花陰の鋒
「こんな姿で、ごめんなさいね…」
弱々しい、一つ一つの音を出す度に、命がこぼれ落ちていくような声だった。
寝台に横たわったまま微笑むその様は、枯れ木のようだ。
「とんでもございません。朝晶と申します。初めてお目にかかります、大君」
「そんな他人行儀はやめて頂戴。おばあさまと呼んで」
ね、と。笑む頬は肉が削げ落ち、双眸は落ち窪んでいる。
医学には何の教養もない尚豊でも、一目で彼女の前に死が佇んでいるのが分かった。
それでも尚豊の前で、聞得大君は微笑んだ。
「孫に会えるなんて、嬉しいわ。朝公は金武に行ってから、首里に上がっても、ここには顔を出さないのよ…」
近くに来てと言われて、寝台の側で膝を折る。
寝台の足元の方には、月嶺だろう女性が影に隠れるようにひっそりと立っていた。
「おばあさま、この度王の要請し従い、世子として首里に上がりました。よろしくお願い致します」
跪いたまま小さく頭を下げると、彼女は笑みを深くして。
「こちらこそよろしくね。あぁ、嬉しいこと。まぁまぁ、顔をよく見せて」
目が、喜色に染まる。
「そこにいるのが、月嶺よ。貴方にとっては従姉妹の1人ね。わたくしの後任になるわ。よしなにしてやってね」
言われて、月嶺は尚豊に対して頭を下げた。応じて、尚豊も返礼する。
「お初にお目にかかります、月嶺殿」
「ご丁寧にありがとうございます。月嶺でございます」
王妃に面差しが似た。そして、祖母の梅岳にも、彼女はよく似てた。
決して絶世の美女ではない。美しさは首里まで同行さした侍女の紅琳のほうが上かもしれない。
だが、彼女や祖母の佇まいは凛として、あくまでも人の上に立つものであると示している。
そして、人の上に立つ責任を正しく理解している。そんな風情が姿に見える。
姿形ではなく、そのあり方が美しい女性だった。
恐らく、彼女がこの困難を、王や自分とともに超える者。
「もう大君としての全ての仕事は、月嶺に任せているの。何かあったら彼女に相談すると良いわ」
細く、枯れ木のような手で尚豊の手をさすると。
「…ごめんなさい、少し疲れたわ」
梅岳は大義そうに目蓋を閉じた。体力も限界なのだろう。
「お時間をいただき、ありがとうございました。また、お目にかかりに参ります」
跪いていた腰を上げ、一礼。それに応じる声は無く、かわりに細い息遣いが聞こえた。
音を立てずに月嶺が扉を開ける。そのまま尚豊の案内として前に立った。
背後には音もなく紅琳が着く。
「大君は、もう長くはないでしょう」
不躾とも取れる言葉を、月嶺が敢えて発したように思う。
尚豊はただ、頷いた。
「…
大君の即位式は大々的に行われるが、葬儀はとにかく目立たずに終わらせる。
当代大君の血縁はこの場に多くいるが…確かに尚豊が、時間的に余裕があるだろう。
「勿論、やらせていただきます。その前に、王には許可はいただいているのですが、大君の状態を金武の父に伝えても良いでしょうか」
聞得大君の健康状態は、王のそれと同様に機密情報になる。
王は快く応じてくれたが、次代の聞得大君の許可も得た方が良いだろう。
そう判断して問えば、月嶺も頷いてくれた。
「構いません。是非教えて差し上げてください。…大君の御子でご存命なのは金武王子だけですから」
聞得大君は尚元王妃として一男一女を産み、一男を養子として育てている。
月嶺の父尚永と尚寧の母。養子として尚豊の父である尚久。その内尚久以外は既に故人である。
「次々御子がいなくなってしまって、大分気落ちしておりました。
もう、体を起こせなくなった頃もその頃だ、と月嶺は落ち込むように肩を落とした。
「是非、金武王子からお返事をいただけると、大君もお喜びにらなるのでは…朝晶殿…」
「はい。父にはそのように伝えます」
「…ありがとうございます」
月嶺は深々、腰を折った。
あてがわれた私室で手紙を書き紅琳に送る手配を頼むと、少し冷えた茶を口に含んだ。
茶は明からの貿易品で高価なものだ。王城の茶は金武の物より風味が豊かな気がする。
気がするだけだが。
「冷めてて旨いのか?」
ふっと息を吐いた途端背後から聞こえた声に、尚豊は手にした茶器を落としそうになった。
茶器が手の内に収まっているのを確認して、背後を振り返る。
「蒼志…」
変わらず腰に帯剣したまま、部屋の入り口に無造作に立っている。
はっきり言おう。ここは寝室だ。蒼志の背後に応接を兼ねた部屋がある。
「…流石に寝室に入る時には声をかけたらどうだろう」
少し砕けた口調になったのは、王城への旅路の間だ。
「してるだろう?」
足元に視線を落とす。確かに室内に入ってはいない。
「扉を開ける前だ」
はぁ、と大仰に息を吐けば、蒼志は喉の奥で笑った。
「聞得大君の余命は、あと数日だ。返信が間に合えばいいな」
この男はさらりと人の心に杭を打つ。
睨み付けるように見返せば、彼はひとつ肩を竦めて室内に入り込む。
「蒼志の事を聞こうと思ったのだが、聞く時間がなかった」
「尚思達の話か?王にでも聞けばいいだろう。読んでいる気はしないが」
この男は本当に言葉を飾らない。
恐らく、自分の前では意図的にそうしているのだろうとら尚豊は思う。
誰と相対しているか。それで、言葉と態度を変える。
「明日は三司官との顔合わせか。ご愁傷だな」
だから何故自分の予定を知っているのか。もはや疑問に思う事も面倒な気がして、尚豊は背後の蒼志から視線を外した。
空いた席の向こうは窓からの景色だ。
遠く、琉球の海が見える。
「一応、私の召還は三司官の承認も得ているはずだから、あからさまにどうこうはないと思うが」
蒼志が、ニヤリと笑う気配がした。釣られて振り返れば、やはり面白そうに笑っている。
これは、底意地の悪い事を考えている時の顔だ。
時々この男はこう言う顔をする。旅路の最中、こんな顔をしていた時は大抵子供の悪戯のような事をされた。
今度は何だと眉根を寄せれば。
「三司官は問題ない」
座った尚豊の前。
空いている椅子に勝手に腰をかけ、余っている茶器に勝手に茶を入れる。
冷めた茶を飲み干して、彼は茶器を弄び。
「気をつけるべきは、
「謝名?」
「
「頭が回るんじゃなかったのか」
「なんというか、誰に対しても平等に居丈高で尊大でな。真っ正直に思った事を言うんだが…間違ってはいないんだがなぁ。調整とか根回しとかそう言う事を殊更嫌ってるような男だ。ついでに礼儀がない」
「なんだってそんな男が仕官できる…?」
「士族だからな」
蒼志は弄んでいた茶器を卓に戻すと、やはり底意地悪く笑った。
「この男、近々
「は?」
到着早々、嫌な話を聞かせないでもらいたい。
尚豊は、間抜けな声しか出せなかった。
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