清新

「顔を上げなさい」

 柔らかい声が、頭上から降ってくる。

 言葉の通り顔をあげれば、その声に似合いの柔和な笑みが迎えた。

 年の頃は、尚久の幾つか下と記憶している。

「此度は要請に応じてくれて、感謝している。大金武王子に比べれば頼りないだろうが、今日から私を父、妃を母として勤めてくれると嬉しい」

 手で指し示された先、妃も王に劣らず温和な笑みで一つ頷いた。

「叔父上自慢の従兄弟に会えるのを楽しみにしていました。わたくしからも、此度の事に感謝申し上げます」

「勿体無いお言葉でございます。不肖の身なれど、力を尽くさせていただきます」

 再び平伏して口上を述べる。

 歳の差はあれど、実は此処にいる3人は従兄弟にあたる。

 全員3代前の尚元王の孫にあたるのだ。

「さあ、こちらでまずはお茶にしよう。従兄弟と言えど、今までまみえた事はない」

 まずは話をしよう。と、その柔和な笑みに違わない柔らかさで、尚寧は手招いた。

 少し躊躇って、尚豊はその招きに応じる。

 小卓に3人が座ると、静々と女官が茶を運んできた。

「金武からは少し離れているから、旅は辛くなかったかな」

「間切より出たことがありませんでしたので、不謹慎にも楽しんでまいりました」

 父へ決意を述べてから半年。新年を迎える少し前、尚豊は金武間切を後にした。

 新年は首里で迎えられるようにと、併せて間切を後にした。

 数名の武官と女官を連れたこじんまりとした旅は、殊の外自由がきいて楽しめたのも事実だ。

 武官の他に所々で現れる蒼志に、終盤では武官も女官も皆警戒を解いていた。

 武官と言えど戦った事はない。そんな彼らに簡単な稽古をつけ、時折鳥や兎を手土産に現れる気さくな−−−それも主たる尚豊がさほど警戒していない男に、彼らは懐柔されたとも言うのかもしれない。

 とは言え、生まれてからずっと住んでいた御殿を離れた寂寥は存在する。

 今この瞬間も不安で押し潰される思いだが、最早致し方ない。

 幸いなのは漸く辿り着いた首里城で、迎えたのが柔和そうな国王夫妻だった事だ。

 早々に旅装を解き、慌ただしく湯を使って着替えをし、いまこの場にいる。

「叔父上とは時折お会いする事がございましたが、朝晶殿は良く似ておいでですわ」

 自慢の息子になりますわね。と、彼女は他意なく王に微笑んだ。

 王も、それに応じる。

「今、この国は少々困難に面している。金武での手腕を此処でも奮ってもらえると、助かるよ」

「若輩者ですが、力を尽くします」

 先ほどと同じ、もはや定型分のような口上を述べると、王は困ったように首を傾げた。

「近日中には世子として披露目をしよう。今まで金武間切で間切の経営をしていたのだから、そう多く学ぶ必要はないだろうが、教師もつける。多少勝手は違うだろうから」

「ご配慮有り難く。…陛下に一つ、お願いがございます。お聞きいただけますか」

 卓上の茶で口を湿らせると、尚豊は慎重に口を開いた。

 尚寧が頷くのを確かめて。

「書庫への立ち入りを許可していただきたいのです。可能であれば、禁書庫も」

「書庫に関しては問題ない。今日にでも書庫の役人に伝えておこう。ただ、禁書庫は少し待ってもらいたい。聞得大君に話を通しておく必要がある」

「ありがとうございます」

「大君にも披露目の前に挨拶する必要があるな…都合を聞いて、時間を取っていただこう」

 聞得大君とは琉球の神事を司る神女ノロの統括者で、代々王家の女が就任する。

 必ずしも公主や翁主がなるものではなく、王妃が兼任する場合もある。

 当代は、尚元王妃の梅岳がその地位にあった。彼女は元々浦添親方の血筋だ。王家の出ではない。

「大君の事は父が気にしておりました。お会いしたらご様子を金武に伝えてもよろしいでしょうか?」

「そうか、これは失念していた。勿論教えて差し上げるといい。差し支えなければ、叔父上のご様子も大君に伝えてあげて欲しい」

「心得ました」

 梅岳は尚豊から見て血の繋がらない祖母にあたる。

 尚久は、尚元王夫人梅嶺の子であるが、梅嶺は尚久出産の折に命を落としている。

 その為か、既に一男一女を育てていた王妃である梅岳に生まれた時から養育されていた。

 尚久が「母」と言うと、大抵がこの梅岳であり、彼女も実子の2人と分け隔てなく尚久を育て、その子である尚豊たち兄弟にも実の孫として折々の祝いなどを送ってくれていた。

 尚久夫妻も、折に触れて彼女と文の遣り取りをしているらしい。

 尚豊自身は、彼女は首里を離れた事はないため直接面識はない。しかし、今までの例を兼ねて挨拶をするのは礼儀だろう。

「大君は近頃お体が優れずにいらっしゃるの。どうか、お見舞いを兼ねてご挨拶に行っていらっしゃって」

 王妃は、聞得大君の余命は幾ばくも無いという。

「お身体を起こすこともできないそうなの。お見舞いに伺っても気を使わせてしまうからと、わたくし達も最近はお伺いしてもお目にかかれないのよ。お側には妹がいるのだけど、妹からお話を聞くだけなの」

 王家の女は、成人と共に号を名乗る。目の前の王妃は南叢といい、近しい者はこちらを呼ぶ。

 祖母の梅岳も号だ。そして王妃の妹、次代の聞得大君の号は、月嶺と言った。

「…この後伺う事は可能でしょうか。お身体が優れない事は金武にも伝わっていたため、気になってしまって…」

「すぐに都合を伺おう。…正直な所、明日をもしれないのだ、速いに越した事はない」

 王はそう言うと、すぐに側仕えを呼んで事の次第を伝える。

 側仕えは言葉を受けるとすぐに聞得大君のもとへ歩き去った。

「ご配慮、感謝申し上げます」

 頭を下げる。

 その下で、少しだけ、幸先が悪いと不謹慎にも考えた。

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