結婚衣装を縫いながら
あなたのことなら、なんでも知りたいのです
「器用なものですね。まるで、針と糸が踊っているようです」
テーブルの向かいに座るアドルの感心したような声に、フェリエナはくすりと笑みをこぼした。
「わたくしが特別に器用というわけではありませんわ。針仕事が好きなものなら、これくらい誰でもできます」
話しながらも、フェリエナの手は自然に動いて、青いドレスに白いレースを縫いつけていく。
フェリエナの自室の窓からは、初秋の柔らかな夕暮れの光が差し込んでいる。
縫い物などの細かい作業は、陽のある明るいうちの方がやりやすい。
アドルは、本来なら執務室でするはずの書類をフェリエナの部屋に持ち込んで書き物をしていた。
本当の夫婦になってからというもの、アドルはフェリエナと一緒の時間を過ごせるよう、何かと気を遣ってくれる。もちろん、フェリエナとしても嬉しい限りだ。
フェリエナが今、レースをつけているのは、間近に迫ったメレとギズの結婚式のための婚礼衣装だ。
「本当は、わたくしが婚礼の時に着たドレスを着せてあげたかったんですけれど……」
だが、それはメレに、
「フェリエナ様と同じドレスだなんて、恐れ多すぎて、とてもではありませんが着れませんっ!」
と固辞されてしまった。
仕方なく、フェリエナが故郷から持ってきたドレスの一着をメレに譲ることで決着し、フェリエナはこうしてレースの飾りを縫いつけているのだが。
「しかし、あの時のギズとメレは見物だったな」
フェリエナと同じことを思い出したのだろう。アドルが楽しげにくつくつと喉を鳴らす。
「まあっ、そんなことを言っては、ギズに
アドルをたしなめつつも、フェリエナもついつい口元が緩んでしまう。
「メレと結婚する許しを得たいのですが」
とギズがアドルとフェリエナに許可を求めてきたのは、ランドルフとの会戦から一週間後の、後処理がようやく落ち着きかけてきた頃だった。
作物の成長報告をするような淡々とした口調で告げたギズの、耳がうっすらと赤く染まっていたのに気づいたのは、フェリエナだけではないだろう。
隣に立ったメレと、しっかり手をつないでいたのに気づいたのも。
アドルとフェリエナの二人が
あんなに甘いギズの笑顔は、フェリエナは見た記憶がない。
「ふだんは澄ましているくせに、ギズの奴、あんな甘い笑顔をするなんて……。結婚式の時には、どんなにやけた顔を見せるか、楽しみだ」
アドルが珍しく、人の悪い笑みを浮かべる。
と、扉がノックされた。
「アドル様、こちらにいらっしゃいますか? 冬に備えて買いつける物品のことで、確認していただきたいことがあるのですが」
顔をのぞかせたのは、話題になっていたギズ本人だ。
てきぱきとアドルに報告し、確認していくギズは、いつも通り冷静極まりなく、半月後に自分の結婚式を控えているとは、とても思えない。
「ギズ、どうだ。式の準備は順調か? 足りないものなどがあれば、なんでも相談してくれ」
ギズの用事が終わったところで、アドルが水を向ける。
群青色の瞳に宿るのは、幼なじみに対する思いやりだ。
「お心遣いはありがたいですが、何も問題はございません。というか、臣下の結婚式のために、ご領主様にお手数をかけるなど……」
ギズの言葉に、アドルが唇をひん曲げる。
「違う。「親友」の結婚式だろう?」
アドルの言葉に、一瞬、目を見開いたギズが、柔らかに微笑む。
「ありがとうございます。ですが、先ほど申しました通り、準備は順調に進んでおります」
「……もしかして、以前から手回ししていたのか?」
「そんなわけございませんでしょう⁉ お二人の許可を取る前になど……!」
憤然と返したギズに、アドルは「しかし……」と釈然としない様子だ。
「許可をもらってから二週間後に式とは、慎重で堅実なお前にしては、ずいぶん急ぐものだと思ってな……」
と、アドルがにやりと唇を歪める。
「それほど、早くメレと結ばれたいというわけか?」
フェリエナは自分が言われたわけでもないのに、頬が熱くなる。
が、ギズは顔色一つ変えない。
「わたしはアドル様と違って、自分の望みがわかっていながら、ぐずぐずと遠回りをするほど、悠長な性格ではございませんから」
「お前……っ!」
アドルが眉を跳ね上げたのを綺麗に無視して、ギズはやれやれと言わんばかりに吐息する。
「まさか、ご結婚から半年近くもかかるとは、さすがのわたしもアドル様のへた――んんっ、頑固さを甘く見ておりました」
「もういい! 余計な口を叩いている暇があったら、さっさと式の準備でも何でもしてこい!」
ギズをからかうつもりが、逆にやりこめられたアドルが、へそを曲げて、ふいっ、とそっぽを向く。
フェリエナは思わず吹き出しそうになったのを何とかこらえて、針を動かしていた手を止めて、ギズを見上げた。
「あら。でも、わたくしとアドル様が遠回りをしてしまった分、メレはあなたにあれこれと相談して、親しくしていたのでしょう? ちゃんと、メレから聞いていますよ」
アドルとフェリエナが荷馬車が襲われた際に怪我を負った青年の見舞いに出かけていた間、ギズとメレが協力して、主人夫妻に二人の時間を作ってくれていたことは、ついこの間、メレから聞いたばかりだ。
まさか、フェリエナからそんなことを言われるとは予想していなかったらしい。
ギズが珍しく、顔に動揺を浮かべる。
「お、奥方様……。メレからいったい、どんなことを……?」
「フェリエナ! その話、もっとくわしく!」
視線を揺らすギズと、勢いよく食いついたアドルの顔を、順に見やって、フェリエナはにっこりと微笑んだ。
「いやですわ。女同士の秘密の話を殿方にお伝えするなんて、できません」
とたん、アドルとギズが、何だか空恐ろしそうな表情で、顔を見合わせる。
そっくりな主従の表情が面白くて、フェリエナはこらえきれずに吹き出した。
「ふふふ。大丈夫よ、ギズ。そんなに気になるのなら、メレに聞いてごらんなさい。あなたになら、メレは正直に話すでしょう?」
「まったく……。奥方様には、
ギズが苦笑して一礼する。
「メレから何を聞いているかは存じませんが、どうか、奥方様のお心の内だけに留めてください」
「では、今度、アドル様のお小さい頃の話を教えてもらえるかしら?」
笑顔で問うと、ギズは楽しげに喉を鳴らしてアドルとフェリエナを交互に見た。
「喜んで、と言いたいところですが、アドル様に嫉妬されてはかないませんので、それはアドル様に直接お聞きください。ああ、ですが……」
ギズがアドルそっくりに唇を歪める。
「アドル様が話さないだろう失敗談をお聞きになりたいのでしたら、どうぞわたしめに。……エディス様からも、色々と仕入れておりますから」
「ギズ!」
アドルが血相を変えてギズを睨みつける。
「では、失礼いたします」
アドルの抗議を無視して一礼すると、ギズは部屋を出て行く。
取り残されたのは、
「まったくギズの奴め……っ! エディスにも、今度会ったら口止めしておかないと……っ」
とぶつぶつ呟くアドルと、笑いが止まらないフェリエナだ。
くすくすと肩を震わせていると、椅子から立ち上がったアドルがフェリエナのそばへやってきた。
「わたしの子どもの頃などが、知りたいのですか?」
不思議そうに尋ねたアドルに、ようやく笑いをおさめたフェリエナはこくりと頷く。
「ええ……。アドル様のことでしたら、なんでも知りたいですもの……。それに、小さい頃のアドル様は、きっと天使のようにお可愛らしかっただろうと……」
「可愛らしいのは貴女の方でしょう」
身をかがめたアドルが、フェリエナの手から、そっと針とドレスを取り上げて、テーブルに置く。
「あの……?」
「話を聞きたいのなら」
不意にアドルが、真っ直ぐにフェリエナの瞳の奥を覗き込む。
「ギズに聞くのはやめてください。あいつに話させると、どんなことを話すやら、想像がつきません」
「アドル様ったら……」
ふてくされたようなアドルの顔に口元をほころばせると、優しいくちづけが降ってきた。
唇を離したアドルが、柔らかに微笑む。
「それに、悔しいが、ギズには見抜かれているらしい。たとえギズといえど、わたしのいないところで、貴女が他の男と楽しく談笑しているのは……あまり、面白くありません」
「では……。アドル様がお教えくださいますか?」
「もちろんです。何をお知りになりたいのです?」
首を傾げたアドルに、フェリエナはにっこりと微笑み返した。
「何でも。アドル様が何がお好きなのか、どんなことで喜ばれるのか……。まだまだ知らないことがたくさんありますもの、アドル様のことなら、なんでも知りたいですわ」
告げた瞬間、再びくちづけが降りてきた。アドルの大きな手が、そっとフェリエナの頬を包む。
「わたしが好きなものでしたら、貴女が一番、ご存知だと思っていましたが」
アドルがとろけるような笑顔を浮かべる。
「もう、ご冗談ばかり……」
顔が熱くなっているのがわかる。視線をそらそうとしても、アドルの手が許してくれない。
「冗談などではありません」
お互いの甘い吐息が混ざり合う。
視線を絡ませ、フェリエナとアドルはどちらともなく、くすくすと笑いあった。
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