でも見ているかと思った。
「アドル様は、私のこの行為を、決してお認めにならないでしょう。けれど……。これは、必要なものでしょう? ヴェルブルク領のために」
新緑の瞳に、決して引くまいという固い決意をみなぎらせて告げるフェリエナに、ギズは頷くことしか、できなかった。
知られたら、アドルが烈火のごとく怒ることなど、百も承知で。
「……アドル様は、本当はご令嬢ではなく、聖女か天使を
結婚して間もなくの頃、フェリエナと交わした会話を思い出して呟くと、メレが目を怒らせた。
「今さら何をおっしゃっているんです⁉ フェリエナ様が天使のような御方なのは、わかりきったことでしょう⁉」
さも当然とばかりに返された言葉に、本当にそうかもしれないと苦笑する。
「そんな素晴らしいフェリエナ様を娶られたのですもの! ご領主様にはフェリエナ様をうんと幸せにしていただかなくては! わたくし、ご領主様は、夫としては少し頼りないかと思っておりましたけれど……」
メレによると、おとといの晩、城へ帰って来た時、フェリエナを馬から抱き上げて下ろしたアドルは、そのまま、フェリエナを横抱きにして部屋まで連れていったのだという。
「フェリエナ様は下ろしてくださいとおっしゃったんですけれども、ご領主様が、濡れた服では歩きにくいでしょうし、床の汚れがついてはいけないでしょうからと、半ば強引に……。あんなご領主様は、初めて見ました」
そんなことがあったとは、アドルより遅く城へ戻ったギズは、まったく知らなかった。
メレは「ふふふふふ」と口元を緩めて笑う。
「ご領主様は何もおっしゃいませんでしたけれど、きっと、濡れてドレスが身体にはりついてしまったフェリエナ様を、他の者の目にふれさせたくなかったんですわ! お二人とも微妙に赤いお顔で、お互いを意識なさっていたようですし……」
確かに、それはアドルにしては珍しい。
アドルはいつも、堅苦しいほど、フェリエナにふれぬよう自制しているというのに。
「ただ、残念なことに、ご領主様はフェリエナ様を部屋にお連れしたら、すぐに出られてしまって……。そのままフェリエナ様のお部屋に留まられるというんでしたら、わたくし、すぐにお下がりしたんですけどねぇ……」
「いっそのこと、そのまま部屋の扉を閉めて、二人っきりで閉じ込めてくれてもよかったんですよ」
思わず言いかけ、自制する。
メレなら、本気でやるかもしれない。あくまで、フェリエナが望めば、だが。
「そういうことでしたら、アドル様と奥方様がお二人で、賊に斬られた青年の見舞いに出られているのは、よいことかもしれませんね」
アドルとフェリエナは今、先日の賊の襲撃で怪我を負った青年の見舞いに出かけている。刀傷なので、治るにはしばらくかかるだろう。
今日は馬に乗れないフェリエナを送るためにアドルが同行しているが、今後もフェリエナの同行者はアドルに任せるのがよさそうだ。
もちろん、アドルには領主としての仕事が多岐にわたってある。正直、遊んでいる暇などない。
気候のいい夏にはするべき仕事が特に多いのだ。
だが、それらの仕事はギズが肩代わりできても、「次代のヴェルブルク領主を
(アドル様のことですから、きっと、まだ若いから子どもはヴェルブルク領を立て直してからでも遅くはないと思ってらっしゃるのでしょうが……)
若いからといって、死神の目を免れるとは、限らない。
時に、死神は残酷なほどあっさりと、若い命を刈り取っていってしまう。
……ギズの姉、グレーテのように。
ゆるりとかぶりを振って、ギズは苦い記憶を脳裏から追い払った。
ヴェルブルク領を立て直し、グレーテのような女性を出来うる限り減らす。
それが、ギズと、ギズが敬愛するアドルが目指す高みだ。
そのためならば何だってすると、ギズは去年、姉の墓前で誓った。
だから、ヴェルブルク領を立て直すためならば、倫理に背いてフェリエナの個人財産に手をつけることさえ、
そもそも、高額な持参金をもたらす令嬢を花嫁に迎えましょうと、アドルを説得したのもギズだ。
……まさか、今のような状況になるとは、夢にも思わなかったが。
(アドル様がお幸せになるためならば、この身なんて、どうなったってかまわないんですけれどね……)
主であり、乳兄弟であり、親友である大切な人。
けれども、甘いアドルは、ギズが犠牲になることを、決して許しはしないだろう。
ならば。
「……メレ。アドル様と奥方様が、青年の見舞いに出かけられるしばらくの間は、いつもより忙しくなるかもしれませんが、頼みましたよ」
ギズにできることは、陰に日向に、アドルを支えることだけだ。
計算に戻っていたメレに声をかけると、メレは、ぱっ、と顔を上げた。
「もちろんですよ!」
頼もしい声。
ギズと同じ、主人の幸せを願ってやまない、祈りを込めた眼差し。
「わたくしだって、主人を想う気持ちで、ギズさんに負ける気はありませんから!」
突然の、宣戦布告。
いや、これは宣戦布告というより。
「頼もしい味方が増えて、心強い限りですよ」
ギズの言葉に、メレは夏の
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