瞋恚
「この度は恙無くお勤めいただき、お礼申し上げる」
摂政は顔を見るなりそう言って丁寧に頭を下げた。
尚豊は面食らいながらも返礼する。
「とんでもない。御助力いただきありがとうございます」
「それで、このような時間にどういったご用件で」
勧められた椅子に腰をかけると、尚豊の侍女が2人の前に茶を置く。
摂政である尚宏の側仕えはすでに退出した後だったらしい。
「このようなお時間に申し訳ありません。明日からまた朝儀が始まりましょう。その前に、確認したい事がございます」
茶に手をつける前。尚宏の目をひたと見据えた。
「摂政や王は、大和との関係をどのようにするおつもりかを」
誤魔化す事なく、真っ直ぐに問うた。
いささか虚を衝かれたように、尚宏が目をみはる。
「現在国内はよく治っていると考えて良いでしょう。この時期に王世子を定める必要性にかられたのは、大和との交渉に起因しているはず」
「…王世子の問題は兼ねてより合った事ですよ」
「血統からしても王世子は私か弟達になるのは納得しています。ただ、時期が時期だと考えています」
尚寧王は父と同年代だ。尚豊は第6子で四男。上の兄3人は早世している為嫡子となった。
弟はいるがまだ幼い2人で、兄達の事を考慮すればこのまま無事に育つと判断するのは早計と父母は恐れている。
つまり、尚豊が王家に移ってしまった今、金武には現時点で尚久の確かな後継がいない状態だった。
現状唯一育った後継を、それも特段問題のない、将来を嘱望された嫡男を王世子に望んで、金武がすんなり受けられるとは王家も思っていなかっただろう。
まして、王や王妃はまだ子を望める年齢でもある。実際王の実弟たる尚宏には子もある。
それでも無理を通したのは、それだけの理由があるはずだ。
「先だって、我が国の船が大和から送り返されて以来、大和は王に謝恩使を送るよう要請されていますね。そして、それに我が国は応じるわけにはいかない」
謝恩使とは、琉球の王の即位に対する謝恩を「宗主国」に対して遣わすものだ。現在の琉球の宗主国は明であって大和ではない。
「約10年前には明は宗主国として李朝の援助して大和と戦をしています。我が国としても明は宗主国。本来であれば大和との交渉などするに値しないはず」
だが、それでも歴史的な背景もあって完全な没交渉ではない。逆に明からすれば大和との緩衝材であり窓口に琉球はなっているのだ。
だが、琉球が大和に謝恩使を送れば話は別だ。
「明は現在衰退が激しい。度重なる戦のために財政が悪化している。皇帝は長く後宮に篭り朝儀には出てこないと言います。だがそれでもまだ国力は大和に勝る」
大和は実質的に明との戦に敗れている。戦自体には拮抗したのだろうが、戦の最中に総大将が没したため戦役は尻切れに終わっている。
この戦役の起因は大和の李朝の臣従、最低でも国交貿易を目的としていたと尚豊は考えている。
おそらく李朝に矛先が向かったが、そもそも琉球もその射程に入っていたはずだ。
当時の総大将は既に亡いが、大和はその後の国内戦乱が落ち着いた今、明と地続きでもなく、明としてもいざと言う時は切り捨てられる琉球に、いずれ侵攻を開始するだろう。
李朝や明と、事を荒立てることなく交易ができる。
「第二尚氏王朝が興って以来、大きな戦もなく軍もない。武力に抗う力は我が国にはありません。包囲されれば1日だって保ちますまい。そして、明からの援軍は期待できない」
「…随分と情報に精通されておられる」
尚宏は冷めた茶を一口飲むと、ゆったりと尚豊を見、そして手元に落とす。
「王世子は何をお尋ねになるか」
「王や摂政はどこを落としどころと考えておられるかを」
金武を出る頃から、既に分かっていた。
考えるべきは、負け方だ。
いかに琉球に負担が少なく、負けるか。
「…さすがは大金武王子の嫡子。ご聡明でいらっしゃる」
「嫌味なのか誤魔化しなのか判断に困る回答は不要です、
「純粋に感嘆しています。…王も大和の侵攻はもはや避けられないとお考えです」
手の中の茶器を弄ぶ。その口元は不快そうだった。
「正直な、そうですね個人的な感想を言えば、私も兄も、面倒に巻き込まれたな、と思っています」
本来であれば、自身も尚寧王もこのような最前線に起つはずではなかった。
彼らの子供は尚氏から向氏になり、王族とは言えない地位に降りるはずだったのだ。
それが、この苦難に直面するに至っている。
「正直、大金武王子が恨めしくて仕方がない。何故王位に立たなかったのか、立てなかったのか。…もはや尽くせる手はないのです」
「それはこの国がどのようになろうと感知はしないと?」
「流石にそこまでではありませんよ。私にも妻も子供もおります。ただ…なす術が無いのです」
「謝名親方が城間親方になりかわろうとしている事をご存知ですか」
「いいえ。ただ、やりそうだなとは思いますね」
無気力に笑う。
「王もそのようにお考えか」
「打つ手がない、とはお考えですね」
その応えに、尚豊は心臓が破裂するのではないかと思った。
全身の血が逆流しているように感じる。
「摂政。今すぐ王に謁見を依頼したい」
手元に落ちた、視線が上がる。
「何を?」
射抜く。目の前の、男を。
「あなたも私も、そして王も、王家の血に連なります。第一尚氏王統を
背負わねばならないものがある。
そんなこと、彼らの半分も生きていない尚豊ですら知っている。
「持っている情報を全てください。その上で、王とあなたの命を私が預かります」
その命を寄越せと、宣う。
今、この王家にある最上の3つの命を。
「この首でどこまで贖えるかわからない。それでも、私は背負うものの責を果たす」
この国の、王子なのだから。
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