神様しばい
三糸ユウ、犬井 楡/ガルスマノベルス
第一幕 THE GOD'S ADVENT《001》
楽士の奏でる華やかな音楽が宮廷に響いていた。三日三晩、絶えず続く饗宴に、軽やかな笑い声が歌を添える。
贅を尽くした料理。星のように煌めく宝石。そのいずれも霞む美貌の花が、長椅子にしどけなくもたれていた。結い上げられた金髪から零れた一房が、少女の――この国の若き王妃のまろい頬を淡く彩る。長く上を向いた睫毛の下では、紅玉のような赤の瞳が光を弾いて輝いた。
しゃくり。小さな口が、林檎を囓る。舌がちらりと唇を舐めれば、侍っていた美しい男女が、ほう、と息を漏らした。少女の腹に懐く猫の喉元を、細い指先が柔くくすぐる。
「これはこれは王妃様!」
その場にはそぐわぬ、キンとした声が響いた。王妃の前に跳ねるようにして道化師が踊る。眉をひそめた者たちを、王妃は白い手の一振りで黙らせた。興味深そうにその目を細めれば、道化師は大きく身体を動かし、歌い始めた。
「美しい、美しい王妃様。地上の花も天上の月も、あなたの美しさには敵いませぬ。ああ、なれど、どうしたことか。優しい、優しい王妃様。あなたにかつての慈悲はなく、贅の限りを尽くしている。ああ、嘆かわしや王妃様。あなたはまるで別人のよう……」
道化師の声は本物の悲嘆に暮れていた。民衆の声を、歌にして伝えに来たのだろう。
その瞬間、音楽は止み、笑い声は消え、代わりに殺気が道化師に向けられた。王妃に心奪われた者たちの無言の刃だ。
「ふふっ。『別人』……ね」
鈴の音のような笑い声が、王妃の唇から零れ落ちる。たったそれだけで、王妃は人々の意識を引き戻す。立ち上がれば誰もが目を奪われた。時が止まったように息を飲み、王妃の一挙手一投足を見つめる。ニャァ、と残された猫が小さく鳴いた。
「そろそろここにも、飽きたことだし――」
王妃はパチンと指を1つ鳴らす。その瞬間、猫が人へと姿を変えた。王妃によく似た面差しの、若く麗しい女だ。その瞳は涙に濡れ、怯えたように辺りを見回した。
「ああ……わたくし……」
女は自らの頬に手を当てた。ほろほろとこぼれる涙は清く美しい。
「あれは……あのお方こそ、王妃様だ!」
誰かが叫んだ。まるで夢から覚めたように、動揺が広がっていく。
「じゃあ、さっきまでここにいたのは?」
今まで王妃だと思っていた少女は、いったい?
動揺をすり抜けて、少女はホールの中央を行く。その可憐な姿へと、近衛兵が一斉に鋭い刃を向けた。
華奢な背中が振り返る。少女はまるで、イタズラを楽しむ少年のように不敵に笑った。
「なかなか楽しかったぜ? じゃあな」
ひらりと手を振る、その瞬間。炎が少女の身体を包み、金の光を散らして消える。
あとに残されたのは、呆然とする人々の間抜けな顔と、どこからか聞こえる少年の軽やかな笑い声だけだった。
* * *
さあて、次はどこで何をして遊ぼうか。
ロキは鼻歌交じりに、アースガルズにある自身の館へ戻った。
王妃の暮らしは楽しかったが、長くいると飽きてくる。潮時だったのだろう。王妃が偽物だったと知った奴らの間抜けな顔ときたら! まったく傑作だ。愉快ったらない。
ロキは思い出してクツクツ笑うと、人間界をヒョイと覗いた。
先ほどとは別の時代、別の国――けれど、人間の貧しい本質は変わらない。
「あ。――イイこと思い付いた」
ロキはすぐさま地上に降り立った。
結婚式だ。祝福の花が舞っている。花嫁は幸せそうに笑い、花婿は感激のあまり涙を流していた。おめでとう、おめでとうと、みなが口にする。新郎新婦は永遠を誓い、これからの幸せを疑ってすらいない顔だ。
ロキは微笑む新婦の耳元に、そっと囁いた。
「――なあ、マリー」
名を知るのは簡単だった。祝福と共に叫ばれていたその名を、転がすように呼んでやる。
突然現れた美青年に花嫁は硬直した。歓声は静寂に変わり、花びらが落ちる音すら聞こえるほどだ。
「マリー?」
花婿が呼んだ。ハッとした花嫁は、彼を見上げると眉根を寄せる。まるで、百年の恋が冷めたような顔をしていた。
「おいで」
ロキは手を差しのべた。花嫁は少し前まで花婿に向けていた眼差しをロキに向け、頬を染めてはにかむ。参列する女性たちからの羨望の――あるいは嫉妬の溜息が漏れた。
「マリー」
とどめのように呼んでやれば、ふらりと花嫁が一歩踏み出す。引き留める花婿の手を振り払い、ロキの胸に飛び込む。花婿の悲痛な声が、花嫁に縋った。ロキは笑い転げたいのを押さえ込み、一瞬で心変わりした花嫁を見下ろすと、小さく鼻で笑う。
これだから人間は。
「あ、ごめん。よく見たら、好みじゃなかった」
「え?」
「ほら、あんたの相手はあっちの冴えない方」
ぽかんとする花嫁をくるりと反転させて、彼女の耳に口を寄せた。
「
まあ、このロキを前にして、惚れないなんて無理な話だが。
動揺する彼女の背をポンと押す。
さあ、修羅場が始まるぞ。騒動を見物して楽しもうとしたロキだが、その時、彼の目にチカリと光が反射した。咎めるような光だった。
「チッ」
オーディンめ。興ざめにもほどがある。
小さく舌打ちをして、ロキは混乱する結婚式会場を去り、アースガルズへ戻った。
「たかがイタズラで、いちいちうるさいっての」
心変わりするのも、騙されて翻弄されるのも、人間が卑しく愚かだからだ。ロキはほんの少しだけ背中を押して、その愚かさを目に見えるようにしているだけ。元からあるものを引き出しているだけなのに、ロキばかり悪者にされるのは納得がいかない。
「あいつらは何も分かっちゃいない。なんでも俺のせいにしやがって」
せっかく人間相手にイタズラを楽しんでいたというのに、ちらちらと脳裏をよぎるのは、オーディンをはじめ、ロキを認めようとしない義兄弟たちのことばかりだ。
「あー……やめだ! 面白くもないこと考えんのは!」
ぶんぶんと首を振り、次はどこで遊んでやろうかと再び下界を覗く。
「……お?」
たまたま目に飛び込んできたのは、どうやらこれまで行ったことのない場所のようだった。
「どこだ……ニッポン? へえ」
東洋の島国だ。行ったことはないが、ニンジャとか、サムライとかいうソルジャーのブシドーがなんたらと、そんな話を以前聞いたことがある。たまには、まったく知らない場所に行ってみるのも楽しそうだ。
「イイね」
思い立ったら即実行。ロキは栄えている都におおよその目処を付け、吹いた風に身を委ねて地上へ降り立った。
「――ん?」
しかし、どういうことだ。目指した場所は人でごった返していたはずだが、いざ降り立ってみると人通りがあまりない。吹いた風のせいで、位置が微妙にずれたのか。
「どこだよ、ここ」
車は走っているが、止めてまで人間に尋ねるのは面倒だ。
「あ」
向こう側から人が歩いてくる。俯きがちで、いかにも自信がなさそうな少女だ。
「おい、お前――」
「すみません」
声を掛ける前に、するりと避けられる。少女は顔も上げず、手元の小さな光る板を見たまませかせかと通り過ぎてしまった。
「……板なんて熱心に見て、なんだ?」
薄気味悪く思いつつ、ロキは気を取り直すように首を振った。他を探せばいいだけだ。
ロキは付近で一番高い建物の――とはいえ、どこもどんぐりの背比べだが――屋上に飛び移ると、親指と人差し指で輪を作り、目に当ててぐるりと辺りを見回す。
「だ・れ・か、イイ鴨、いっないっかな……っと、お?」
緑が多い場所がある。公園だろうか。どうやら今は新緑の季節らしい。緑の下の東屋(あずまや)に、10代の少年たちがたむろしている。そのなかの、一番気弱そうで冴えないあいつ。
「ふはっ! イイこと思い付いた!」
あいつにしよう。そうしよう。
ロキはさっきまでの苛立ちも忘れて、にんまりと笑うと姿を消した。
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