征野

 首里城では、登城した者は御庭うなーの南側にある番所ばんどころで取次ぎを行う。

 その後、御書院ごしょいんにある王の執務室に通される。尚豊は王世子として、控えの間である鎖之間さすのまでその時を待った。

 朝議は概ね、この御書院で行われる。百浦添御殿ももうらそえうどぅん(正殿)で行うこともあるが、その場合は儀式としての色合いが強い。

 今回はそのようなこともないので、番所の後ろに位置する御書院で行う。

 尚豊は鎖之間で茶を飲みながら、本日の議題を見返していた。

 本日の議題は、翁寄松の糾弾が占めている。議題の提出は考えるまでもなく謝名利山だろう。

 朝議は王と王世子、摂政と三司官、最後に親方で行う。

 謝名利山はその唐名からなを鄭迵と言い、湖城殿内こぐすくどぅんちを拝領している。

 鄭氏ていしの祖は、久米三十六姓くめさんじゅうろくせいと呼ばれる、今から200年ほど前に明の初代皇帝(洪武帝)より下賜された職能集団の子孫であり、明との繋がりが強い一族だ。

 移住、帰化は明からの命令によってなされており、彼らは久米に入植し多くの学者や政治家を輩出、琉球各地で親方や雲親上ぺーくみーを務めている。

 鄭迵もその例に漏れず、明の国子監こくしかんへ留学し学を修め、政治家として今働いている。

 儀間殿内ぎまどぅんち蔡氏さいしなども学者として名高いと、尚豊は聞いている。

 蒼志は鄭迵を「馬鹿」と評していたが、決して頭は悪くない。殿内はよく治まっているし、今まで大きな問題も起こしていない。

 過去の朝議記録を読む限り、彼の言葉は決して間違っていないのだ。

 だが、正しいからこそ質が悪い。確かに彼のいうことは正しいが、実現に多くの困難を伴うことや、物理的、金銭的にできないこともある。

 国は、決して万能ではない。確かに民の生活を保障する体制ではあるが、それには必要不可欠なものもある。

 端的に言えば、それは金であり、人であり、時間だ。

 彼は少し、その点を考慮に入れない発言が多い。特に金。

 国は金の生る木を持っているわけではない。国の金は多くが民が納めたもので有限だ。

「…うーん…勝てる気がしない」

 ぼそりと呟いた声を、彼を呼びに来た侍従がたまたま拾った。

「いかがなさいました」

「いや、うん…何でもない。時間か?」

「はい。皆様お揃いです」

 王世子が呼ばれるのは摂政の後、王世子の後、王が出御して朝議は始まる。

「わかった。行こう」

 茶を置くと、尚豊はゆったりと立ち上がって戦場へと向かった。


 細長い広間の中、三司官を先頭に親方が整列して座している。

 一番上座側に摂政である尚宏が座し、尚宏に対面するように、尚豊は腰を下ろす。

 尚豊が座って間もなく、王が出御した。

 出御に際して、尚豊、尚宏が叩頭すると、習って親方も叩頭し。

「皆、顔をあげよ」

 王の声に応じて、頭を上げる。

 尚宏と尚豊が親方に対するように向きを変えて、朝議が始まる。

「本日の議題について」

 王の後ろに座す近習が、声を上げる。

「謝名親方より、丑日番うしのひばん法司ほうし、城間親方に叛意あり、真意を糺す」

 謝名利山が、立ち上がる。

 広間の前方、王の前に進むと一礼して。

「予てより、城間親方は大和との親睦を深めてまいったのは、周知の事」

 朗々と、語りだした。

 尚豊はこの時初めて謝名利山を見た。

 黒に近い紫の胴衣どうじんに、親方の位階を示す服よりも明るい紫の八巻はちまち

 身の丈は然程大柄ではない。

 だが、筋肉質ながっしりとした体格は、服の上から見て取れた。白いものが混じりだした顎鬚を豊かに蓄え、50も半ばという年齢よりは幾分若く見える。

「その伝手を使って、城間親方は我が国の情報を大和へ流し、不当な金銭を得ているのです」

 ふっと、糾弾されている翁寄松が笑んだ。

「城間、何かあるか」

 ひとまず訴えを行った謝名の言葉を聞き終えて、尚寧は問う。

「我らは国交を断絶しているわけではありますまい。世間話くらいはするし、取引もする。そのようなことをいちいちあげつらわれては適いませぬ」

「不当な金銭を、と申し上げた。証拠についてはこちらに」

 懐から紙類を出すと、ずっと王の前へ進める。

 だが尚寧はそれを取らず、尚豊へ視線をやり。

「…拝見する」

 短く言うと、尚豊は後ろを見た。

 王と王世子、摂政にはそれぞれ近習がつく。

 尚豊付きの近習が謝名が取り出した書類を尚豊の前に進めなおす。

 それを見て、謝名は鼻白んだように目を眇めた。

 何故、王より先にお前が読む。そう、視線が訴えているが気付かないふりをして、その証拠を読んだ。

 翁寄松が大和の商人と接触した日時、場所、そしてその商人の証言。

「城間殿、この神屋かみやという者はどういった相手か?」

「筑前国博多にある商人の店の者ですな。神屋は屋号と申しまして、店の名でございます」

「取り扱うものは?」

 尚豊の問いに、翁寄松は肩を一つ竦めて応じ。

「なかなか手広くやっておりますのでな、正直これ一つとは申せませんな。我らとの主な取引品は茶に関わる物が多うございます」

「茶?」

「茶葉や茶道具でございます。神屋の現当主は茶人でありますゆえ」

 真っ白な髭を撫でながら、翁寄松は流暢に答えた。

 茶道具というのは、最近になって大和から流れてきた喫茶の手法である。それは、首里から僅かに遅れて、金武きんにも知られ始めているものだ。

 明より輸入する、蒸して乾燥させた茶葉に湯を注いで抽出する茶ではなく、茶を挽いて粉にした茶を湯に混ぜて飲むものらしい。

 古来よりあった団茶(茶を研って粉にして固形化したもの)でもない。

 尚豊もかろうじて知っていた。その喫茶を見たことはないが。

「この中では、その中に銀も含まれていると記載があるが」

「銀も扱っておりますよ。神屋は銀山をもともと保持しており、純度の高い銀を扱います」

「銀は国際貿易の取引で扱われる対価です。銀があれば最新の武器や火薬を得ることができる。城間親方は私兵と武器を集めるために銀を取引しているのです」

 銀の話が出たところで、勢い込んで謝名が声を上げた。

 確かに銀は貿易上高値で取引される。

 銀を持てば、最新式の武器も、火薬も手に入れることができるし、兵糧を得ることもできる。

 銀を過剰に持つことは、疑惑を持たれることもあろう。

 だが。

「性急に結論を出すのは早いでしょう。王よ、確かに城間殿は銀の取引を行っている。だが、量が少ない」

「量が少なくとも、数を重ねれば蓄積されます」

「…謝名殿は少し口を閉ざされよ」

 親方とは言え、王族の言葉を遮ることは許さない。意識して居丈高に言えば、謝名はムッと口を閉ざす。

 それを見て、改めて尚寧へ向き直る。

「とは言え、謝名殿の懸念も最もです。これに関して、私に調査の権限をいただけますか」

「対大和に関する一切を、王世子に委譲している。良いよ、すべて任せよう」

 尚寧の言葉に、ざわりと親方一同が声を上げた。

 謝名も目の前で目を見開いて、尚豊を見ている。

 動じなかったのは、尚宏と翁寄松、それから三司官の一人であり、尚寧王と尚宏から見て叔父にあたる、向里瑞しょうりずい

 翁寄松は面白そうに、向里瑞は特に表情を表すことはなく。

「皆にも言っておこう。近年大和との関係は悪化の一途を辿っている。商人など、民の間では問題なく交流はできているが、国家間としてはその限りではない」

 ゆったりと尚寧は一同を見渡して。

「尚永王の頃より、大和は我らに臣従を求めている。今も謝恩師を求められているが、我らはこれを黙殺してきた。だが、いずれこのままではいかなくなろう。近々、貿易にも影響が出てくると思われる」

 尚豊が、背筋を伸ばす。

 まっすぐに、尚寧を見据えて。

「ここにいる、王世子に対大和のすべての権限を委譲する。今後は王世子にその判断を仰ぐように。関係を好転させるも、悪化させるも、すべて王世子に任せる」

 聞きようによっては、明確に投げ渡したものともとれる。

 だが、尚寧は笑った。

 その視線が、尚豊へ向かう。

「君が王となったとき、この国をどこへ連れていくのか。それを示すとよい。―――任せたよ」

「…謹んで、拝命いたします」

 丁寧に、頭を下げる。

 尚寧が今できる、最大限の激励を、体すべてで受け止めた。

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