供香を纏う

 聞得大君が身罷ったとの一報は、正月を10日ほど過ぎた頃に齎された。

 新年の祭祀は全て代行である月嶺が行い、恙無く終わった直後の事だった。

 梅岳の葬儀は、聞得大君の就任儀礼である御新下うあらうりりの準備の陰で静かに進められる。

 棺の中で静かに眠る祖母の上。花と父からの書簡を添える。

 父から書簡に対して、返信は送れなかった。代わりに父には祖母の死を伝える書簡を出したが、先代の聞得大君の葬儀に遠方から父母が来ることはない。

 尚豊と、侍女の紅琳と数名の文官が立ち会っている。

 祖母の遺体はその身分により玉陵たまうどぅんに運ばれる。玉陵の中は3室に分かれており、そのうちの一室に朽ちて骨になるまで留め置かれる。

 骨になった所で洗骨され、骨壺に納めて安置する。

 最後に会った頃から半月も経っていないにも関わらず、ひと回り以上小さくなったように見える祖母の姿に、尚豊は無性泣きたくなった。

真和志聞得大君加那志まわしきこえおおきみがなし、安らかなお眠りをお祈り申し上げる」

 傍に膝をつき、最上級の礼を。

 このまま神女を筆頭に玉陵へ向かう事になる。

 眠る祖母の手を握る。

 数度しか会えなかった祖母であるが、尚豊はその安らかな眠りを心から祈った。


 新たな聞得大君が従える一行が斎場御嶽せーふぁーうたきへ向かうその背を見送って、尚豊は蒼志の言葉を思い出す。

 彼は、聞得大君の継承の時期に謝名親方——鄭迵ていどうが動くと告げた。

 彼は翁寄松は穏健派であると言うが、どちらかと言うと親大和と言えるようだった。

 尚豊自身、政務が一時的停止している今を利用して現状の勢力図や各人のこれまでの発言などを確認して見た結果の判断だ。

 翁寄松は書家でもあるが、その書は大和の王族が起こした書流を祖としているらしい。

 らしい、と言うのは尚豊にそれが「そう」であると言う判断がつかず、翁寄松がそう称しているので「そう」であると言われている。

 琉球ではあまり書に重きを置かない。大和から移住した書家や僧、茶人と言う者もいるが、それらが広く知られるようになったのは最近の話だ。

 それまで文化はあってもそれらを記録に残す、と言う事をしてこなかった為、自身の歴史すら口伝による所が大きい。

 政治的な記録は残っているが、それも近年になってからである為、書物と呼ばれる物を読む習慣もない。

 そのような意味で、過去の尚思達王が残した日記を当代の王が読んでいないのも実は不思議でもなんでもないと尚豊は思う。

 翁寄松にしても鄭迵についても、尚豊は数少ない過去の議事と明への渡航記録、あとは蒼志や文官から聞いた限りの情報に過ぎない。

 そこから分かった範囲では、翁寄松は親大和、鄭迵は琉球王国のなかでは強硬派。そして尚寧は鄭迵を評価している事実だった。

 王が評価している。それが真実であれば翁寄松を退いた鄭迵の讒言は、彼の利己のみではない可能性があるのではなかろうか。

 記録を紐解いてみれば、琉球船の一件よりも前、2代前の尚元王の代から大和との火種はあった。

 大和の使者である島津と言う者が派遣した僧へ働いた非礼を理由に、尚元王が親征した記録があった。

 尚豊や尚寧王の出生前であれば自分たちが知る由もないが、父や尚永王は既知の事実だっただろう。

 果たして尚寧は知っているのだろうか。

 尚豊は、未だ尚寧の真意を確認できていない。謁見を申し込んではいるが、その矢先に先代の聞得大君が身罷った。

 避けられているのかと感じたが、さて。

 尚豊は喪を理由に数日執務から離れている尚寧は後回しに、尚宏攻略を先んずることに決める。

 空を見上げれば、まだに差し掛かっていない。

 まだ執務室にいるだろう。尚豊は先触れを出す為に侍女に声をかけた。

 

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