第一幕 THE GOD'S ADVENT《006》
窓の外が夕日に赤く沈んでいる。野球部の球を打つカキン、という音が、応接室の中にまで微かに届いた。
「うちのロキをよろしくお願いしますね」
真尋の隣で、薄い金髪のロキによく似た綺麗な女性が微笑んだ。ロキの母親だ。もちろん、本物の母親ではなく、ロキ本人の変身だけれど。
向かいに座っているのは、ピンク色のネクタイをした校長。蛍光灯の下、心奪われたかのように女性を見つめている。
(うまくやるなぁ。ロキ)
校長は真尋のことなど眼中にもないらしい。この学校がいかに素晴らしいかを、ロキの母親に熱心に訴えている。
(本当に大丈夫かなと思ったけど……)
どうやら、作戦は成功しつつあるらしい。
真尋は、ロキの母親との時間を少しでも長引かせようとする校長の話を聞き流しながら、ここに至るまでのやりとりを思い出していた。
「一緒に芝居をやるからには、まずはうちの学校の生徒にならないとな」
「まだやるなんて言ってないぞ!」
総介の言葉にロキは反発した。大声でもないのに、その声は静かな公園によく通る。
「でも、ロキたんこれからどうするわけ? 行くところあるの?」
「それは……っ、お前がどうにかしろ。マヒロ!」
「俺?」
ロキは当たり前だ、というように顎を上げた。完全に、こちらに丸投げするつもりらしい。真尋は軽く眉根を寄せた。
「どうにか、って……あ、そうだ。俺の部屋なら1人分空いてるよ」
「お前の部屋ぁ?」
ロキが値踏みするように真尋を見てくる。あからさまな不服の表情に、真尋は小さく苦笑した。寮の狭い部屋はきっとお気に召さないだろう。
「……仕方ないから我慢してやる。でも、それとシバイやるかは別だぞ!?」
「でもそれ、ムリじゃないっすか?」
ぽそりと律が言った。どうして、と真尋が問う前に、衣月がうなずく。
「うん、寮には部外者を入れられないから、難しいかもしれないな」
そうだった、と真尋は思い出す。真尋たちの通う中都学院高校は、全寮制の男子校だ。女子を入れるのはもちろんのこと、男友達だって部外者を泊めることは禁じられている。
ふと、真尋はあることに気付き、ロキの頭の天辺から爪先まで、ゆっくりと視線を動かした。
「なんだよ。今更見惚れたか?」
「いや、ロキって男でいいんだよね、と思って」
現れたときは女の子だったが、今は男に見える。疑問顔の真尋のことを、ロキは鼻で笑った。
「ハッ! 性別? この俺様の魅力が男か女、どっちかに収まると思ってんのか?
男であり女でもある、至高の存在。それがこのロキ様だ!」
「どう見ても振る舞いが、“ダ・ン・シ”なんだよなぁ」
「総介が普通にしゃべれてるし、男子だろ」
「なんだと?」
ロキがキッと総介と章を睨む。
「どちらでもあるなら、うちは男子校だから男子でいてもらわないとね」
「……受け入れるのが早すぎると思います」
朗らかに言った衣月に、ぽつりと律が呟いた。
「ダンシコウ? なんだよ、それ」
「男子だけが通う学校だよ。うちは全寮制だから、みんな寮で生活してるんだ」
説明した真尋の言葉に被せるように、ずいっと総介が前に出る。
「つ・ま・り。ロキたんがこれからの宿を確保するためには、うちの学校の生徒にならなきゃいけないってわけ」
「ぐ……っ」
言い返す言葉もなかったのだろう。ロキは悔しげに5人を見回すと、むっつりと黙り込んだ。
「でも、簡単にはいかないだろ、そんなこと」
章が、たしなめるように総介に言う。
「いやー? やってみないと分かんないよ?」
総介はにんまりと笑う。何か考えがあるらしい。
「たとえばさ――」
そう言って、作戦を口にする総介は実に生き生きとしていた。
「――っ」
トン、と足を蹴られて真尋はハッと我に返った。見れば、ロキの表情がやや引き攣っていた。どうにかしろ、と鋭く向けられた視線が言っている。このままではまずい。余計なことはしないようにと何度も何度も言い含めてようやく納得させたというのに、ロキが爆発してしまう。
「っ、あの、校長先生」
「……何かね? 叶くん」
横槍が入って不満なのだろう。直前までの熱弁が嘘のように、平坦な声だった。
「そろそろ、ロキくんを寮に案内しようと思うんですけど、いいですか?」
校長はちらりと壁に掛かった時計を見る。完全下校時間は目前だった。
「もうこんな時間か……すみませんね、お引き留めしてしまって。ロキくんのことはどうぞ、我々にお任せください」
「ええ。お願いしますね」
美女の姿をしたロキは晴れやかな笑みを浮かべた。ようやく解放されるからだ。
真尋も、うまくいってよかったと胸を撫で下ろす。
応接室を出れば、夕暮れの廊下は静まり返ってシンとしていた。名残惜しそうな校長の視線を振り切るように廊下の角を曲がると、一息の間にロキは変身を解く。
「ちょっと、ロキ」
誰かに見られたら困る。幸い、人影はなかったからいいものの、ロキが人間でないことは知られないようにしようと、演劇部のみんなと話し合ったばかりだ。
「なげーよ、あのピンクネクタイ! お前も何ぼーっとしてんだ」
「ごめん。癖で」
校長の話が長いのはいつものことだ。朝礼などでは聞き流していたから、つい、同じようにしてしまった。
「でもま。この俺様にかかりゃ、テンニュウ? とかいうのもチョロいな!」
「本当だね」
こんなに簡単で本当に大丈夫なのかと、少し心配になってしまうほどだ。
人間界での居場所を確保したからか、ロキは上機嫌で真尋についてくる。きょろきょろと辺りを興味深そうに眺める姿は、あまり神様という感じはしない。
真尋はスマートフォンを取り出した。総介たちにロキの入学手続きが無事に済んだと、報告のメッセージを送る。
「なあ、なんだ? その板」
「板か」
真尋は小さく笑った。確かに、何も知らなければ奇妙な板にしか見えないだろう。
隣から手元を覗き込んでくるロキに、スマートフォンだよ、と教えてやる。
「離れた場所にいる人とやりとりしたり、情報を集めたり、ゲームをしたりって、いろんなことができる機械なんだ」
「……うん?」
分からないか。真尋も上手く説明できる気がしない。物心ついた頃にはすでにあって、そういうものだと、深く考えずに使っているからだ。
「使ってみるのが一番手っ取り早いんだけど。あとで部屋についたらゆっくり教えてあげるよ」
「絶対だぞ」
廊下には人影がないとはいえ、歩きスマホはよくない。真尋はブレザーのポケットにスマホをしまう。
2人が校舎を出たところで、ちょうどチャイムが鳴った。
「なんだ、この音」
「チャイムだよ。授業の始まりや終わりを教えてくれるんだ」
「
「しょうろう……ああ、そういうのはないよ。機械で定時に鳴るようセットしてあるんじゃないかな」
「機械ってどんな?」
「そこまではちょっと分からないな」
寮までの短い道すがらも、ロキは、あれはなんだ、これはなんだと知りたがりの子どものように聞いてくる。見る物すべてが珍しいのだろう。分かる範囲内で答えながら、学生寮へと向かっていく。いつもよりも大分時間が掛かってしまった。
「あそこが、
「へえ。思ったよりでかいじゃん。俺様の屋敷に比べたらちっちゃいけどな!」
「……」
何か勘違いしていそうだが、真尋はうなずくだけにしておいた。なんとなく思っていたのだが、ロキはそもそも“寮”というものが何か知っているのだろうか。
真尋はロキを連れて自分の部屋へと向かう。途中、会う学生全員がぎょっとした顔をしたのは気のせいではないだろう。もしかしたら、ロキのことを女の子だと思ったのかもしれない。興味津々な視線が増えるとともに、あの叶が? という声さえも聞こえてくる。
真尋が自分の部屋に到着したときには、数人がついてきていた。
「ここだよ。入って」
ドアを開けて中へ促す。ロキは何か腑に落ちない顔をしている。薄々、事態に気付き始めたらしい。真尋は部屋を見たときの反応を少し楽しみにしながら、その様子を見守っていた。
「……ここが、部屋? うちのバスルームより狭いぞ!」
「バスルーム? ……ああ、神様ってトイレ行くんだ」
ドアを閉めながら真尋は改めて自分の部屋を見た。二段ベッドに、2つ並んだ勉強机。窓も大きい。2人部屋を1人で使っていたから、特別狭いと思ったことはなかった。
「そっか……トイレより……ふっ」
真尋はジワジワと込み上げた笑いをこらえきれずに、小さく吹き出した。
ロキは普段どんなところに住んでいたのだろう。神様が住んでいる場所なんて、当然フィクションの世界でしか見たことがない。実際どうなっているかなんて、想像もできない。
「ロキは、ベッド、どっち使いたい?」
上がるのが面倒で真尋は下の段を使っているのだが。
「ベッド?」
ロキは訝しげに二段ベッドを見た。こんなベッド、使ったこともないのだろう。ここで本当に寝るのか、とでも言いたげだ。
「どっちかなら、上に決まってる」
「そうだと思った」
苦笑しながら、上に置いていた多少の荷物を下ろす。ロキは早速ふわりと浮き上がり、上段に座って真尋を見下ろした。
「上から見ても狭いぞ!」
「あはは。だろうね」
もっとぼろくそに言うのかと思ったけれど、ロキは少し落ち着かない様子で部屋を見回しているだけだ。多分ロキ以上に、真尋のほうが、彼がここにいることを不思議に思っている。どう見ても背景に馴染んでいないのが、いっそ愉快だった。
「ロキ」
「なんだよ?」
見下ろしてくる。眩しく見えたのは、決して天井の明かりのせいだけではないだろう。
「これからよろしく」
握手を求めるように手を伸ばせば、ロキはフンと鼻を鳴らして腕組みをした。
「まだ、シバイやるって決めたわけじゃないからな」
「同室だからよろしくって意味だよ」
もちろん、ロキが一緒にやってくれれば嬉しい。けれど、そのためには真尋自身が越えなければならない問題がある。
「そういうことなら、よろしくしてやってもいいぜ」
だがしかし、握手するほど心は開いてくれていないらしく、頑なに腕組みを解かない。
どうにも捻くれたもの言いとその態度に、真尋は小さく笑みを零したのだった。
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