【1】 生への執着と欲望 2
俺たちは奴らを吸血鬼と呼ぶけど、あいつらは化け物じゃない。
知ってる。ただの人間だ。
ちょっとばかし狂暴で、身体能力が強くて、傷の治りが早くて、ぜんぜん老けないだけの。
日の光で火傷を負うようになり、他の生き物の血でしかいきられなくなったとしても。奴らの寿命がどうなってるかは、今のとこ分かってないけど。
まあ、十分化け物じみてるけど、もともとは人間だった。
母さんが、俺が吸血鬼を狩るのを嫌うように。ただの病気だ。
これが広まる前に、暴動が広がる前に、誰かがどこかで食い止めて、きちんと研究していれば、なおるものかも知れなかった。
物語の吸血鬼は、狂犬病がモデルなのかもしれないという説があるのと同じように、これも新しい病気で、そういった物語の怪物に見えるだけなのだろう。
――なんでだよ。今更。
俺は奴らが憎い。
俺たちはいつだって閉塞感でいっぱいで、人間の数は減る一方だ。
子供の数は少なくて、食料が無ければ吸血鬼だって、いつか滅びるしかない。
どちらかが滅びるのなら、奴らを消すしかない。
俺はいつも、あいつらをみんな消し去って、浄化して、大手を振って街で暮らせることを願ってる。
父さんの敵を討って、七穂が窮屈な思いをしなくていいように。
なのに、なんだよ、今更。
なんで、ちょっと苦しい。いたたまれない思いが湧いてくるんだ。
「俺はお前らが嫌いだ。あの黒い奴が俺の父さんを殺した。俺は、母さんと妹を守るって、父さんと誓った」
――父さんは俺が十二の時、吸血鬼に襲われて死んだ。
俺は、俺のせいで父さんが死んだのを、奴らのせいにしてるだけだ。知ってる。
「お前らなんて、消えればいいって思ってる」
「ああ」
覚えのある感情なんだろう。紗奈はうなづいただけで、俺を責めたりしなかった。
他の電車と連絡しているかららしい。だから、吸血鬼たちがやってくる心配は、ほかの沿線よりもずっと少ない。
駅にはシャッターが下りて、中に入れないようになっている。
俺は浮かれていた。
島から出るのは、三度目だった。父さんも他の人たちも、用心はしていたけれど、ここは能古渡船場から歩いて二十分くらいの距離だし、勝手知ったる場所だから、ちょっとは油断があったのかもしれない。
――もう三度目だったから。
慣れてきて油断して、一番危ない時期だ。
近づかないように言われていたシャッターに、俺はのんきに近づいた。
一緒に来ていた
ふいに、日陰から少年が姿を見せた。
黒いケープコートを着て、チェックのストールをぐるぐるに巻いた少年だった。
さらさらの黒髪の下から、白い肌が見える。黒々とした目が、俺を見て笑った。
日に焼けた俺たち島の子供とは大違いの、見たこともない、きれいな少年だった。
唖然とした俺の横で、志織さんが叫ぶ。大人たちが駆けつけた。
父さんが、俺に襲いかかった奴の手から俺を引っ張って、後ろに放り投げた。
俺は地面にひっくり返った。
その俺の目の前で、父さんは奴に噛みつかれた。
そして血を流しながら、地下鉄駅のシャッターの奥に引きずり込まれそうになっていた。
奴らは人間を狩ると、連れて行って血を抜き取って保管する。
俺は滅茶苦茶にわめきながら、奴の方へ突進した。それからよく覚えてない。
父さんは連れていかれなかったけど、死にかけて地面に倒れていた。何人かの大人たちも。
志織さんはロータリーのど真ん中で震えてた。
――妹と、母さんを守れ。
それが、父さんの最期の言葉だった。
わかってる。言われなくても、わかってる。
吸血鬼たちをみんな滅ぼして、家族と島を守る。そのつもりだった。
だけど、さっきの史仁と杏樹が脳裏から離れない。吸血鬼だって好きでなったわけじゃない。
「飲めよ」
俺は憮然と腕を突き出した。血がどくどく流れてく。
紗奈はきょとんとして顔をあげる。わかってる。俺だっておかしなこと言ってるの、わかってる。
「……いらない」
青白い顔で紗奈は言う。
死にたくないと言うくせに、かたくなに人間の血を絶って、どうするつもりなのか。
多分、自分でも分かっていないんだろう。
「どうせ流れてくんだから、もったいないだろ」
ぶっきらぼうに言うが、紗奈は少し身じろぎしただけだった。うつむいて言葉を落とす。
「いらない。人間の血を飲んだら、あたしも本当に、ただの化け物になる気がする」
「お前、杏樹たちを見て化け物だって思ったのかよ」
「いや――でも……」
紗奈の声は弱々しい。
血を与えることは、そいつの命の糧になって、その体の一部になることだ。それで死んだのだとしても。史仁が言ったように。
――シャクだけど、確かにそうだ。
そんなの、いきなり襲われて噛みつかれて死んだ人間からしてみれば、理不尽で仕方ないけど。
弱者は死ぬべきなのか。そんなの、許せない。それを肯定したら、七穂は生きていけない。
適者生存なら、俺たちか吸血鬼か、どちらが生き残るのか。
俺たちが全滅すれば、捕食するべきものがいなくなって、吸血鬼は滅びる。共倒れだ。だから意味がない。
俺たちが生き残るべきだ。やっぱり思いはここに帰結する。
吸血鬼はいなくなるべきだ。血なんか与えるべきじゃない。
だけども。
顔を合わせて、知り合った奴に、簡単に死ねなんかもう言えなかった。
不器用に駆け回って、ニワトリの恩だとかに固執して、俺たちを助けた奴に、死ねなんて言えない。
「襲って殺してないなら、まだ化け物じゃねーだろ」
少なくとも、黒いコートのあいつとは違う。狩りを楽しんで、俺たちを嘲笑うあいつとは。
早くしろ、と腕をもう一度突き出す。痛いからさっさとしろよ。
紗奈はためらいがちに膝立ちで近寄ってきて、俺の腕をとった。
血まみれの腕を見る。
紗奈も、さっきの史仁のことを考えているのかも知れない。
「牙たてるなよ」
白い顔が近くにある。
おずおずと、傷口ちかくに唇を寄せた。やわらかい感覚が触れて、思わずびくりと腕が震える。
舌が腕を這う。ぬるりとした感触。
噛まれて、傷口から感染するんなら、キスしたらうつるだろうか。
一瞬、そんなバカバカしいことを考えた。
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