【6】 木陰に鬼は潜み 2
バイクの爆音が響く。紗奈はバイクで突進してくると、俺と少年の間に割り込んだ。
行きすぎて、Uターンして戻りながら急ブレーキをかける。さすがにヤツも慌てて後ろに下がる。
「早く乗れ」
「俺に指図するな! 俺はこいつを……!」
「偉そうなことを言ってる場合か! 今は分が悪い。相手が多すぎる」
俺たちが怒鳴り合っている間に、亨悟を追い回していたやつがバイクを力任せに引きずり倒されて、吸血鬼に捕まった。
亨悟はあわてて逃げようとしたが、別の奴に追い詰められた。
やばい助けないと。
――だが、助ける理由なんてどこにもない。あいつは島の人間ですらない。俺を騙してた。
俺の視線を追って、紗奈はバイクを降りた。
「あいつはあたしが助ける。お前は逃げろ」
俺の腕を掴んで、俺にハンドルを持たせようとする。
「あいつにはニワトリの恩がある」
「うるせえ、お前もあいつもどうでもいい」
吸血鬼の紗奈の腕の力は強くて、もがいでもふりほどけない。
開き直れず迷う俺を見透かされたようで腹がたった。
だいたいなんでこいつが亨悟を助けるんだ。吸血鬼のくせに。ニワトリの恩とかこだわるなんて、人間みたいじゃないか。
訳の分からないイライラを、少し離れてこっちをニヤニヤとみている少年の視線が煽る。
「俺は、あいつをぶっ殺さねーとだめなんだ!」
「何がだめなんだ、そんなこと意味があるのか!」
紗奈が声を荒げる。
「お前はこんなところで死ぬ気なのか!」
「てめえが言うな、吸血鬼!」
こいつも誰かの命を奪って、のうのうと生きているくせに。
こいつらのせいで俺たちはいつも身を縮めて、息を潜めて生きていかなきゃならないのに。
なんでこいつにこんな事言われなきゃならないのか。吸血鬼のくせに。
「うるさい! ごちゃごちゃ言い合ってる場合じゃない、さっさといけ!」
紗奈は、今までにない剣幕で怒鳴り返してきた。俺は思わず口をつぐむ。
なんで俺を逃がそうとするのか。生かそうとするのか。どうせ、俺たちは餌でしかないのに。
ヤクザたちと吸血鬼たちの争う声と銃声があたりで響き渡っている。実際、言い争ってる余裕なんかなかった。
俺はもう一度あの少年を見た。ブランドもののチェックを着た、あどけない少年。
ここで、こいつを、ぶっ殺す。でも力の差は歴然で、まわりには敵しかいなくて、俺には武器はこんな鉈しかなくて、残れば確実に死ぬ。
そんなことは分かってる。それくらいの覚悟でかからないと、こいつは殺せない。
だがこんなところで死んでいいのか。仇討ちをするために死ぬつもりなのか。
――七穂の顔が思い浮かぶ。ワガママなんかたくさん言いたいだろうに、我慢して、寂しそうなのを隠して笑っていた顔。
絶対帰って来てねと、声を震わせていた。
七穂だけじゃない。この荒廃した時代に生まれた子どもたちの誰もがそうだ。せめて、守らないといけない。あの島を。
俺はひったくるようにバイクのハンドルを握る。
紗奈は手を離して、脇に抱えていたパドルを握り直した。ぐっと腰を落として両手で振りかぶる。
背筋にゾッと悪寒がはしって、俺はあわててかがむ。
紗奈が振り回したパドルが、俺の後ろに迫っていた男の頭を叩きのめした。かに見えた。
ブルゾンのフードを目深にかぶってマスクをした男は、革手袋をはめた手で、紗奈のパドルをしっかりとうけとめていた。
俺の頭の上で男とにらみ合う紗奈が、ちらりと俺を見る。
俺はもう考えるのをやめた。かがんだままでハンドルのスロットルを回す。紗奈を残したままバイクを走らせた。
――亨悟。
左足のクラッチを踏む。俺はスピードをあげて、亨悟を掴まえている吸血鬼の方へ向かった。
亨悟と目が合う。こいつを、助けたって。俺のことを、この辺りの情報をヤクザどもに流されるだけだ。
俺を騙して油断させてた、嘘つきだ。――でも。
こいつを助けたときのことを思い出す。
あのときも吸血鬼に襲われていた。情けない顔はあのときも今も同じだった。
俺を騙そうとしているようには見えなかった。もう何が嘘で本当で信じられるのか、分からない。
だから何も信じたくなかったのに。
通り過ぎる前に、手を伸ばそうと思った。
一瞬迷ったその隙に、ヒョウと空気を裂く音が聞こえた。俺は思わず手を引っ込めて、頭を下げる。弓矢が、近くの欅に突き刺さっている。
俺のバイクは亨悟たちの横を通り過ぎる。視界の端に、俺が向かうのと別の路地から、馬が出てくるのが見えた。
くそ、史仁まで来やがった。
振り返ると、首根っこを掴まれた亨悟が引きずられていくところだった。
すぐは殺されないはずだ。そして黒煙を上げる車の向こうで、紗奈がパドルを振り回している。
そして少年は笑いながらこっちを見ていた。そのあどけない姿が遠くなる。
逃げるのか、逃げるべきなのか。あいつをぶっ殺さないといけない。亨悟たちを助けるべきじゃないのか。
どうするべきなんだ。頭がごちゃごちゃになる。
ただとにかく――死ぬわけに行かない。
俺は左足のクラッチを踏む。スロットルを全開にして、そのままバイクを走らせた。
第二部へ
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