薄明

 望まない未来を提示され、早晩使者に答えを返さなければならないとはいえ、目の前の仕事が無くなるわけではない。

 尚豊は2年前より父の仕事の補佐を始め、今年から市場の管理を任されていた。

 月に1度、代表者との会合の為市場へ出向く必要がある。

 使者が来てから3日後、尚豊は会合帰りに市場の活気を眺めながらそぞろ歩いていた。

 その、背に。

「困っているか?」

 突然、声がかかった。

 それも耳元。己に掛けられた声だと間違う事なく判断できる距離。

 音をたてて振り返れば、護衛と尚豊の間。至近距離で両手を上げる男がいた。 

 咄嗟に護衛の1人が尚豊と男の間に体を捩じ込む。尚豊自身、無意識に数歩下がって男と距離をとった。それ程近かったのだ。

 男の背後に残った護衛2名が腰のものに手をかけるのを見て、漸く両手をあげる男の風貌に目をむける余裕ができた。

 背の中程までの髪を編んで、1つに纏めている。歳の頃は20歳に手が届くかどうか。容姿は整っているが、日に焼けたその風貌は精悍。

 身長は周りより頭半分大きく、6尺(約180cm)程だろうか。着物の上からもわかる鍛えられた体躯だが、決して圧を覚えるほどがっしりとしているわけではない。若竹のようなしなやかさが見て取れた。

 そして何より目に付くのは、その腰に下げられた2振りの刀。

 蒼い房飾りの長刀と紫の房飾りの短刀。2本差しをしているものなど、この琉球ではあまりいなかった。

 護衛3人に囲まれても、身構えるでもなく薄く笑んで、両手を上げたままだ。

 だが、その3人に一巡り視線をやると。

「駄目だな。俺が声をかける前に動け。そのお坊ちゃんを十分殺てしまえたぞ」

 言葉に不釣り合いな笑みを浮かべて、男は言う。

 気色ばむ護衛達を視線で抑え、尚豊は口を開いた。

「貴殿は私を殺しに来たのか?」

 些か間抜けな問いだが、尚豊は敢えて問うた。

 男の言葉に真実味がなかったからだ。彼からは殺気と言うものを感じない。

 生憎殺気と言う物を向けられた事がないので確証はないが。

 だが男は尚豊の予測通り、肩を竦めて。

「いや、殺すつもりならとっくにそうしてるし、わざわざ声もかけん」

 ニヤリと笑った。

 そして。

「いやはや豪胆だな、王世子」

 特大の爆弾を投げて寄越した。

 首里から使者が来たのは既に御殿に勤める者には知れた事実だ。

 だが、その使者が齎した内容を知る者は限られている。

 父が側近と母以外には箝口令を敷いたし、使者との対面の場にいた人間も最小限だ。

 多少目端の効く者は使者の目的に気付いた可能性はあるが、それとてこうも断定的に告げられる筈はない。

 御殿に勤める者の顔と名前は把握する事が父の方針だ。

 この男は、過去に御殿で見掛けたことはない。

 なのに、何故。

 表情を変えずに内心だけで身構えた尚豊を、男は更に笑みを深くして見やり。

「今時分に首里から使者が来ていれば、大概予想はつく。そう驚く事でもあるまいよ」

 何でもない事の様に言って退けた。

 賢明にも事情を知らない護衛達は、動揺を悟らせる事なく男に対峙して。

「何か、御用でもおありか」

 先の言には触れずに、敢えてそう応じた尚豊に男は、笑う。

「困っているか?」

 改めて、男はそう問うた。


 尚豊の故郷である金武間切と首里はさほど離れていない。

 これは父が有力な王位継承者候補だったからに他ならない。

 父はその有能さを買われ、男子のいない尚永王の後継として長く目されていた。

 たが、いざその時に父は王位を固辞し、尚真王に元王世子の曾孫を推した。

 その理由を、尚豊は知らない。当時既に2男2女を得ていた父は、その意味でも一番の候補だったはずだ。

「単に、優秀すぎたのさ」

 男は、蒼志そうしと名乗った。

 少し話をしよう、と彼は尚豊を気楽に誘うと近場にあった茶屋の店先に腰をおろした。

 腰を下ろすとさっさと自分と尚豊の茶を女給に頼むと、いつまでも腰を下ろさない尚豊に対してポンポンと己の隣を叩いて見せた。

 仕方なしに、尚豊はそこに腰をおろす。護衛はただその背後に立った。

「王の異腹の弟。夫人腹とは言え尚元王の直系男子。その上当時既に複数の子がいて妃は懐妊中でもあった。与えられた間切を豊かに治めていてその統治手腕も申し分ない」

 何の瑕疵もなく、王に立てただろう。だが。

「優秀過ぎれば困る重臣もいる。大金武王子自身が野心が無かったこともあるだろうが、要らぬ政争を避けたかったのもあるだろう」

 争いは良くも悪くも疲弊させる。それが国の中枢で起こればその影響は国の芯に響く。

「お坊ちゃんの父上は当代の王の方が、王族と親方の間をうまく取り持てて、更に傀儡にはならないと見た。そしてそれは、当たっていた」

 ところが、なんの因果か根の問題は解消されなかった。

 尚永王は男児はおらずともまだ女児がいた。だか、尚寧王には子がいない。

「お坊ちゃんは年齢もさることながら、子沢山も期待されてる。当代王の実子ができても、逃げることはかなわないだろうなぁ」

 尚豊は溜息を吐いた。先日使者に会った後自分でも考えたことを肯定されると

気が滅入る。まして、この男は真っ向から尚豊を種馬扱いもしている。

 市の端。盛況な茶屋の店先でするには些か込み入り過ぎる会話の中で、尚豊は男を慎重に観察した。

 自分の考えを肯定される。それはつまり事情に詳しすぎるのだ。

 王の駒かと思えば、話し方が少し客観的すぎる。

 尚豊の視線を受けて、蒼志は笑みを深める。

「お坊ちゃんは随分と無口だな。異議があるなら口を開け」

「特に異議はない。よくまあ知っているものだと思っただけだ」

 蒼志に合わせてぞんざいな言葉を吐けば、背後で護衛が目を細めた。

「それで、困っているかとはどう言う意味だ?」

 いつまでも蒼志と尚豊の考えの突き合わせをしていても仕方ない。

 おそらく本題だろう最初の言葉の真意を問えばそのままの意味だと蒼志は告げた。

「お坊ちゃんは次代の王になる。俺の読みでは、当代よりお前の方が難しい舵取りをさせられる。だから、困っていたら助けてやろうと言うのさ」

 お前は要らんと言うだろうが。

 彼は、女給が2人の間に置いた茶の器を1つ手にして、言う。

「これは、約定だからな」

 お前達が約定を違える事と、俺が約定を違えない事は、話が別なのさ。

 蒼志は尚豊には欠片も理解出来な言葉を紡いだ。

「約定?」

 約定とは1人では締結できない物だ。

 その相手は、彼の言では尚豊と思われる。

 だが、記憶を浚ったところで彼とは初対面であるし、他の誰かと約定を交わした覚えはない。

 昔、両親と弟妹が生まれた時によく面倒を見るようにと約束した覚えはあるが、そんな可愛い物でもないだろう。

 はて、と首を傾げた尚豊に、目の前の男は茶を吹き出しかねない勢いで笑った。

「ふ、はは…!いや、お坊ちゃんと交わした物じゃない。流石にお坊ちゃんと俺は初対面だし、大金武王子とした約定ってわけでもない」

 溢しそうになった茶を置く。

「まあ、そうだな…お坊ちゃんは知らなくていい。ただ、俺の約定の相手は、お坊ちゃんだと俺が決めたと覚えておいてくれ」

 そう言って、彼−−−蒼志は懐から銭を出すと女給に手渡して立ち上がる。

「なあお坊ちゃん。アンタが尻込みするのは正しい。だが、今現在この状況を打開しようとする尚氏はアンタしかいないだろう」

 だから、早めに腹を括るといい。

 ひらりと手を振って、蒼志は歩き出す。

 尚豊はただ、その背を見送った。

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