憂患

 摂政しっしー三司官さんしくぁんを前に、尚豊は背筋を伸ばした。

 摂政は尚宏しょうこう。義父となる尚寧の同腹弟、今後は義叔父となる。

 三司官は向里瑞しょうりずい馬良弼ばりょうひつ、そして翁寄松おうきしょう

 尚宏はまだ若い青年と言えるが、三司官はもう老年に差し掛かった年頃と言えた。

 向里瑞は、この中で尚豊と遠い血縁があると聞いている。

 向氏は王族である尚氏の分家の名乗る氏だ。王子を名乗った人物から数代下ると、父が尚氏を名乗っても子は向氏を名乗る。

 例外は母が王女など王族である場合になるが、尚寧、尚宏がその例に当たった。

 実際尚寧は王の子として生まれたのは曽祖父であり、尚寧の母が王女でなければ、彼の異母弟達と同じく向氏を名乗る事になったはずだ。

 尚豊も、首里に来なければいずれ孫か曽孫が向氏を名乗っただろう。

 ちくりと、胸が痛む。肩が落ちそうになるのを何とか堪えて、4人を見渡す。

 紫冠に金簪を戴いた1番年嵩の男ーーー翁寄松が好々爺の表情で。

「そう緊張召されるな。ここにいるのはご立派なものでも無い、ただの年の行ったジジイどもでございます」

「その様な…申し訳ない、まだ、慣れておりませんで…」

城間親方ぐすくまうぇーかた、まだお若い方はお年を召した男と言うだけで取って食われると思うものです。かく言う私も、親方とお会いする時にはいまだ勇気がいりますよ」

 何をどう答えたものか、と考える前に尚宏が笑みを含んで声を出した。

 これは、侮られたと思うべきか、助け舟と思うべきか。

 それすら判断がつかない。

 故郷では事前に父が注意すべき相手を教えてくれていたものだが、ここではそれが一切ない。

 己の足で立たねばならない。

 守られていたのだと首里に着いて2日目にして改めて痛感した。

 何より昨日蒼志が実に要らない情報を投げて寄越すものだから、翁寄松が気になって仕方ない。

 紫冠を戴き、にこやかに声をかけるこの老人が、近い内に陥れられると、彼は告げた。



「近々城間盛久は謝名利山の讒言で追い落とされる」

 茶器を、卓の上でくるくると回し、唐突に蒼志は言った。

「王がどこまで抵抗できるかわからん。謝名利山が珍しく根回ししてるものだから少し探ってみたものだが…。恐らく聞得大君の亡くなる機会に動くだろう」

 あくまで俺の予想だが、と。

「蒼志は、城間親方に面識はあるのか?」

「ない。俺は一般小市民だぞ。親方なぞ、接点がない。だが、為人はそれなりに人の口に上る」

 それによれば、彼はいわゆる穏健な人物だという事だった。

「腹の中で何を考えているかまではわからんが、これまでの行動を見ればなるべく穏便に事を済まそうとするだろう。謝名利山はその限りではない」

 気位が高く、居丈高。

「相手が誰であろうと基本、自分や琉球の王に頭を下げて然るべきと考えている。まぁ、明の後ろ盾があると思っているんだろうな」

「明の後ろ盾?あるのか、そんなもの」

 明と琉球は確かに交易はあるし、留学生の行き来もある。

 没交渉どころか一時戦闘状態にあった大和よりは友好的な関係を結んでいると言える。

 だが、それだけだ。

 後ろ盾とは言えないどころか、大和と琉球で戦争が勃発したところで海を越えて援軍が来る事はないだろう。

 明は、それほど琉球に価値を見出していない、というのが尚豊の認識だった。

「あるわけないだろう、そんなもの」

 即答の蒼志も同様の認識だったようだ。

「現状、明もその国力が衰えている。他国の内政に首を突っ込んでいる余裕はなかろうよ」

「…介入されたらされたで、問題が出るだけか」

「滅びゆく国の介入と、これから興る国の侵略のどちらがマシか、というだけだがな」

 耳の痛い言葉を放つ。

 尚豊は、器に残った茶をの飲み干した。


 現実は考える間を与えてくれない事が多い。

 目の前で過ぎて行く議題を尚豊はひたすら頭に刻んでゆく。

 成る程、翁寄松は確かに穏健な意見を述べている。

 彼がこの場で1番年嵩なのだろう、彼の意見が通りやすい。

「昨年に続き、今年も旱魃による農家の困窮が各地で予想されております。減税のみでは追いつかなくなってきております」

「国庫を開くとて、もはやその国庫にも余裕はないじゃろう。…摂政、なんらかの新たな方策を立てねばなりますまい」

「仰る通りです。各地の親方も交えて方策を話し合う必要があるでしょう…」

 内憂外患とはまさにこのことではないだろうか。

 尚豊は改めて、今置かれている状況の危険さを実感した。

 

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