第一幕 THE GOD'S ADVENT《002》

 春の木漏れ日差す東所沢公園。林の中の東屋で、4人の男子高校生が半円状に座っている。その中心に、寝癖頭の少年が佇んでいた。

 少年は短く息を吸うと、柔和な顔に似合わぬ獰猛な笑みを浮かべる。


「『旅人さんよ。そんなに自分で脱ぎたくねえってんなら、いいぜ。俺の風で、お前の身体ごと塵に帰してやる……!』」


 大仰な身振りで腕を広げた。緊張感のない寝癖頭に反して、その気迫は、身振り以上に少年の存在感を大きく見せる。

 どこからともなく、ビュゥっと冷たい風の吹き荒ぶ音がする――。

 パン、と1つ。座っていた少年の1人、西野総介にしのそうすけが、手を叩いて立ち上がった。


「んー、もう一歩! そこ、もっと残酷ってか、いっそ人間っぽくないくらい暴虐な感じ、欲しくない?」


 隣に座っていた東堂章とうどう あきらに問えば、彼も尻を叩きながら立ち上がる。手にしていた台本を見下ろし、うなずいた。


「うん。いまのかのうの感じだと、もっと盛ってもいいかも。えーと、そしたらここの前のセリフをもう少し……」


 ブツブツと考え始めた章を楽しそうに見つめてから、南條衣月なんじょういつきは、隣に座る北兎律ほくと りつに視線を向けた。


「律は何やってるの?」


 膝に乗せたノートパソコンのキーボードやタッチパッドの上を、指が忙しなく踊っている。律は顔を上げないまま答える。


「……別に。使えそうな風の音を探してるだけです。今の、なんか違ったから」

「そっか。真尋まひろは? どうだった」


 先ほどまでの獰猛な笑みが幻だったかのように、演じていた少年――叶真尋は、はい、と素直にうなずいた。


「セリフの調子も、効果音も、もっと激しい方がいいかもしれません」

「そう! そうなんだよねぇ。風で塵になっちゃうんだよ~? 台風よりヤバいっしょ! 溜めて溜めて、ドッカーン、みたいな感じ出してこ!」

「それじゃ噴火だろ。風じゃなくなってる」

 身振りの大きな総介にツッコミを入れてから、章は真尋の元へ向かった。

「叶。じゃあ、ここのセリフだけど……」

「アキ! そゆことはまずオレに相談しよー? ほれ、演出家演出家ぁ!」

「お前はほっといても寄ってくるだろ」

「バレてる」


 演者と脚本と演出、3人が真剣に話し合っているのを衣月は微笑ましく見守る。北風の動きで風を表現できるような、なびきやすい布はあっただろうか。衣装担当の衣月は、思考を巡らせながら軽く目を伏せた。


 中都学院高校なかつがくいんこうこう演劇部が稽古している演目は、イソップ童話の「北風と太陽」をアレンジした1人芝居だ。北風と太陽の2役に矛盾なく合う衣装はどんなデザインだろう。真尋の演技を引き立たせるためには? 考えるだけで心が躍る。膝上に乗せた小さなクロッキー帳を、鉛筆の背で叩いた。


(でも――)


 衣月は真剣な眼差しで話し合う真尋の横顔を眺めた。どうやら、話がまとまったらしい。控えめな笑みを浮かべて真尋がうなずくと、総介と章は元の場所に腰を下ろした。


「それじゃ、頭から。よーい……スタート!」


 パン、と総介が手を叩く。一呼吸置き、俯いていた真尋が顔を上げる。そこにいるのはさっきまでの穏やかな少年ではなく、荒々しく凶暴な北風。変わったのは表情だけではない。真尋は、見えない相手を見下すように顎を上げた。胸を張れば、自然と背が伸びる。堂々たる立ち姿だ。


「『――よう、久しぶりだなぁ? 太陽。オレ様が怖くて隠れてやがったのか?』」


 北風のセリフを言い終えると、凶悪な表情が一転、ぽかぽかと暖かい春の日差しのような笑顔に変わる。


「『やあ。久しぶりだね。北風君。うん……ちょっとね』」

「『ちょっとぉ?』」

 オラつく北風に太陽はフッと視線を落とし、胸の前で両手を交差させた。

「『雨雲君に監禁されてて……』」

「『かん……!? だ、大丈夫か?』」

「『しょせんは雲だしね。表面温度を上げてみたら、跡形もなく消え去ったよ』」

「『言い方!』」


 短いセリフの応酬を、クルクルと表情を変えながらこなしていく様は、何度も見ている衣月でさえも惚れ惚れするほどだ。1人しかいないのに、2人いるような錯覚に陥ってくる。


「『ハッ! あんなフワフワの雨雲野郎に監禁されるなんざ、やっぱりテメーもその程度。この北風様が最強だな!』」

「『ふふ。それはどうかな? 北風君は当たっても相手が吹き飛ぶくらいだけど、僕は当たったら……』」

「『当たったら?』」

「『地球が終わる』」

「『規模感!』」


 太陽は、笑顔の割に言うことが剣呑だ。しかし、北風はなんとか自分を奮い立たせ拳を固めた。


「『よし、それじゃあ――』」


 真尋が口を開け、息を吸った音さえ聞こえた……その時。


「……」


セリフが続かない。

“北風”の顔はもはや消え、“真尋”がどこかを見つめたまま、困惑に口をつぐんでいる。


「何――」


 真っ先に真尋の視線を追ったのは総介だった。そこには、稽古を邪魔されたことへのいくぶんの苛立ちがあった。しかし、その総介がヒュッと息を呑む。眼鏡の奥の目が最大限に見開かれ、顔が真っ赤に染まる。

 何事か、と後ろを振り返った衣月と章も言葉をなくした。誰も何も言わないことを怪訝に思った律が、最後にゆっくりと首を巡らせ、息を詰めた。


「……!」


 思わず身を引くほどの美少女が、そこに立っていた。

年の頃は、5人とさほど変わらない。だが、明らかに国籍は違うだろう。長い金髪に白い肌。瞳が赤く見えるのは光の加減だろうか。彼女は淡く微笑んだ。木漏れ日さえも、彼女を引き立たせる宝石に変わる。


「モデルさんかな」


 かろうじて衣月だけがそんな言葉を漏らす。その間も、彼らの目は少女に釘付けだ。


「――」


 近づいてくる少女の小さな唇が動く。いったいどんな言葉が紡がれるのだろうか。彼らは無意識に、一言も聞き漏らすまいと息を詰める。そして次の瞬間、彼女はこう言った。


「――おい。そこの寝癖頭」


 きっと彼女は日本語を習う相手を間違えたんだ。誰もがそう思った。

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