2 甘い酔いを味わって……。


 メレは泣きたい気持ちになった。


 まったく、エディスはなんということを言ってくれたのだろう。こんな話題など出なければ、しばらくは今までのまま……。


「エディス様」


 真っ直ぐにエディスを見つめて、ギズが口を開く。その声は、やはり、いつもよりわずかに低い。


「お気遣いはありがたくいただきます。ですが、わたくしはアドル様のようにへた……失礼しました。つい、不適切な発言が……。ともかく」


 ギズがこほん、と一つ咳払いする。


「わたくしはエディス様に御助力いただかずとも、己の恋は、己の力で叶えます。それに」


 ギズの唇が、不敵な笑みを形作る。


「エディス様に求婚の言葉を知られて、後々までからかわれたくは、ございませんので」


 不意に、ギズがメレを振り向き、メレは反射的に背を伸ばす。


「メレ、あなただってそうでしょう?」

「ふえっ⁉」


 エディスに向けていたのとは、うって変わった柔らかな笑み。

 が、混乱の極みにあるせいで、ギズの言葉が頭に入ってこない。


 恋? 求婚? 誰が誰に⁉


 くすり、とギズとメレを見比べて、優しげな笑みをこぼしたエディスが、杯を持って立ち上がる。


「じゃあ、邪魔者は早々に退散しようか。アドルとギズの馬に蹴られたら、一瞬であの世に旅立ちそうだ」


 「あーほんと、俺にも花嫁が来てくれないかな~」とぼやきながら、エディスが部屋を出て行く。


 ぱたりと扉が閉まり。


「メレ」

 柔らかに名前を呼ばれ、メレは弾かれたようにギズに視線を向ける。


「あ、あの……っ」

 何か言わねばと思うのに、うまく言葉が出てこない。


 まごまごしていると、ギズが椅子から立ち上がった。

 テーブルの角を回り、メレの隣へ来ると。


 す、とギズが片膝をついてひざまずく。


「エディス様に背中を押されて、という形になったのは、しゃくですが」


 苦笑をこぼしたギズが、真っ直ぐにメレを見上げて。


「わたしは、わたしの伴侶には貴女あなたしかいないと思っています。何事においても、貴女を一番に優先するとは約束できません。ですが、女性の中では誰より貴女を尊重いたしましょう」


 ギズが、柔らかに微笑む。


「メレ。どうか、わたしの妻になっていただけませんか?」


 真っ直ぐな強い眼差し。

 熱をはらんだ真摯しんしな声。


 ……頭が、真っ白になる。


 答えなければと焦り……立ち上がろうとして身体に力が入らず。メレは椅子からずるりと床へへたりこむ。


「メレ⁉」

 ギズが目を丸くする。


 支えようと伸ばされたギズの右手を、震える両手でしっかと掴み。


「……わ……、私なんかでいいんですか……?」


 声が、震える。

 ギズが力強く頷いた。


「「私なんか」ではありません。わたしはメレ、貴女が良いのです」


「っ……‼」

 声が詰まる。目頭が熱い。

 ギズの姿が、にじみ出す。


「メレ……」


 ためらいがちに伸ばされた腕が、そっとメレを引き寄せる。

 ぽすん、とギズの胸元に抱き寄せられたメレの耳に。


「……これは、嬉し涙と解釈していいんですかね?」


 珍しく、ギズの自信なさげな声が届く。


 答える代わりに、こくこくこくと何度も頷くと、背中に回された腕に力がこもった。


「意外と、涙もろいんですね」


 大きな手が優しく背中を滑る。

 苦笑交じりの声に、メレは目に涙をためたまま、ギズを見上げた。


「これはっ! ギズさんが、あんまりびっくりさせるから……っ」


 今まで、それらしい気配はまったくなかったのに。

 一足飛びに求婚だなんて、反則だ。


 今でさえ、夢じゃないかと疑ってしまう。


 メレに非難されたギズが、困ったように目を細めた。


「そうは言っても、アドル様と奥方様の問題が解決するまで、自分の恋どころではなかったのは、貴女も同じでしょう?」

「それは、そうですけど……」


「わたしだって、我慢していたんですよ?」


 ギズの焦げ茶色の瞳に、熱が宿る。

 背中に回っていた手がメレの頬にふれ、優しく涙をぬぐう。


「貴女を、ないがしろにはしたくなかったので」

「確かに……。私もフェリエナ様を放ってはおけませんでしたから」


 忠実な従者達は、視線を合わせ、小さく笑いあう。

 ギズが顔をしかめて、小さく吐息した。


「あのお二人のことですから、これからもまだまだありそうですが……。でもまあ、ようやく本物のご夫婦になられたのですから、しばらくは大丈夫でしょう」


「いいえ。ずっと大丈夫です!」

 手の甲で涙をぬぐい、メレはにっこりと頬笑みかける。


「一度、お心を決められたフェリエナ様は、お強いですから。お二人はきっと、もう心配いりません」


「さすが、貴女が敬愛する奥方様ですね」

 感じ入ったように呟いたギズが、


「アドル様にも見習っていただきたいものです」

 と吐息交じりに続ける。


 だが、顔に浮かんでいるのは、主人そっくりのとろけるような甘い笑みだ。


 葡萄酒の酔いが戻ってきたように、ふわふわとする。

 ギズの面輪がゆっくりと下りてくる。


 上質な葡萄酒のような、甘いくちづけ。


 まぶたを閉じ、メレは甘い酔いをゆっくりと味わった――。


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