第一幕 THE GOD'S ADVENT《012》

「うんうん。イイね、イイね!」


 稽古を重ねるロキと真尋を見て、ウキウキと弾むような口調で総介はうなずいた。

 新歓ミニ公演の本番まで、あといくらもない。ロキの気性の激しさを考えると、こちらの理想とする芝居に近づけるには時間が掛かると覚悟していた。しかし、真尋の演じた太陽を見て何か思うところがあったのか、文句は言うし感情的にはなるものの、投げ出したりはせず、真摯に向き合っていると思う。

 まだ、芝居を始めたばかりだ。多少の粗には目を瞑るつもりだったが、ロキは真尋や総介に言われたことを理解し、自分のものにするのが抜群に上手かった。耳もいいのか、セリフ覚えだけなら真尋より速い。役柄に入り込めず、ふとしたシーンですぐに“ロキ”に戻ってしまうのが難点だが、今回は章と相談して、北風の性格をかなりロキ寄りに設定してある。多少地が出ても、十分ごまかしが利くだろう。


 それに何より、ロキの持つあの“華”は、その難点を覆い隠してしまうほどだ。

 部室の蛍光灯の下でもあれほど輝いているのだから、舞台上に立ったらどれだけ人目を引くか。考えるだけでわくわくする。


(でも、一番の収穫は――)


 真尋が心底楽しそうにしていることだ。どんな瞬間でも華やかなロキとは違い、真尋は普段は決して目立つタイプではないが、一度役に入り込めばまったく引けを取らない。ロキに惹きつけられる観客の視線を、その身振り、その声音、その身体のすべてで、自然と自分に向けさせる力強さがある。真尋の魅力は、まったくタイプの違うロキと競うように演じることで、ますます輝くように見えた。


 そう、それを知っているからこそ、舞台に立てないのが歯痒くてならなかった。役者・叶真尋の才能は、あそこで終わらせるにはあまりにも惜しい。真尋の芝居に惚れ込んだ総介は、その才能を枯らさないために中都まで真尋を追いかけて入学し、演劇部を復活させたのだ。

 早く、たくさんの客に見せたい。この小さな舞台から、再び輝く真尋の姿を。


「よう」

「んぁ? ああ、育ちゃん。めずらしーね」


 ふと部室を訪れたのは、顧問の竜崎だ。気怠げに現れて、活気づく室内を見回している。


「順調か?」

「もっちろん。見て見て、チラシもばっちし!」


 ずいっと今日できあがったばかりのチラシを差し出せば、竜崎は一瞥して目を細めた。


「まあ、お前のことだ。その辺は心配してねーよ。それより、気ィ、配ってやれ」

「うん?」


 竜崎の視線を追う。真尋とロキだ。この1週間ほど、寮の同室で寝起きするようになったからか、2人の息は合ってきている。それなりに打ち解けたらしい。

 けれどふと、真尋の表情が曇ったように、総介の目には映った。おそらく、竜崎もそれを見たのだろう。確かめようとしたが、振り向くと竜崎はもう姿を消していた。相変わらずの適当ぶりだ。芝居は嫌いではないようだが、あまり自分のことを語らないので、竜崎のことはよく分からない。ただ、顧問だからと演出家気取りで口を挟んで来ないのが、総介としてはありがたかった。


 元々生徒任せの顧問だが、今回は特に総介たちに丸投げしている。それでも、部室でミニ公演をやると言ってからは多少気になるのか、こうして時々練習中に覗きに来ている。声を掛けることは滅多にないから、本当に覗く程度だ。


(なのに見抜いちゃうんだから、侮れないよねえ)


 息をつくと、総介は合間を見て真尋を呼んだ。


「――ヒロくーん。ちょっとちょっと。あ、ロキたんは来なくていいよ」

「いい加減、ロキたんってやめろ。呼ぶならロキ様だ!」


 キッとまなじりをつり上げるロキを置いて、真尋がやってくる。


「なに、西野?」

「ちょっと、外出よう」


 きょとんとする真尋を連れて廊下に出る。廊下には午後の陽が差し込んでいるが、それでも空気はまだひんやりと冷たかった。


「ズバリ聞くけど。なんか不安?」

「……え」


 真尋は、わずかにたじろいだ。演じていない時の真尋は素直で分かりやすいが、時折、感情を表に出さないことがある。一人っ子の総介には実感が湧かないが、上にも下にも兄妹がいるという真尋は、自分の力でどうにかしようとする癖がついているのかもしれない。

 そんな真尋に、大丈夫かと尋ねても大丈夫と言うに決まっている。

 だから、総介はストレートに聞いた。案の定、大丈夫だよ、と言おうとしたのだろう。それでも嘘はつけなかったのか、唇を震わせてぎゅっと結ぶ。

 総介はじっと待った。やがて、沈黙のカーテンをこわごわ開くかのように、真尋はそっと呟いた。


「俺――」


 真尋の口から嘆息とともに零れた言葉に、総介は小さく息を飲んだのだった。




   *   *   *




 ロキが演劇部に入ってからの日々が、本当に楽しくて、楽しくて。まるで遠い日の、ただ演じるのに夢中だった頃の自分に戻れたようで、真尋の心は久しぶりに躍っていた。

 だからこそ、ふとした瞬間に顔を出す恐怖に、息が止まりそうになる。

 脚本、演出、音響、衣装、それに宣伝や、道具作り。みんなが手を尽くして、舞台を整えている。自分を信じてくれているのがひしひしと伝わってくる。だからこそ――仲間がそうやって盛り上がれば盛り上がるほど、また裏切ってしまうのではないかと、不安で息苦しくなっていく。


「マヒロ?」


 思いがけず話しかけられて、びくりと肩が跳ねた。


「……ごめん、ぼーっとしてた」


 寮の部屋。ひょっこりと二段ベッドの上段から顔を覗かせたロキは、逆さまのまま聞いてくる。

 たまたま1人で使っていたこの寮室に、ロキが来て2週間ほどになる。真尋は家族が多かったから、誰かと同じ空間で暮らすことには慣れているし、ロキの突拍子もない言動に驚かされることは多いけれど、それも楽しいと思えていた。


「明日本番だからって、緊張してんのか?」

「ちょっとね」


 ふうん、とロキは鼻を鳴らした。きっと、ロキは緊張なんてしたことがないのだろう。いつだって自信満々で、堂々としている。舞台の上でもそのままに違いない。

 けど、自分は?

 そう思うだけで身体が奥底から震えた。


「えっと……で、なんの話だっけ?」

「……別に」


 ロキは怪訝そうな顔をして真尋を見ると、顔を引っ込めた。いつもだったら話しかけてきたが最後、こんなに簡単には引き下がらない。あの言葉はどういう意味だ、これを食べてみたい等と、子どものように話しかけてきて離さない。けれど今の真尋には、何か感じるところがあるのだろう。何も聞かないロキにホッとしているくせに、どこか見放された気がするのだから、我ながら面倒くさいなと思う。

 声が上から降ってくる。


「さっさと寝ろよ。寝ないとまともに動けないんだろ。人間ってのは」

「うん……おやすみ」


 明日。明日だ。

 どれだけ怖くたって、明日ほんばんはやってくる。時間を止めることも、飛び越えることもできない。それが人間で、それが役者。覚悟を決めるしかないのだ。

 明日、一歩を踏み出せるかどうかで、きっとすべてが決まってしまうのだから。

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