第一幕 THE GOD'S ADVENT《017》
「お腹いっぱいだ……」
もう動けない。総介のリクエスト券は寮監・
真尋はパタリと二段ベッドに倒れると、ぼんやり上の段を見上げた。
放課後のあの公演が、なんだかずいぶん遠くに感じる。劇の最中のことだって、実はあまりよく覚えていない。ただ、萎縮して縮こまっていた心がどんどん解き放たれていくような、そんな感覚を覚えている。演じているうちに、芝居の楽しさを改めて感じることができた。もうずっと忘れていた、観客の前で舞台に立つ感覚、その高揚。
真尋は知らず浮かんだ笑みを片手で覆った。うっかりしていると、嬉しさでずっとニヤニヤしてしまいそうになる。
動画で見返した芝居は、真尋の目指す完璧にはほど遠い。けれど、今の精一杯がそこにはあった。真尋の再出発と、ロキの初舞台。そして、中都演劇部が踏み出した第一歩。
きっと、これからどんな公演をやったって、忘れられない舞台だ。
「……そうだ」
真尋はスマホを取り出した。今日の公演の動画を送ってもらおう。何度も見返して、今後の課題の参考と、お守り代わりにして――そう思っていると、ポン、とメッセージが届いた。総介から、演劇部のグループ宛てだ。
「ん?」
『見て~』
たった一言とともに、リンクが貼ってある。それをタップしてみれば、総介のSNSアカウントが表示された。
“中都学院高校演劇部、始動!”
そんな一言とともにアップされていたのは、公演後に撮った6人の写真だった。
別の投稿では“期待の超大型新人!”とロキの写真がアップされている。動画サイトに投稿した、今日の公演のリンクも貼ってあった。
「さすがは西野」
仕事が早い。写真もこのためだったのだろう。
「どした?」
ロキがベッドの上段からひょっこり顔を覗かせる。スマホの画面を向けると、きょとんとしながら降りてきて隣に座った。
「これがなんだって?」
「今日の公演が、全世界に発信されてるんだよ」
「全世界! 俺様の魅力が全世界を駆け巡ってるってわけか!」
ふふん、とロキは得意げに鼻を鳴らす。
芝居のことだけでなく、なんでも楽しげに発信する総介のフォロワーは少なくない。全世界は少々大げさでも、じわじわと拡散されるだろう。
ロキの表情を微笑ましく思っていると、部員たちから次々にメッセージが入った。
『おい。肖像権って知ってるか?』
『今すぐ消してください』
『いい写真だね』
『でしょー? やっぱ、部長、分かってる!』
章、律、衣月、そして総介と続いた反応に、真尋は笑った。きっと今頃、総介と章、衣月と律の部屋では、投稿を消すの消さないのとちょっとした騒ぎになっていることだろう。
「マヒロ、他にも俺様の魅力あふれる写真はなかったのかって送れ」
「はいはい」
『ロキが、他にもいい写真はないかって』
『ロキたんの魅力は写真じゃ伝えきれないよ~♪』
「それはそうだな!」
ふん、と満足げに言うロキを横目に、真尋は別のメッセージを打ち込む。
『この写真と動画、俺にも送ってもらっていい?』
『OK!』
数十秒も経たず送られてきた動画を、ふたたび再生する。
公演後の高揚が少しずつ落ち着くにつれて、不安も頭をもたげてくる。今日はロキのおかげで、久々に舞台に立つことができた。けれど、次は? 次も同じように、上手くいくだろうか。やっぱりだめになるんじゃないだろうか……習い性のようになった昏い考えが、心によぎる。
けれど、と思う。不安になる度、この動画を観よう。きっと真尋の不安を溶かしてくれるはずだ。
「……お前は本当にシバイが好きなんだな」
じっと動画を観ていたロキが、今までになく真剣に言う。真尋は意外に思って目を丸くした。
「どうしたの? そんなしみじみと」
「別に……ただ、そう思っただけだ」
何かを思い出しているように、ロキはその長い睫毛を伏せた。
「ロキも楽しそうだよ?」
ほら、と動画を見せる。華があるからだけじゃない。ロキだって芝居を楽しんでいたからこそ、その輝きは増しているのだと真尋は思う。
「……“楽しい”と“好き”は違うだろ」
「ロキ?」
「……」
それきり黙り込んでしまったロキに深くは聞けないまま、真尋は再びスマホに視線を落とすのだった。
* * *
それは、偶然見つけた動画だった。長い移動中の車内、息抜きと情報収集のため、SNSのタイムラインを追っていたら目に留まっただけの投稿。
サムネイルには、キラキラした金髪の、目を引く人物の姿があった。
キャプションには、中都学院演劇部による『北風と太陽』の2人芝居だと書かれている。投稿者は「西野総介」――知っている名前だ。わずかな懐かしさと、妙な違和感を覚えつつ、
狭い舞台だ。おそらく演劇部の部室だろう。
まず現れたのは、サムネイルにも出ている金髪の少年だった。華やかな世界に身を置いている有希人でさえハッとするほど、整った容姿をしている。そこにいるだけで、光が散ってその場が明るくなるような存在感がある。男なのか女なのかは、映像だけではわからないほどどちらにも見える中性的な顔立ちだが、中都学院は男子校なので、おそらく男なのだろう。声には張りがあり、凜としていた。金髪に、透き通るような白い肌。日本人離れした美貌だ。瞳の色までは分からないが、外国人かと思っていたら、流暢な日本語でセリフを繰り出した。
彼が“北風”役なのだろう。『北風と太陽』をベースにしたオリジナルの脚本を使っているらしい。
しかし、舞台が始まってすぐに、異変は訪れた。“北風”に続いて“太陽”役の役者が出てくると思しき場面なのに、その姿は一向に現れない。そのうち、膠着した舞台に飽きたのだろう、立ち上がろうとした観客が突き飛ばされたように座り込んだ。かと思えば、“北風”が舞台袖に向かい、半ば強引に“太陽”役の役者を引っ張り出した。これも演出のうちだろうかと有希人は目を細めた。
そのとき。
(え――?)
“太陽”役の少年。その風貌に、どきりと心臓がざわめいた。
確かめたい。しかし、顔を伏せているのではっきりしない。緊張しているのか、身を固くしているのが画面越しにもわかる。なかなか顔は上げられない。
そのとき、“北風”が彼に何かをささやく。“太陽”は身を震わせ、そして顔を上げた。
「……っ!」
その顔に、有希人は息を飲んだ。
ぎこちなく、彼の喉からセリフが絞り出される。役も彼自身も、ひどく萎縮したところから、徐々に、本来の姿を取り戻すように生き生きと舞台を照らしていく。それはまるで、本物の太陽が昇っていくようだ。
有希人は、暗い車内で食い入るように動画に見入った。素早く、見落としていたキャプションの続きに目を通す。“太陽”役の名を確かめて、放心したように呟いた。
「叶、真尋――」
ほどなく終わってしまった動画を、すぐにもう一度再生する。彼の一挙手一投足――セリフや呼吸、視線の配り方1つ1つに至るまで、余すところなく見つめる。
そして、再び終演のシーン。叶真尋が、夢見心地に佇んでいる。
「……どうして」
有希人はスマホの画面を伏せた。パチパチと聞こえてくる寂しい拍手の音は、いとも簡単に車の雑音に消えていく。
けれど、目を閉じた有希人の瞼の裏には、ひとつの光がいつまでも残った。まるで、真夏の太陽の残像のように。
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