玉翰

 改めて謝名利山が提出した書類を読むと尚豊は額を抑えた。

 本日の朝議は例の訴え以外に、いくらか議題があったが程なく終了した。

 先程の食事のせいで腹の中央あたりがやけに重い。いろいろな意味で体調が悪くなっている気がする。

 気を使って紅琳が置いていった白湯を飲むと、体中に温かさが染みるような気がした。

「…すまないが、紙と筆を持ってきてくれるか、書簡を出したい」

「かしこまりました」

 控えていた紅琳に声をかけ、音もなく出ていくのを見送って、尚豊はもう一口白湯を口にした。

 まずはとりあえず翁寄松の宅を調査しなければならない。

 そして、この書状にある通りの物的証拠を手にする必要がある。

 おそらく、謝名利山が調査の直前に翁寄松宅にその証拠を隠すのだろう。もしかしたら既に隠されていて、翁寄松がそのままにしているのかもしれない。

 いずれにしても、なにがしかの証拠は出てくる。

 それをもって翁寄松は身分を剝奪され百姓に落ちる。

 本格的な戦いの前に、琉球をせめて二枚岩くらいにしなくてはならないが、翁寄松を百姓に落とすことでどれほどの離反があるだろうか。

 彼はこれまでの功績がある。琉球内部にも彼の処罰に意を唱える者はいるだろうし、大和との繋がりも厚いためそちらの対応も必要になる。

 口を挟む隙を狙っている相手に隙を見せてはならない。

 思った以上の難題に頭を抱えかけた、その後ろ。

「朝昌様、お客様です」

 紅琳の声に顔を上げれば、見慣れた顔を伴っていた。

「蒼志…お前は本当に絶妙な登場だな…」

 呆れたように呟けば、蒼志はにやりと口端を上げて。

「助かるだろ?」

「呼び出す手間は省ける」

「と言うか、お前俺を呼び出せるのか?」

 言われて、そう言えば知らないなと思い至った。

 ボケた顔を晒した彼に、蒼志は笑みを深くする。

「間抜けめ」

「…虐めてくれるな…疲れてるんだ」

 二人のやり取りを見て、紅琳は小さく笑うと手にした書道具を尚豊の机に置き、代わりに白湯を手にして下がる。

 茶を持ってくるのだろう。

 予想通り程なく彼女は茶器を持って入室してきた。

「お二人とも、まずは腰を落ち着けなさいませ」

 ゆったりとそう言うと、茶器を卓の上に据えてそのまま出て行った。

 尚豊は書状を机に伏せて重しを乗せると、椅子の背に体を預け。

「こっちに移動したらどうだ?」

 ちゃっかりと卓に着いて茶を勝手に入れ始めた蒼志は言う。

 それに促され、尚豊は重い体を引きずるように席を移動した。

「謝名利山は訴えを起こしたか?」

「ああ、近々予定を立てて翁寄松の元へ調査に行く」

「お前直々にか?」

「話もしたいしな」

 彼が持っている大和の情報は引き出しておきたい。百姓に落ちたのち、平和に暮らせるとは思っていまい。すぐに身を隠すだろう。

 こちらから連絡が取れなくなれば、翁寄松から尚豊へ連絡を入れることはない。目の前の男と違って。

「そうか。で、書簡は誰に?」

「菊隠と言う僧侶に。翁寄松から推薦されている。なんでも長らく大和に渡っていたらしい。薩摩の島津とあちらの…幕府と言ったか。その連中とも縁があるらしい」

 そのほかにも喜安と言う男の名を上げていた。こちらは王の侍従なので直接話をするつもりでいる。

 いずれも大和の情勢を知る者たちだろう。自分たちと対峙する人間の人となりを、考え方をまず知ることが大事であるはずだ。

 尚豊は小さくため息を吐けば、蒼志は成程な、と茶を飲んだ。

「お前はお前で頭を働かせるわけだ」

「当たり前だ。あとはこれまでの大和との書簡やら記録を持ってきているが…読めば読むほど頭が痛くなるな」

 放置しすぎたのだ、端的に言えば。

 歴代の、自分の伯父にあたる王にも一言文句を言ってもよいのかもしれないと尚豊は思い始めている。

「よい心がけだ。で、その心がけの一助を担うために、俺もちょっと大和に行ってくることにした」

「―――は?」

 何と言ったのだこの男は、と呆けた表情をしたのが尚豊にも分かった。が、ちょっと待ってもらいたい。

 昨日今日思い立ったからと言って行ける所ではないはずだ。

「ん?大和に?」

「そうだ。俺はお前さんとは違うからな。いざとなれば交易船に乗れるのさ」

「いや、それはわかるが」

「もう行きの船は確保している。適当に書簡は出すだろうが、そっちから送るのはやめてくれ」

 この男はいちいち会いに来るたびに尚豊を驚かせる。

「…わかった、もう好きにしてくれ…」

 どうせ一平民に書簡など出すことはできない。情報を流してくれるならそれはそれでよいだろう。

 玉石混合であっても、今尚豊は情報を何よりも必要としている。そして、その情報をどのように扱うかが尚豊に課せられた仕事なのだ。



 蒼志が言いたいことを言って去った後、尚豊は用意した文具で書状を認める。

 宛先は菊隠宗意。首里城よりほど近い場所に千手院を建立して隠居しているらしい。

「紅琳、すまないがこれを届けてくれ」

 本来であれば位階を持つ側仕えを派遣すべきだが、今尚豊が完全な信頼をできる相手は、この故郷から連れてきた女官とほかの武官しかいない。

 武官を派遣するのはあらぬ誤解を与えかねないし、女が一人いればそれだけで相手の警戒心も解けるだろう。

「承りました。すぐに参ります」

 尚豊の意を汲んで、紅琳は素早く動く。

 彼女はきっと菊隠を伴って戻ってくるだろう。

「その間に、私は喜安に面会しよう」

 既に外は暗くなっているが、侍従は首里に寝泊まりしているものも多い。

 尚豊も凝り固まった体を伸ばすと、側仕えへ王への先触れを頼んだ。

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