【5】 ニワトリの恩 3
後ろからものすごいクラクションの音が鳴り響いた。
思わず振り返る。
俺たちが来た大濠公園からのとは別の道から、V字路に合流してくる奴らがあった。
俺はそっちの道の地下鉄からやってくるかもしれない吸血鬼を警戒していたが、まさか――まさか、さらにヤクザどもがやってくるなんて。
冗談じゃない。蒸気トラクターとセダンが一台、向かってくる。
しかも、セダンに箱乗りの男の一人が、何かを担ぎ出した。デカい筒状のもの。
――――おい、なんだそれは。
俺はヒヤリとして、急ブレーキをかける。タイヤが滑ってバイクが転倒する。
俺も紗奈も地面に投げ出された。
煙を上げて、でかいものが俺たちの横を通り過ぎていく。進行方向で着弾して、爆発した。
間近を走っていた車が一瞬爆風で持ち上がり、大きな音を立てて地面に戻った。
「なんなんだよ!」
俺は転がったまま喚いた。
間近で弾けた爆発のせいで耳が痛い。とにかく身体中が痛い。
幸いバイクの下敷きにはならなかったが。横を車が行き過ぎていった。
「ロケットランチャーとか! 馬鹿じゃねーのか!」
しかも、自分たちも巻き添え食うような距離で!
早く逃げないと。
俺は慌てて起き上がろうとしたが、身体中が痛くて思うように動かない。
「早く立て!」
紗奈がバイクを軽く起こした。
さすが吸血鬼は傷の回復が早い。反対の手で俺の腕を引っ張り上げようとする。
その手が触れる前――俺は思わずその手を叩き落とした。
紗奈が驚いた顔で俺を見る。
「触るな」
地面に両手をついて、何とか立ち上がる。
逃げようと顔をあげると、路地に逃げたはずの亨悟が、後ずさりするように戻ってきていた。そっちにも銃を構えたヤクザたちが先回りしていたようだ。
「待てよ亨悟。逃亡兵は死刑だって言ったよな」
蛇行しながら追い立てるように路地をやってくるバイクに、亨悟は血まみれの手をかざして弁明した。
「だから、俺は逃げたわけじゃなくて、和基さんに言われてここに潜伏してただけで」
残った車が追いついてきて、俺たちの後ろに停まる。二台分のエンジン音と黒煙が俺たちを取り囲む。
逃げないとまずい。殺意まみれの視線と銃口やボウガンの矢の狙いが俺たちを狙っているのは分かっている。
だがそれよりも、痛みと血に昂ぶった感情を、さっきの亨悟の言葉が煽っていた。
「お前、やっぱりそうだったのか」
出た声は、思ったよりも低く怒りにまみれていた。
「やっぱり、裏があったんだな」
島の人間じゃない奴の方が気楽なところがあって、多分それはお互い同じで、それで気があった。
誰も信用しないと思っていたけれど、やっぱりどこかで俺は油断していた。
それにつけ込まれたようで、紗奈のことが重なって、誰も彼もに馬鹿にされたような気がして、むかっ腹が立つ。
「いやそうじゃない、違う」
亨悟は慌てた様子で振り返る。この期に及んでまだ否定するのか。
「今そう言ったじゃねーか!」
「だから、そうじゃなくて」
亨悟はヤクザたちをチラチラと振り返り、俺をうかがい、オドオドと言った。その態度が余計に俺をイラだたせる。
さっきロケットランチャーを撃った奴が乗っていた車が追いついてきて停まった。
エンジン音が増えて、さらに俺たちを取り囲む。こんなことをしている場合じゃないが、俺はどす黒い気持ちのまま吐き出した。
「別にいいんだよ、どうだって。俺は別にお前のことだって信頼なんかしちゃいなかった」
他の土地からやってきた奴には何か理由がある。気が合ったって、それは関係ない。
この町には略奪者だらけで、俺は誰も信頼なんかしちゃいない。
吸血鬼、こいつらヤクザども、親切なふりで騙そうとする偽善者、それから気のいいふりをして近づいてくる嘘つき。
裏切り、なんかじゃない。最初から、別に、仲間でもなんでもない。
「――知ってるよ」
亨悟は唇を歪めて笑った。
その後ろからやってきたバイクが亨悟の頭を掴んだ。亨悟の顔が引きつって真っ青になる。
「逃亡兵は引き回しの上、死刑だ」
バイクに乗っていたスキンヘッドの男が楽しそうにデカい声を出した。ゲラゲラとまわりで笑いが起こる。
「待て」
V字路から合流してきた車から、男が一人降りてきた。一斉にヤクザどもの注目が集まる。
背が高く、革のジャケットを着た男は、仁王立ちで俺と紗奈を見る。
「亨悟は兵隊に向いていない。だから諜報をやるように俺が言ったんだ」
どうやらエラい人らしい。三十半ばに見える男は、あきれた顔で亨悟に言った。
「なんでこんなところをうろうろしているんだ」
「和基さん……」
亨悟は情けない顔でつぶやいた。スキンヘッドの奴が、本当だったのかというガッカリした顔で舌打ちした。
俺と紗奈に興味が移るのに、わずかの時間もかからなかった。
「こいつらはなんなんだ」
和基と呼ばれた男が亨悟に問うた。亨悟が生唾を飲む。すぐそばで紗奈が身構えたのが分かった。ハドルを握る手に力がこもる。
束の間、奇妙な沈黙が落ちる。低く響くエンジン音に囲まれた俺たちに、緊迫した空気が流れる。
その時だった。
「前を見ろ!」
ヤクザたちの誰かが叫んだ。
周りでアイドリングのエンジン音を響かせていた蒸気トラクターのうち一台が、急発進した。
けやきは鬱蒼と伸びて、緑の葉が路の上を覆っている。その向こうで、空は陰って、雲が太陽を隠している。
道の真ん中に、小柄な人影が立っていた。
車はアクセルを踏み込んだようだった。エンジンが爆音を上げ、人影に向けて爆走する。
車が衝突して人影を跳ね上げる、はずだったが。
ドンと心臓にくるような音を立てて車がぶつかり、止まった。
衝撃で運転席と助手席がつぶれ、後部が跳ねあがる。少しして、また大きな音を立てて地面に落ちた。
残った一台に乗った奴が、散弾銃をぶちかました。けれどその時には、人影は消えている。
大きく跳躍して、ボンネットに着地した。上から杭を打たれたような状態になった車は、つんのめる。
人影は素手でフロントガラスを叩き割る。バキバキに亀裂の走ったフロントガラスをはがして後ろに投げ捨て、悲鳴を上げた運転手を引きずり出し、また無造作に投げ捨てた。
再び散弾銃を向けた助手席の男の顔を掴み、顔面を握りつぶす。
悲鳴すらあげられず、血をあふれさせる男に、つまらなそうに言う。明るい声。
「こんなことで死ぬなよ」
――ゾッとした。
首筋から背中にかけて、おぞけが走る。
「血をもらわないといけないんだから」
身動きをとれずにいた俺の心臓が、嫌な音をたてた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます