【3】 闇は嗤い哭く 2

 あたしが吸血鬼に噛まれて気を失い、目が覚めたとき、あたりは真っ暗だった。

 いつの間にか夜になっていたようだった。近くでうつむいている誰かがいる。


「紘平……」

 かすれて声がうまく出なかった。

 けれど紘平は弾けるように顔を上げた。あたしを覗き込む。

 あの男の吸血鬼のように、紘平の顔があたしの視界をふさいだけど、少しも恐くはなかった。


「二日も眠ってたんだ。死んじまったのかどうなったのか、分からなくてさ。良かった」

 紘平は心底ホッとした声を出した。


 その間紘平は、ずっと待っていてくれたのだろうか。もう、目を覚ましたって人間じゃないあたしを。

 どういう気持ちだったろう。

 他の吸血鬼が現れないか、人間の強盗が襲ってこないか気を張りながら、一人でただじっとこらえて待って。


 真夏の熱帯夜は、太陽が出ていなくたって汗がにじむ。紘平は気怠そうに大きく息をつく。

 水分を取っていないんじゃないだろうか。脱水が心配になる。


 だけど、おかしい。

 あたしは少しも汗をかいていない。少しも暑くない。

 町を歩いていた時はあんなに暑かったのに。紘平も汗をかいているのに。何も感じない。


 寒く感じるなんておかしい。

 自分の手を持ち上げる。何も変わったようには見えない。

 だけど、何かが確実に違う。


「どうしよう」

 思わず声がでた。

 どうしようもない。そんなことは分かってる。でも動揺がどこかからあふれてくる。


 吸血鬼なんて、みんないなくなればいいと思っていた。

 人間だったのに、人間を襲って食らう――血を欲しがるなんて、どう考えたっておかしい。あんなおかしな奴ら、いなくなるべきだと。


 そうしたらあたしたちは、この町にだって自由に来て、海に行って泳いで、好きなだけ外を歩いていられる。

 なのに。


 ――死んでた方が良かった。多分。

 どうしよう。


「大丈夫だ」

 紘平はあたしの手をとって、ビクリと肩を震わせる。

「指が冷たいな。多分、貧血だ」

 するりと言ってから、そのまま顔をこわばらせた。

 何気なく口にしたその言葉の、本当の意味を。




 地響きのような音が外から聞こえて、あたしは現実に引き戻された。

 顔を上げる。心なしか地面が揺れている気がする。地震か――思ったが、違う。徐々に近づいてくる。


 杏樹が険しい顔でガラス窓の外を見た。

 雲はまた空を覆い、曇天の夜空の下に明かりはなく真っ暗だ。


 暗闇では人間は動きにくいが、吸血鬼は夜目がきく。逃亡を見張るにも、外への備えにも都合がいいのだろう。

 病院の門から、黒煙で闇を更に淀ませながら、蒸気トラクターが入ってくるのが見えた。


「ヤクザども。ほんっとしつこいのね。帰ってくるのを見られたかしら。ふたてに別れて慎重に動くべきだったわ。あれだけやられて、まだ仕掛けてくるなんて思わなかった」

 杏樹がイラだちまぎれに吐き捨てる。その直後だった。


 ばしゅう、と大きな音が外で弾けた。ひと呼吸おいて、爆音が轟く。建物が揺れた。

 足を取られて、あたしも杏樹もよろめいた。


 また何か、大型の武器か。

 最初の音はトラクターとは別の場所からだった。爆発音は隣の建物か、レストランか。ここからは少し離れていた。

 トラクターは囮か。

 ほんとうにしつこい奴らだ。


「吸血鬼に夜襲なんて、いい度胸じゃない」

 杏樹は地響きをあげてロータリーを入ってくるトラクターを見ながら、窓ガラスに当てた手に力を込める。

 ビシ、と窓に亀裂が走った。

 また――ばしゅう、と音が響く。

 さっきより近い。


「伏せろ!」

 あたしは床を蹴って飛び出した。

 杏樹の腕をひっ掴み、窓から引き剥がす。勢いのまま、連絡通路の床に飛び込むようにして伏せた。


 後ろで轟音が弾ける。

 爆風が吹き付けて、ポンチョのフードが脱げた。夜でなければ、日に焼かれていたところだ。

 風が強く吹き付けてくる。ガラガラと瓦礫が崩れる音がする。

 振り返ると、さっきまで立っていた場所の窓と天井に穴が空いていた。連絡通路の床は残っているが、いつ崩れるか分からない。


 杏樹は床に転がったまま、ギリギリと歯を噛みしめる。つり上げた口が笑みの形になる。


「やってくれるじゃない。ここ破壊されたら不便でしょうがないんだけど!」

 華奢な少女は立ち上がって、吹き抜けになった通路から外を見た。


 病棟から連絡通路に駆けてくる足音がする。

 あたしは素早く起き上がって、転がったパドルを握った。


「杏樹、ここにいたのか!」

 史仁だ。

 昼間と同じように、シャツの上に防弾チョッキのようなものを着て、籠手などの防具をつけ、手に弓を持っている。

 杏樹は振り返って、風に髪を遊ばせながら笑った。


「やーねえ。心配しすぎ。この中なら安全よ。あたしはもう前とは違うんだし」

 史仁は、ぐっと言葉を飲んだ。

 杏樹はここに避難してきてから吸血鬼に襲われたと言っていた。史仁にとって杏樹の言葉は、受け入れがたいものだろう。

 何かを言いたげな顔をしたまま、史仁は破壊された窓の壁へ踏み出す。


「杏樹、そこから離れて」

「うん」

 蒸気トラクターの爆音が外をうろうろしている。あの音が空気と感覚を乱す。


 史仁は空いた穴の近くに身を寄せて、手にしていた弓を引き絞る。息を詰めて、待つ。

 その直後、ほんの一瞬、闇の中に光が弾けた。下のガーデンのあたり。

 ばしゅう、と発射の音が響く前に、史仁は瓦礫に足をかけて身を乗り出す。素早く矢を放った。


 弾は別の壁に着弾し、また轟音が響いて、建物が揺れる。別の階だ。

 そして史仁の矢は、光が弾けたあたりに、真っ直ぐに飛んでいった。どさり、と重いものが倒れる音がする。

 吸血鬼のあたしの目には、ロケットランチャーを構えた男の額を、矢が射抜いたのが見えた。さっき光ったのは、発射のときのバックブラストか。


 それから、屋上の辺りから光が弧を描いて放たれた。火矢が流れ星のように幾筋も飛んでいく。

 火矢は、あちらこちらに光を灯した。松明があらかじめ用意されていたのかもしれない。煙の臭いが風にながれてくる。


「好き放題してくれて。絶対に許さないわよ」

 杏樹は奥へ駆けていく。追いかけようとすると、くるりと振り返って、厳しい顔で行った。


「あんたは来なくていい。足手まといよ。よそ者に足並み乱されたら困るのよ。居住エリアに行って、誰も部屋から出てこないように伝えて。万が一にそなえてみんなを守ってくれたらいい」

 一階に降りた方が逃げやすいのではないか。

 それとも皆で集まってどこかに隠れたほうがいいのでは。思ったが、地震ならともかく、下に行けば略奪者がいる。


 部屋に閉じこもり、ドアを開けずにたてこもっていれば時間を稼げる。

 他の人が襲われている間に逃げることも出来るということか。


 あたしは杏樹たちと離れて、動かないエスカレーターのところから駆けあがる。皆が住んでいるのはこの建物の上の方だ。


 訓練されているのか、慣れているのか。これだけの爆発や破壊に、悲鳴や騒ぐ声は何も聞こえてこない。

 誰も部屋を飛び出して逃げ惑ったりしている様子はなかった。

 ただ、亨悟は別だった。


「おい、いつの間にかいなくなってるから、びっくりしただろ!」

 エスカレーターを駆けてくるのに行き会った。

「部屋に戻れ、杏樹達が対応してる」

「でもあれ、あいつらだろ」

 炭鉱ヤクザども。言うまでもない。

「俺を追って来たんじゃないのか。俺のせいで――」

 また爆音が弾けた。

 すこし上の階。入院施設のあるところ、皆の居住スペースだ。

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