【3】 花の島は銃器が守り 4

 家に戻って朝飯を食べた。朝炊いたばかりの白飯と、芋の入ったあつあつの味噌汁は、外では絶対に食べられないものだ。

 七穂のおしゃべりを聞きながら食べる飯は、腰を落ち着けてゆっくりできるおかげか、身に染みるほどうまかった。

 学校に七穂を送っていくと、別れ際、七穂は俺に小さな包みをくれた。


「お兄ちゃん、これ持って行ってね。いつもの」

「サンキュ」

 俺は中を確認せず、とりあえずリュックにしまう。


 妹の小さな背が学校の中に消えていくのを見送ってから、診療所に立ち寄った。朝早く、まだ患者は誰もいなかった。


「母さん、抗生剤と痛み止めくれ」

 診察室で忙しそうに棚を片付けている母は、俺を振り返っていたずらっぽく笑う。こういう顔をすると、七穂とそっくりだ。


「怪我してるの? 昨日七穂が診たでしょう。また騙したの?」

 人聞きの悪い。実際たいした怪我はしてない。

「俺じゃない。俺を助けてくれた奴」

「女探検家さん?」

 情報が早すぎないか。


「……そうだよ。もし会ったら渡す」

「見つけたら、ちゃんと助けるのよ」

 母さんは俺が昨日持ってきたエコバッグを差し出した。俺は受け取って中身を確かめる。

 昨日渡した薬のかわりに、島で培養したペニシリンの小さな瓶や錠剤が入っている。用意がいい。俺が言いだすのなんて読んでたんだろう。


 はたしてこれをあの少女がうまく使えるのか分からないけど、痛み止めくらいは飲むだけだ。

 痛がってる様子はなかったけど、俺みたいに意地っ張りなのかもしれない。

 会えないなら会えないで、別にいい。俺が使う。


「まず、怪我をしないようにしてね。あなたも、誰も。亨悟くんもよ」

 母さんは説教したくてたまらないようだった。これはさっさと退散するに限る。

「だいじょうぶ、だいじょうぶ。分かってるって」

 俺が早口にたたみかけるように言うのを、母さんは苦笑した。


「ねえ、本当に、無茶しないでよ」

 静かに、言い含めるように言った。


「母さんは、仇討ちよりも、あなたに生きていてほしい」

 その言葉に、違う意味も含まれてるのを俺は知ってる。


 俺が外で吸血鬼と戦って、怪我したり死ぬのが不安なだけじゃない。母さんは、俺が吸血鬼を殺すのが嫌なんだ。

 俺たちは、あいつらを吸血鬼と呼ぶけど、本当はあいつらは妖怪でもなんでもない。人間だ。


 母さんは看護士だからか、吸血鬼に同情的だ。口には決して出さないけど。


 昔、と言っても二十年くらい前、海外で人の顔を食ってる人間ヤツが見つかったりして、大騒ぎになったらしい。 

 襲われた人は血のほとんどを失って死んでいた。ドラッグのせいだとか、異常者だとか大騒ぎになった。それから、同じような事件がどんどん増えた。あっという間だったらしい。


 模倣犯だとか悪質ないたずらだとか言われていたらしいけど、世界で増え続け、明らかにおかしいと世間が騒ぎだす。

 同じ頃に、多臓器不全で死ぬ人間が増えた。これがどうも同じものが原因だとわかるのに、一年くらいかかった。その間にどんどん広がっていった。


 突然変異なのか、どこかの国の細菌兵器なのか知らないが、ウイルスのせいらしい。パンデミックだと大騒ぎになったそうだ。

 おかしな奴に噛みつかれると感染して、全身の機能を損なって、たいていの場合はすぐ死んでしまう。


 空気感染も飛沫感染もしない。唾液感染だとか血液感染だ。それが分かるのにも時間がかかった。

 狂犬病の亜種みたいなものじゃないかって言われているけど、結局治療法なんか見つかっていない。


 吸血性紫外線過敏症だとか、敗血起因性吸血症状だとか、もっともらしい病名がつけられたようだけど、そのへんの記録はぐちゃぐちゃになっていてよくわからない。


 噛まれて、運よく生き延びても、罹患したら前と同じではいられない。


 この国は、世界での混乱に少し遅れたけれど、結局封じ込めに失敗した。

 一度感染者が外に出てしまえば、それはもう、止められなくなった。

 この国の狂気は、緩慢としたものだったに違いない。だけど一度火が付いたら、止められなくなるのは想像に難くない。


 静かな同調圧力は、終末の前だって、今だって同じに違いない。


 罹患者は異常者だと決めつけられ、日に弱いから、魔女狩りのような事も行われたと聞く。 

 もともと病気で外に出られない者も、日に当たっていないからと言って、外に引きずり出された。それだけでなく、虐殺されることもあったようだ。


 罹患者には意志がある。

 少しばかり凶暴になったり、異常な身体能力を持ったりするけど、知性や知識を失わない。

 日光に弱く、生きものの血が必要だ。特に人間の。味覚や体質が変わって、それ以外のものを受け付けられなくなるらしい。それはやっぱり吸血鬼だ。


 人間なのに、人間を襲う。

 警察や自衛隊も生存者を保護していたけど、彼らの中にも犠牲者が出たり、過激派に武器を奪われて、暴動が起きた。


 結局、ウイルスと俺たちの生存競争が膠着して、今の状況になった。


 吸血鬼は知恵を絞って人を襲うし、生き延びるために人間を家畜にしようとする。あいつらがいる限り、俺たちは堂々と街を歩けない。

 化け物じゃないから、十字架とかお祈りなんてものも、まったく効かない。効くわけがない。


 あいつらを全部殺して、ウイルスを消しされば、安全に暮らせるようになる。失われた、俺の知らない文明は二度と戻ってこないだろうけど、怯えずに生きていけるようになる。七穂だって、今みたいに息を詰めて生きていく必要はなくなるはずだ。

 俺はそう思ってるけど、やっぱり母さんの前では口にできない。母さんはそんな俺の気持ちを知っていて、お互いに、肝心のことは何も言わない。


 ――父さんは、吸血鬼に殺されたのに。


「分かってる。俺は生きて、母さんと七穂を守る」


 父さんとの約束だ。

 妹と、母さんを守れ。それが最期の言葉だ。

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