第一幕 THE GOD'S ADVENT《003》

「おい、そこの寝癖頭」

「俺、ですか?」


 1人ぼけっと突っ立っていた寝癖頭は、きょとんと辺りを見回した。お前だ、お前。とロキは心の中で言う。そいつは自分の髪に軽く指を入れて首を傾げる。寝癖の自覚がないのか。


「そう、あなたよ。他に寝癖頭がいる?」


 寝癖頭は困惑気味に辺りを見回した。彼の側には少年が4人、立ち上がるのも忘れてぽかんとロキを見つめている。なかでも眼鏡の少年は、頬が真っ赤だ。あれは俺に一目惚れしたに違いない。ロキは満足感を覚えつつ、誰もを魅了する笑みを寝癖頭に向けた。


「一目見て、好きになっちゃったみたい」

「誰を、ですか?」

「……っ、あなたに決まってるでしょ」


 この流れでお前以外の誰のことだというのだ。ロキはひくりと頬を引きつらせたが、すぐに考え直す。生まれてから一度も女に好かれたことがなさそうだと思って声を掛けたが、この反応。大当たりのようだ。


「名前を教えて? いいでしょう?」

「いいか悪いかと聞かれても、きみのことだって知らないし」

「好きな人の名前を知りたいって言うのはおかしなこと?」


 言葉を遮ってやれば、寝癖頭は目をパチリと瞬かせた。少し考える素振りをして口を開く。


「……叶です。叶真尋」

「……“マヒロ”」


 そうそう。そうやって従順にしていればいいのだ。ロキは内心でニヤリと笑う。誘うように手を差し伸べた。


「さあ、こっちに来て。ここのこと、いろいろ教えて欲しいの。2人っきりで……」


 喜び勇んで乗ってくるかと思いきや、寝癖頭は動かない。ざわついたのは、座って寝癖頭を囲んでいた4人だけだった。まあ仕方ない。突然舞い込んだ美女からのお誘いだ。喜びのあまり立っているのもやっとなのだろう。

 このロキに名を呼ばれ、手を差し伸べられて喜ばない人間は、今まで1人だって存在しなかった。男だって、女だって。もちろん、この寝癖頭も例外ではないはず。

 初めて訪れる土地では、従順そうな人間を1人手懐けて、あれこれ貢がせて遊ぶに限る。完璧な計画だ。


「……」

「ふふ、嬉しくって声も出ない? そうでしょうね」


 ロキは上機嫌に笑った。新しい場所で新しいおもちゃを見つけた。今日は気分がいい!


「さあ、行きましょう。まずはこの国のおいしい食べ物を教えて?」

「ええと……」

「それから、屋敷と着るものと遊ぶ場所と……」

「すみません。お断りします」

「………………………………は?」


 ロキは自分の耳を疑った。今、なんて?


「お断りします」

「え」


 困り顔をしている割には、まっすぐな眼差しの、きっぱりとした拒絶だった。呆然とするロキに、寝癖頭は重ねる。


「断ります。こっちに集中したいので。それに……」

「ちょ、ちょっと待て! こっちに集中って? 俺……っ、あたしの誘いを断るほどのことって何!?」


 うっかり素が出るほど動揺するロキとは反対に、寝癖頭は落ち着いていた。何にも揺るがない眼差しがロキを見ている。そう、ただ見ていた。そこには、ロキに魅了されてきた人間たちのような、茫洋とした色は欠片もない。


「芝居です」

「……“シバイ”……?」

「そう。俺は、芝居のために生きるって決めてるから」


 シバイ? それは、確か――


「人間がやるシバイって、あれだろ。俺たちみたいな服着て、『ロミオ様、あなたはどうしてロミオ様なの~?』とかクネクネやる遊びだろ!? あ、いや、でしょ!?」

「遊び……ではないです」


 寝癖頭の口からぽつりと落ちた言葉に気付かず、ロキはさらに食ってかかる。


「なんだっけ? 『尼寺へ行け!』 とかの!」

「ハムレットだ。さっきのは『ロミオとジュリエット』だね。シェイクスピアが好きなの?」


 寝癖頭のものではない別の声に、弾かれるようにそちらを向いた。随分と余裕そうに構えている優男だ。


「別に好きじゃないっ。人間どもが騒いでたから知ってるだけだ!」


 ロキはそこでようやく、寝癖頭以外の面々に顔を向けた。優男の他は、眼鏡と、特徴のない地味男と、生意気そうなチビ。そのなかで眼鏡が、目を輝かせて手を挙げる。


「じゃあじゃあ、これは? 『生きるべきか、死ぬべきか』」

「『それが問題だ』だろ! ――じゃなくて、今問題なのはこの寝癖頭の方!」


 ビシッと寝癖頭を指差すと、今度は何やら考え込んだ地味男が言った。


「『時よ止まれ』?」

「『お前は美しい』――俺が美しいのは当然! ……なのに!!」


 最後に、生意気そうなチビがぽそりと言う。


「――『ブルータス』」

「『お前もか!』」

「おおー……」


 一同が感心したように手を叩く。


「詳しいね」

「だから、人間たちが――あと、アースガルズで周りのバカどもがよく“シバイ”してたから、つい覚えただけだ! っていうか、そうじゃなくて!」


 ロキは寝癖頭に噛みついた。


「これが“シバイ”だろ。俺よりも、こんなお遊びを取るってのか!?」


 彼は少し困った顔で、けれど静かにうなずいた。


「そう……だね」

「……っ」


 真摯な眼差しにロキは小さく息を飲む。曲げられない。ロキは本能で察した。


「俺には、芝居以上のものはない。それに……」


 見透かすような目だった。ロキの表層を通り抜け、もっと深い場所を見ようとするような。ロキという神の本質を、見極めようとするような――。


「きみはさっき、俺を好きだって言ってくれたけど、本当は俺に興味なんかないんじゃない?」

「……?」


 何を言っているんだ。

 ロキは分からなかった。興味を持つのは自分ではない。寝癖頭の方だ。このロキに興味を持たない人間なんているはずがない。

 それなのに、どうしたことだろう。じりじりとした焦燥が胸の奥に生まれる。


「――どういう意味だ」


 脅すようにまっすぐな視線を向ける。けれど、“マヒロ”はひるまずに、こう言った。


「だってきみの言葉は、それこそ芝居みたいで……まるで別の誰かが、女の子の姿に化けてる、そう、女の子のみたいだったから」

「っ!!」


 息が止まった。

 確かに、美女を見てもまったく歯牙にもかけないマヒロの態度に動揺し、素が出てしまったところはあった。けれど、断られるまでは完璧だったはずだ。

 これまで誰一人としてロキの変身を見破ったものはいない。いつかの王宮の道化師もそうだ。勘のいい人間だったようだが、ロキを偽物だと見破っていたわけではなく、ただ王妃の心変わりを嘆いた。彼の歌に応じて、ロキが本来の姿を現したのは気まぐれな慈悲だ。あのままでは道化師は、ニセの王妃に心酔する者たちに引き裂かれていただろう。それではあまりにも興ざめだったから、自ら姿を現した。それだけだ。

 だというのに、この人間はなんだ?

 ロキの求愛を断っただけではなく、変身まで言い当てた。まるで見透かすような眼差しで。まるで、ロキなど眼中にないように。

 こんな屈辱は初めてだ。

 ロキは、フラフラと後退した。


「ごめん。俺、何か変なこと言った?」


 寝癖頭が声を掛ける。

 カッと、腹の奥底が熱くなる。生まれたばかりの怒りの炎が、全身を包むようだった。

 一気に高ぶった感情に、目の前が真っ赤に染まってクラクラする。


「……よくも」


 よくも恥をかかせてくれたな――!

 クッと、ロキは口元を歪ませた。傲然と顎を上げ、燃えるような眼差しで、相手を酷薄に見据える。


「いい度胸だ……! このロキ様を怒らせたこと、後悔するといい。お前みたいな小賢しい人間も、その“シバイ”も」


 この身を焼くのは怒りの炎。思い通りにならないのなら――


「ロキ様の炎で、すべて……!」

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