第一幕 THE GOD'S ADVENT《007》

「本気で転入するんだったら、名字が必要じゃないか?」


 ロキが降り立った夕方の東所沢公園。総介が“作戦会議”と称した話し合いの中でそう言い出したのは、章だった。少しずつ慣れてきた他の面々とは違い、ロキの存在にまだ戸惑いを隠せないようだが、頭ごなしに流れを否定するつもりもないらしい。


「名字か! 確かに設定って大事だわ。ロキたん、名字ってある?」

「神だぞ? そんなもん必要ない」


 というか、この“ソースケ”という男は初対面からロキたんロキたんと馴れ馴れしい。文句を言ってやろうと口を開きかけたところで、真尋が呟いた。


「神だ……神田とか? 神田ロキ」

「あ?」

「はは、一気に下町風情が出たね」


 衣月がなぜ笑ったのかはわからないが、下町というのは聞き捨てならない。


「このロキ様に下町のイメージなんて付けるな! それに、“カンダ”って何だよ。何も噛んでないぞ」

「でも、神だって主張は外したくないでしょ?」

「主張じゃない。厳然たる事実だ」

「“神”のつく名字、これだけあるみたいっすよ」

 立て開きの板――ノートパソコンと言うらしい――を、律がみんなに向ける。

「え。こんないっぱいあんの!? 選び放題じゃん」

「ロキ、どれがいい?」


 総介が目を丸くし、真尋が無邪気に聞いてくる。

 どれ、と言われても。


「というか、日本人の名字でいいのかな?」

「確かに、見た目は全然日本ぽくないもんね」


 衣月の疑問に、真尋たちは虚を突かれたように顔を見合わせた。


「じゃあ……ゴッド?」


 ぽつりと律が呟く。


「ゴッド……」

「ロキ・ゴッド?」

「ロキ・ザ・ゴッド……」

「プロレスラーみたいだね」

「やめろ。意味分かんないけど、やめろ!」


 章、真尋、総介と続き、最後に衣月が締める。完全にロキの名前で遊んでいる。

 一致団結しやがって。


「名字なんていらない。“神のロキ”。これでいいだろ!」

「神の、ロキ……」


 総介がパッと表情を輝かせる。


「それだ! シンプルでイイじゃん!」

 何が「それだ」なのか。ロキは深々と眉間に皺を刻んだのだった。




「神之ロキ。よろしくな」


 ロキは黒板の前に立って、クラスメイトとやらににっこりと笑ってみせた。それだけで、教室中が浮かれたざわめきに包まれる。


(これだよ、これこれ!)


 このロキ様にかかればこんなもんだ。昨日は真尋に変身がバレたせいで、ちょっとだけ。ほんのちょーっとだけ自信が揺らぎそうになったが、あれは例外中の例外だ。

 昨夜から耳にたこができるほど、余計なことは言わないように、と真尋から言われていたが、言葉を使う必要もない。やはり人間を翻弄するには、この笑顔1つで十分だ。


(それにしても……)


 男男男。どこを見ても、同じ赤い制服を着た男だらけ。正直言ってむさ苦しい。男子校だと聞いてはいたが、予想以上の殺風景ぶりだ。


「それじゃあ、神之の席は……」


 そう言う初老の男――クラスタンニンというらしい――に、ロキはにっこりと笑いかけた。


「センセー。カノウくんの隣じゃダメですか?」


 担任は一瞬目を瞬かせると小さく咳払いをする。


「ああ、神之は叶の知り合いだったな……なら、叶の隣、どっちか席移ってくれるか?」


 数秒の間があって、真尋の左隣の生徒がガタガタと移動を始める。


「叶、よろしく頼むぞ。教科書が来るまで見せてやりなさい」

「はい」


 真尋は生真面目に返事をした。表情を取り繕っているつもりのようだが、どことなく緊張しているのが伝わってくる。大方、ロキが何かしでかさないかと心配しているのだろう。

 ロキはそんな真尋の心配を鼻で笑うように、悠々と隣の席につく。同じ制服を着て、整然とした机の並びに収まると、なんだかその場に埋もれた気がして途端に窮屈になった。よくもまあ、こんな場所に大人しく座っていられるものだ。思わず、今朝真尋に結ばせたネクタイをぐいっと緩めた。

 朝のホームルームとやらが終われば、わっと学生たちが側に寄ってくる。なんとか気を引こうと興奮気味に質問を飛ばしてくるその姿に、ロキはふふんと笑った。

 これこそが、このロキ様に対して向けられる正常な反応なのだ。まあ、すべて野郎というのが多少暑苦しいが、悪い気はしない。気分がいいから質問に答えてやろうか。


「神之って日本人? どこから来たの?」

「俺様は、アースガルズという神の――」

「ま、待った!」


 真尋のよく通る声に、学生たちが振り返る。隣の席にもかかわらず、輪の外に押しやられていたらしい。


「そんな一気に質問したら、ロキだって困るんじゃないかな」

「別に困ってなん……むぐ」


 サッと口を塞がれる。真尋は顔に笑みを浮かべたまま、ほとんど口を動かさず、声をひそめて言った。


「余計なこと言わないって約束したよね」


 小声だがはっきりと届く。従ってやる義理もなかったが、ロキが言い返す前にバン、と教壇のほうで大きな音が鳴った。みんながハッとしたように息を飲む。教壇には、いつの間にかクラス担任ではない、若い男が立っていた。とはいえ真尋たちより年上だから、きっとあれも教師なのだろう。


「――時間だ、ガキども」


 男は低い声で言った。


「お前らが授業受けたくなくても、やらねーと俺の給料に差し障るんでね。始めっぞ」

「やべ。竜崎じゃん」

「1限、世界史だったっけ」


 みんなそそくさと自分の席へと戻っていく。ロキは目を瞬かせ、教壇に立つ男を見やる。目が合った。その男はロキに見とれることなく、感情の読めない眼差しで数秒ロキを眺めると、ふいと視線を外す。その余裕ありげな態度がロキの鼻についた。


「……なあ、あいつ何?」


 教科書を見せるため、席をくっつけてきた真尋に尋ねる。


「竜崎先生? 世界史の先生で、演劇部の顧問だよ」

「コモン?」

「そう。部活を見てくれる先生。普段あんまり来ないけどね。ちょっと乱暴だけど、授業は楽しいよ」


 ふうん? とロキは鼻を鳴らした。




 リューザキという教師は、よく通る声で授業をする男だった。その後も放課後まで、スーガクだのエイゴだの退屈な授業をいくつも受けたが、リューザキのセカイシが一番聞き取りやすかった。各授業の内容は、なんでこんなことを学ぶ必要があるのかと思えるような些末なことばかり。鹿や羊の捌き方でも教えたほうがよっぽど役に立つと思うのだが、人間というのはおかしなものだ。


「やぁっと終わったか」


 ロキはウンと伸びをする。このロキ様が人間の言うことに従って何時間も大人しくしていたのだ。真尋は存分に褒め称えるべきだが、まあ今日は初日だ。許してやることにする。


「部室に案内するよ、ロキ」


 カバンを肩に引っかけた真尋が言う。ブシツとやらには昼休みに向かうはずだったが、ロキを見に来た他のクラスの学生たちのせいで身動きが取れなくなってしまったのだ。さすがにそれも放課後には一段落して、ようやく出向けるというわけである。もちろんそれでも、好奇心いっぱいに見つめてくる目は絶えないが。


「やあやあ。ロキたん。大人気だねぇ」


 ブシツに入るなり総介が絡んできた。すでに昨日の顔ぶれが揃っている。ロキは4人を見回して、ふむ、と思った。

 なるほど、教室のむさ苦しさは数の問題ではなく、見た目の問題か。

 総介は着崩した制服の上に、ぱっと明るい色の上着を羽織っているし、衣月は小顔で背が高く、小柄なロキとしては腹が立つほどスタイルがいい。律はいつも俯くようにパソコンに向かっているからあまり目立たないが、よく見るとなかなか整った顔立ちをしている。真尋は1日一緒にいただけでわかるほど自分の身なりに適当な男だが、そこをどうにかすればそれなりに見えそうだ。

 ――と、ロキは章に目を向けた。


(こいつは普通だな)


 特別目を引くところが何もない。シャツのボタンは一番上まで留めて、ネクタイもきっちり締めて、他の学生の多くが開けているブレザーのボタンまで留めている。堅苦しくかっちりとしており、学生のお手本のような姿だ。最初から地味な奴だとは思っていたが、制服の着方まで平均のど真ん中を行っており、個性というものがほとんどない。


「……“地味助”」


 今日からお前は地味助だ。ロキは、うん、とうなずいた。


「今、俺のこと呼んだか?」


 章は眉間にしわを寄せた。


「分かってるじゃないか。地味助」

「なんだよその呼び方っ」

「お前にぴったりだろ。このロキ様が直々につけてやったあだ名だ、ありがたく思え」

「そ、そりゃ確かに、お前に比べればだいぶ地味だけどさ!?」


 それどころか、他の誰と比べても地味だ。……と言いかけたところへ、総介が割って入る。


「まあまあ。とにかく、ようこそ、我らが演劇部へ!」


 ロキはフンと腕組みをして顎を上げた。

 まだ入るとは決めていない。だが、これから新しく頼りにする人間を見つけるのも億劫だ。とりあえず、こいつらの話を聞いてみるのが良策だろう。

 だから。


「どーしても入って欲しいって言うなら、納得いくように説明しろよっ」


 堂々と言い放つと、章がふうと息をついた。


「唯我独尊……」


 何か言ったか、地味助。

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