【5】 ニワトリの恩 2

 俺は瞬間、紗奈を突き飛ばし、後ずさった。

 拳銃を握る手に力がこもる。まだ、銃口は下を向いたまま。だが、迷って震える。


「お前……!」

 言葉が詰まった。

 そんな馬鹿なとか、いや最初から変だったとか、だから他人に構うんじゃなかったとか、一瞬で色々頭の中がめちゃくちゃになった。


「だましやがって!」

 ――吸血鬼だ。


「だから、放っておけって言ったじゃないか」

 紗奈は無表情だった。はじめに会った時のように。

 さっき泣いていたのが嘘のようだ。


「こんなことをしてる場合か。あいつを追うんだろう」

「俺を油断させて襲う気だろ」

「今でなくてもとっくに殺せた。見殺しにもできた」


 実際、命を救われたのは三度目だった。

 紗奈は鼻のあたりまでフードを引っ張って、顔を隠した。日を避けて。


「とにかく、あいつにはニワトリの恩があるから、助ける。それだけだ」


 銃を握る手がまだ震える。

 こいつ、信用できるのか。今更考える。


 信用なんかできるわけがない、吸血鬼だ。

 俺を助けたのだって、油断させて情報を聞き出すつもりに違いない。俺の隠れ家だとか島のことを。――だけども。


 さっき、おにぎりを食べてコーヒーを飲んでいた。吸血鬼は食料を必要としない。

 それ以前に、食べられないはずだ。だけども。


 逡巡する。吸血鬼は絶対に許せない。

 だが、こんなことしてる場合じゃない。間に合わなくなる。


 強く、腹から息を吐きだした。


 銃をヒップバッグにしまって、俺はスワンボートに置きっぱなしだったリュックを拾い上げる。

 ついでに、地面に転がっている鉈を拾い上げて、ベルトに差し込んだ。


「妙な動きしたら、いつでもフード引きはがして、日の下に引きずり出してやるからな」


 転がった改造バイクを力いっぱい引っ張り上げ、俺は迷わず跨った。

 ハンドルのアクセルスロットルを回す。エンジンがひときわ大きな音を立てた。

 パドルを持った紗奈が、後ろの座席に飛び乗る。





 市民美術館側の出口から公園を出ると、目の前に巨大な鳥居がある。鬱蒼とした森に護られた護国神社ごこくじんじゃだ。


 その前を曲がって天神方面へ向かう道はV字になっていて、別の道と合流している。

 そっちは、地下鉄駅に続く道だ。地下鉄の廃線は吸血鬼どものなわばりだ。油断できなかった。


 この先のけやき通りは、けやきの街路樹が植えられた道だ。

 その脇にはしゃれた建物が並ぶ。もうすっかりコケや蔓に覆われているが。


「あっちの先には何があるんだ」

 爆音に負けないよう、紗奈が後ろから大声で言った。


 崩壊から20年、けやきはすくすくと育ち、根は煉瓦の歩道をひっくり返して、巨木から伸びた枝は道の中空を覆っている。

 巨木の立ち並ぶ下は影が濃い。そしてけやき通りは天神へ向かって伸びている。地下街ほどではないが、ここも危険な場所だ。


 しかも、徐々に空が曇ってきた。雲行きが怪しい。

 太陽が隠れたら、こんな場所、地上だからって少しも安全じゃない。

 俺は後ろに向けて怒鳴った。


「いちかばちか、あいつらを天神に誘導して吸血鬼どもにぶつける気だ」

 天神までたどり着けるか。

 それ以前に炭鉱ヤクザにやられる。切り抜けても吸血鬼にやられる。


 通りの向こうから、爆音が聞こえてくる。車が三台走っていた。箱乗りした奴らが、何かをはやし立てている。

 追いつくのは簡単だった。奴ら、スピードを落として走っていたからだ。


「亨悟!」

 やっぱり掴まっていた。


 首に縄をつけられて、車の前を走らされている。

 先頭の車の助手席の奴が、縄を持っているようだった。亨悟が歩道へ曲がろうとすると、容赦なく銃が足元を撃つ。

 弾は地面にめり込むが、亨悟は慌てて道路を進む。

 車はいたぶるようにゆっくり走っているが、亨悟が足をもつれさせて転んだら轢かれて終わりだ。奴らが止まるわけがない。


 よたよたと走る亨悟を、炭鉱の奴らがはやし立てる。馬鹿笑いが聞こえる。

 多勢に無勢すぎる。

 奴らのほうが武器が多い。亨悟をかすめ取って逃げるような芸当もできない。どうしたらいい。

 考える間に、バイクは奴らの群れに近づいた。


 群れの後尾の車で箱乗りしてた奴らが振り返る。気づかれた。


「このまま突っ切れ!」

 後ろから紗奈が叫ぶ。


 俺はもうやけくそに、バイクのスロットルを回した。

 スピードと黒煙を上げてバイクが奴らの群れに突っ込んでいく。紗奈は俺の肩に捕まると、椅子の上に立ち上がった。

 俺のリュックから突き出たボウガンの矢を掴んで、力いっぱい投げつける。


 弓を使いもしないのに、矢はまっすぐに飛んで行って、箱乗りの男の頭に突き刺さる。

 吸血鬼の怪力たるや。


 頭を貫かれた男が落っこちる。ハンドルを切ってそれを避ける間に、他のヤクザたちが、俺たちに気づいた。


 その間に、バイクは車に追い抜いていた。ついでに紗奈はパドルを振り回し、別の箱乗りの男を叩き落としている。


「なんだてめえらああ!」

 怒声が入り乱れた。


 俺は銃を取り出して、先頭の車のタイヤを狙った。銃声が鳴り響く。

 だが、当たらない。しかも反動でバイクがぐらついた。


 慌てて銃を持ったまま、ハンドルを支えた。こんなでかいバイクに二人乗りで、片手運転の上に、何かを狙って撃つなんて、俺には無茶だ。

 わかってるが、撃たなきゃならない。


「転んだらどうする、お前はおとなしく運転してろ! スピード落とすな!」

 俺の耳元で、紗奈が怒鳴った。

「うるせえ!」


 左横から車が迫ってくる。

 開いた窓から、運転手が何かわめいている。体当たりする気だ。


 紗奈は窓にパドルを突っ込んで、容赦なく男の顔面をぶっ叩いた。

 いや叩くなんて生易しいものじゃない、顔面ごと椅子のヘッドレストも貫いていた。即死だ。


 紗奈がパドルを引き戻すと、運転手の男の体が倒れて、ハンドルが反対側に回った。車は急カーブして、けやきの木に激突する。


 それから間髪入れずに俺の腰の鞘から包丁を抜き、先頭車の助手席の男の顔に投げつけた。

 包丁は男の喉を突き刺して、男がひっくり返る。手から縄が零れ落ちた。


「亨悟逃げろ!」

 猛スピードで進んでいた俺は、そのまま先頭車と亨悟の間を走り抜けた。

 言われるまでもなく、亨悟はけやきの陰に駆けて行く。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る