第二章
【4】 スワンボートと鯉 1
渡船場に行くと、腰に日本刀を帯びて、仁王立ちで渡船場にいたおっさんが、俺を見つけるなり言った。
「お前もふらふらしてないで、自警団に加わってちゃんと島を守れ」
相変わらず、言うことはいつも一緒だ。
「俺は俺のやり方で守ってるよ、情報持って来てやっただろ」
昨日西見さんに言った話は、自治会にも自警団に伝わっているはずだ。
「地下鉄沿線づたいに伝令してやるよ。ありがたいだろ」
亨悟みたいにへらっと笑って受け流す。めんどくさい。
さっさと逃げ出すに限る。船に乗り込んで、
コンクリートの上から俺を見下ろす日本刀のおっさんの顔が目に入る。どんどんその顔が険しくなる。ああ、しまった、煽ったか。
怒鳴りつけられるかな。思ったが、ライフルをかついだおっさんがやってきて、まあまあ、と日本刀のおっさんの肩をたたいた。
「子供のいうことに目くじら立てなさんな」
「早死にしないよう、気にしてやってるだけだろう」
吐き捨てて、日本刀のおっさんは、もう一人のおっさんの手を振り払い、俺を睨みつけてからいなくなった。
しまったなあ、こういうの、七穂へのあたりに影響が出ないといいけど。
助け船を出してくれたおっさんは、しゃがみこんで、膝に頬杖をついて溜息をついた。
「お前も、もうちょっとうまく立ち回れよ」
「やってるつもりなんだけどなあ」
相手を選んでるつもりなんだけど。
「とりあえず話し聞くふりだけでもしろよ。たいていの大人はそれで満足するんだから」
ガキめ、とおっさんは苦笑する。
そして顔をあげて、海の向こうの、
「ここから見てると、昔のままに思えるよ。車が走ってて、天神は人だらけで、博多駅からは新幹線が出てて、空港からは飛行機が飛んでる。他の都市とは違って空港が近いから、飛行機が落っこちてくるんじゃないかってくらいに大きくてな」
姪浜が見える。その先の、福岡タワーやドーム球場も。福岡の街は決して背が高くはない。
東京なんかはもっとビルがそびえたっているとおっさんたちは言うけど、福岡は空を飛ぶ乗りものが近くに発着していたせいで、建物の高さに規制があったらしい。
俺はそんなでかいものが空を飛ぶところなんて見たことがない。雑誌で写真を見たことはあるが。
他と比べてどんな町だとしたって、ここから見れば街は整然とそこにあって、家が並んで、マンションがあって、そこに人々の生活がありそうに見える。
でも近くで見れば、燃やされたり、壊された家が並んでる。
人の制御を無くした木々がアスファルトを破り、その辺の家に巻きついて、自動販売機に絡みついていてる。いつ崩れてもおかしくないようなマンションもたくさんあるのに。
おっさんたちにとって、遠くから見る分には、あっちのほうが理想郷なんだろう。
この島は俺にノスタルジーを抱かせるけど、おっさんたちにとってはここから見えるあっちの方が、ノスタルジーなんだろう。
「榛真」
俺が聞き流してるのに気付いて、おっさんは、やれやれとつぶやいた。
「風が強いし雲行きがあやしい。この時期は台風が多いから気をつけろ」
サンキュ、と俺は軽く応えて、船のエンジンを入れた。
天候が荒れると、七穂が体調を崩す。発作を起こさないか、その方が心配だ。
対岸に渡って、津崎さんに挨拶して犬を撫で回してから、自転車を回収する。それから念のため、装備を確認した。
手首に巻きつけた投弾帯は、片方が輪になった紐のようなものだ。
ヒップバッグの中の投石代わりの釘や小銭。それから銃。
ベルトにぶらさげた手製の鞘にいれた包丁。
それと、リュックにつっこんだボウガンの矢がはみだしている。
ブルゾンのフードをかぶり、チャックを鼻まで引き上げて、リュックを背負い直し、俺は自転車をこいだ。
そのまままっすぐ、姪浜駅へ向かう。
能古渡船場は、地下鉄姪浜駅から近い。自転車で十分もあればつく距離だ。
姪浜駅は別の路線に連絡しているから、地下鉄とは言うものの地上にある。それが島の人間にとって少しは救いだった。
姪浜駅も、線路が地下に潜るあたりにも、隣の
駅にはシャッターが降りて、自警団の人達は少し離れたところにいた。俺はまず姪浜駅の自警団の人たちに、炭鉱の奴らのことを知らせた。
それから地下鉄の入口や道路わきの大きな建物に気をつけながら、地下鉄沿線上の道路へ向かう。
太陽が出ている間も、吸血鬼どもは日よけの傘や外套をかぶりさえすればうろつけるのだから、油断はできない。
線路脇で見張りをしているおっさんたちに挨拶をして、炭鉱の奴らのことを知らせながら、俺は中央区へ向けて自転車を走らせた。アスファルトはでこぼこで、ガタガタ自転車を鳴らしながら、ぐいぐい進む。
勝手気ままに育った街路樹の木陰にも気をつけながら、懸命にペダルをこぎ続ける。
気が進まないが、天神に戻って、炭鉱の奴らがあの後どうしたのか探らないと。
あいつらが刺激した吸血鬼どもが変な動きをしていないかも気になる。
まっすぐ東へ伸びる大きな道路を走り続けると、先は
ここは危険なんだが。迂回するか迷ったのは一瞬で、俺は大きな道路をまっすぐ進む。
「史跡 元寇防塁入り口」と書かれた大きな石碑の横を通り過ぎた所だった。
嫌な予感がして、慌ててハンドルを切り、地面に片足をついて方向転換しながら止まった。
顔の真横を、ヒュンと音を立てて何かが飛んでいく。
少し遅れて、冷や汗が背中を伝った。まっすぐ進んでいたら、顔面を打ち抜かれていたところだった。
――めんどくさいヤツに見つかった。
俺は大きく舌打ちしながら、体勢を整えた。
「臆病者は勘だけはいいな」
張りのいい声が、しんとした辺りに響いた。
ポクポクとくぐもった蹄の音がする。
路地から栗毛の馬が進み出てくる。馬上には、俺と同じくらいの年のヤツが、背筋を伸ばして乗っている。ヤツの構えた大きな弓は引き絞られて、矢がまっすぐ俺の頭を狙っていた。
「今日こそ目障りな顔のど真ん中に穴をあけてやる」
「うるせえ、お前ぶっ殺して、馬を食ってやる」
言い返す俺を、ヤツは端正な顔で嘲笑った。
いつからか覚えてないが、こいつとはすっかり顔見知りだ。
こいつは、本来は市内のもっと山の方が縄張りのはずだ。山の方には、流鏑馬神事をやっている神社があって、そこの馬場に行っていた人達が子供達に馬術を教えていたりするらしい。
やはり、昨日の騒ぎの影響なのか。吸血鬼の奴らは奴らで何かを企んでいるのか。
「
無邪気な高い声が言った。
レースのたくさんついた日傘をさして、くるくる回しながら、馬の影から少女が姿を見せる。
ボンネットとかいうらしい大きなツバのついた帽子をかぶり、顎でリボンをでかでかと結んでいる。
裾が大きく広がって、とにかくたくさん布がついたワンピースを着て、白いタイツをはいていた。
顔のほとんどを覆ったサングラスを、手袋をした手で押し上げた。サングラスだけ明らかに格好に合っていない。
七穂と同じ年くらいに見えるが、こいつはここ何年もずっと、見た目の年を食っていない。
史仁は人間だが、こいつは人間じゃない。
馬上から弓を構え、生真面目な顔で俺を睨む人間の少年と、楽しそうに笑う吸血鬼の少女のコンビは、西新への道の真ん中で立ち塞がっていた。
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