【2】 絶望するにはまだ早い 2

 能古島側の渡船場が見える。

「どうせなら、もっと、島がきれいな時に見せたかったけどな」

 息を切らしながら、口をついて出た。こんな時に、何言ってんだと自分でも思うが。

 どうせ人に見せるなら、この自然豊かな島が、一番いいときが良かった。皆がのびのびと、日常を送っているときが。


 馬鹿だな、と紗奈は笑った。

「じゅうぶんだ」

 渡船場が近づいて来る。そして、銃声と怒声が、暴風に紛れて聞こえてくる。


 俺はボートに積まれていた信号紅炎しんごうこうえんを、ブルゾンのポケットにつっこんだ。発煙筒みたいなやつだが、発煙筒より炎が強い。





 渡船場についた時には、奴らの船がひとつすでに辿り着いていて、ヤクザたちの死体と、島のおっさんたちの死体が転がっていた。


 この島の弱点は、街がほとんど港に集中してることだ。

 みんな農作や魚を獲ったりして暮らしてるから、山にいることも多いけど、昔の名残で家がこのあたりに多い。


 何かあった時、山か海へ避難するよう、俺たちは叩き込まれている。

 だが海が荒れていて、船が出せなてない可能性がある。狼煙台はパーク跡にあるし、戦えない人たちは、たぶんあっちに避難してる。

 だけど、母さんたちは多分行ってない。七穂もだ。


「どこに行けばいい」

「たぶん診療所に母さんたちがいる」

 海岸線を、南に向けて走る。後ろから、わあ、と怒声が弾けた。

 思わず立ち止まる。


「何やってる、行け。食い止めてやる」

 紗奈は手袋をキリリと鳴らして、体ほどの大きさのパドルを両手で握りしめる。

「母親と妹を守れ!」

 仁王立ちで北を振り返った。




 診療所のドアを開けた途端、嫌な感じがして俺はその場に踏みとどまった。刃物が振り下ろされる。


「榛真!?」

 中から驚きの声が上がる。鎌を振り下ろした志織しおりさんがいた。


「びっくりさせないでよ!」

 それはこっちのセリフだけど、志織さんに非はない。志織さんの後ろでは、カウンターの陰からこちらをうかがう患者さんたちの顔がある。


「母さんと七穂は!?」

「七穂ちゃんは奥。須東すどうさんは外に、怪我人を助けに行った。中で先生が怪我人の治療してる」

 だろうと思った。


 俺は後を振り返らず、志織さんも患者たちもほったらかして、診療所の奥に駆けた。いつかと同じ処置室に駆けこむ。


 七穂は、奥の部屋の隅で膝を抱えて座っていた。蒼白な顔がこちらを見る。動揺していない、落ち着いた目だ。

 それがかえって、七穂の動揺を表していた。


 俺は駆け寄って、妹の前に膝をつく。

 ゼーゼーと七穂の喉の奥から音がする。見ている方が苦しくなる。

 駄目だ、死んだらダメだ。


 俺は泣きそうになりながら、ヒップバッグからペットボトルを取り出した。

 震える唇にペットボトルの口を当てて水を飲ませながら、俺は、自分の手の方がよほど震えているのに気付く。

 だめだ、俺が落ち着かないでどうする。


「深呼吸をしろ。ゆっくり息を吸って、吸って、吐いて、吐いて、吐いて」

 俺の声に合わせて、七穂が胸を上下させる。小さな口が懸命に空気を吸って、吐いて、生きようとしている。


「薬はあるな?」

 七穂はうなづいて、あえぐ息の合間から、声を絞り出した。


「帰って来てくれたの?」

 震える手が俺の手を握った。

「ああ、来るに決まってるだろ」

 七穂は、弱々しく笑う。


「ねえ、女探検家さん、見つけた? ちゃんと手当てしてあげた?」

 そんなこと言ってる場合か。

 あきれるのと驚くのと同時、見透かされてる気がして、焦る。薬を持って行ったと母さんに聞いたんだろうか。


「……ああ」

 手当てなんて必要なかったし、したような、してないようなものだったが。

「一緒に来たの?」

「ああ」


「会いたいな」

「お前がちゃんと治して、これが落ち着いたら、会わせてやる」

 外から銃声が聞こえる。爆発音が響いて、地面が揺れる。このゴタゴタが落ち着いたら。――生き延びたら。

 七穂はうなづいて、俺の手握る手に力を込めた。


「お兄ちゃん、わたしは、大丈夫」

 細く浅く呼吸を繰り返す。ぜえぜえと喉を鳴らしながら言う。

「気になるんでしょう。わたしは大丈夫。行って」




 診療所を出ると、紗奈が吸血鬼たちをぶちのめしてる向こうで、ガラスの割れる音と炎が弾けた。

 火炎瓶に焼かれた吸血鬼が、炎を振り払いながら、苛立たし気に間近の家に踏み込んでいく。炎が家に燃え移って、悲鳴が上がる。


 俺はその近くで、誰かの肩を支えながらうずくまる母さんを見つけた。

「母さん、何やってんだ!」

 俺の声に気づいて母さんは顔を上げた。


 診療所まで道を渡るだけなのに、怪我人が動けなくて来られないようだった。

 俺は駆け寄ると、ぐったりした自警団のおっさんを引きずるようにして、駐在所の中に押し込んだ。

 当然ながら、中に西見さんの姿はない。この騒動で、おとなしく駐在所にいるわけがない。


「ここでおとなしくしててくれ」

 おっさんの脚を止血しながら、母さんは俺を睨み付けた。


「お母さんは、人を助けるのが仕事なの! 放蕩息子の指図はうけないよ!」

 滅多に怒らないのに、すごい剣幕で怒鳴った。普段の俺への不満を叩きつけるようだ。


「分かったから、俺を死なせたくなかったら、おとなしく隠れててよ」

 言い聞かせるのは無駄だから、俺はさっさと駐在所を飛び出した。もうこの事態を早く何とかするしかない。


 外に出た途端に、俺はさっきまでそこになかったものを見た。――いなかった奴を見た。

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