第一幕 THE GOD'S ADVENT《004》

 圧倒される――真尋はただ、目を奪われていた。


「このロキ様を怒らせたこと、後悔するといい!」


 その小さな身体でどうして、そんな迫力を出せるのだろう。ゆるりと、金髪が風を孕んでなびく。赤い瞳はマグマを思わせるほど爛々と輝き、辺りの空気は熱で歪んで揺らめいた。

 彼女の眼差し、言葉、まとう空気にさえも、煮えたぎるような激情がほとばしる。恐怖、いや、それ以上の衝動が、真尋の身体を震わせた。


 ――もっと残酷ってか、いっそ人間っぽくないくらい暴虐な感じ、欲しくない?

 

総介の言葉が浮かんだ。


「お前みたいな小賢しい人間も、その“シバイ”も!」


 黄金を纏う炎が、生き物のように少女の周りで燃え上がっては消えていく。

 人智を越えたものの怒りに触れてしまったと、真尋は思った。

 それなのに目が離せなかった。その怒りは身を焼くほど強いのに、たまらなく惹かれる。


 そうか、これが――。


 可憐な少女は、いつしか苛烈な目をした少年の姿に変わっていた。剥き出しにした怒りをまとい、残忍な笑みを浮かべている。

 それでも、息を飲むほど美しかった。


 彼は――“華”だ。


 ただそこにあるだけで、誰の心も奪う、目映い華。


「ロキ様の炎で、すべて塵に帰してやる……!」


(きっと――俺は死ぬんだろう)


 真尋は確信していた。けれど不思議と恐ろしくはなかった。ただ、この怒りを目に、心に焼き付けて、次の芝居に生かすことしか考えていなかった。死ねば次などないというのに、真尋の心は躍っていた。

 だって、こんな機会があるか? 人でない、もっと大きなものの怒りを目の当たりにするなんて。しかもそれが、奇しくも自分と同じセリフを言うなんて。

 これが、真尋や総介、章の求めていた、北風の怒りそのものだ。


「真尋!」


 誰かが叫んだ。いや、みんなが叫んでいた。その声をまるで他人事のように聞く真尋へと、少年の怒りが炎の姿で襲いかかってくる。

 ただ足が竦んだ。北風によってすりつぶされようとしている旅人の心境が、どの稽古のときよりも理解できる。

 真尋の腕を章が引こうとした。だが、金の火の粉を散らす炎の矢は、それよりも速い。

 吸い込まれるように、真尋の胸へと向かう。

 真尋はただ、美しい少年を見ていた。怒りを放ち終えたあとの、寂しげな顔を。


「……あ――」


 炎の矢が胸を貫く、その瞬間。

 炎とは違う、目を開けていられないほどの目映い光が天から差し、さすがの真尋もたまらず目を閉じた。




「……っ?」


 自分はもう死んだのだろうか。痛みすら感じなかったのだが……。

 真尋はそろりと目を開けた。足下はしっかりとした地面だ。見回してみれば、みんなも何が起こったのか分かっていないように呆然としている。


「俺……生きて、る?」


「ヒロくん! 大丈夫!?」


 飛びついてきた総介が、真尋の無事を確かめるように揺さぶる。


「だ、大丈夫だから、揺らさないで……」

「真尋さん……」

「叶!」


 顔色をなくしている律と章に笑みを返す。彼らの向こうに衣月の安堵した表情を見つけて、真尋はホッと息をついた。みんな無事だ。


「……なんでだよ」


 呆然とした声だった。見れば、真尋に炎を放った少年が、5人とは別方向を挑むように見据えている。その視線を追えば、木陰から人影が現れた。ゆったりとしたローブを纏い、顔はフードで隠れていてよく見えない。かろうじて見える頬から顎のラインからも、年齢をうかがい知ることはできない。


「なんで邪魔するんだ! オーディン!!」

「――ロキよ」


 声に重さがあるのなら、きっと耐えきれず膝をついていた。それほどまでに重厚感のある響きが、フードの中から発せられる。


「なあ――」


 総介が真尋の腕を引いた。気が付けばみんなが身を寄せ合って、ひとかたまりになっている。


「ロキ……ってさ、まさか、北欧神話の、とか、言わないよな……?」


 ロキに聞こえないようにだろう。小声で言った総介に、それぞれが息を飲む。


「神話って……神様ってことかよ?」

「でも、彼は人間じゃない。それは確かだよ。女の子に姿を変えたり、あんな炎を操るんだから」


 章と衣月が言う。

ロキ。北欧神話に詳しいわけではないが、真尋もうっすらと聞いたことのある名前だ。

 ぽそぽそと話し合うなかで、ていうか、と律がみんなの気を引いた。


「逃げるなら、今じゃないですか?」


 逃げるなら――?

 真尋はロキを見た。


「ロキよ。禁忌を忘れたか?」


 ロキは独り、オーディンと呼ばれた謎の男を睨み付けている。拳は固く握られていた。あのフードの男も、恐らく神なのだろう。


「禁忌なんてそんなもの――っ」

「自分には関係ないと? 神たるもの、人間世界に安寧をもたらさなければならない。それなのに、お前ときたらどうだ。昨今の行動は目に余る」

「人間の安寧なんかどうでもいいっ。むしろ、神に遊ばれて喜んでんのは人間のほうだろ!」

「ロキ……なぜお前は」


 謎の男がため息をついた。ぎゅっと、ロキの口が引き結ばれる。


「……お前がそれほど頑なならば仕方ない」


 そして、次の言葉が重く響いた。


「ロキ。これより、お前のアースガルズへの帰還を禁じる」

「え……」


 すとん、とロキから表情が抜け落ちた。謎の男はなおも続ける。


「……人間たちを傷つけてきた償いとして人間界に暮らし、多くの人間を“心からの笑顔”にすること。そして、殺めかけた償いとして、その少年の願いを叶えること」


 もしかしなくても、その少年というのは真尋のことだろうか。ロキがのろのろとこちらを見た。その目は驚愕に揺れている。


「俺が……人間と……?」

「2つの条件を満たせば、帰還を許そう」


 ふわりと、光の玉がロキの前に生まれる。おそらく反射的にだろう、ロキが両手を差し出すと、光がはじけて中から小瓶が現れた。


「その瓶を、“心からの笑顔”で満たせ。……そして――」


 一陣の風が吹く。真尋は反射的に目をつむってしまった。


「待てよ。オーディン! おい……オーディン!!」


 ロキが叫ぶ。迷子の子どものように。

 謎の男の姿はどこにもない。ロキはただ呆然と、虚空を見つめるだけだった。

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