第一幕 THE GOD'S ADVENT《013》
「おお、けっこう入ってんね~!」
急ごしらえの舞台袖からこっそりと客席を覗いた総介は、なかなかの席の埋まり具合に感動した。この勢いで増えれば、開演までには立ち見客も出るのではないだろうか。
「大半が、ロキ目当てだけどな」
「それを含めての、“華”っしょ」
緊張を滲ませる章の表情は硬い。普段めったに表情を露わにしない律や、なんでも笑顔で受け入れる衣月でさえ、今は落ち着かない様子だった。もちろん、うまく隠してはいるが、総介もそうだ。部員の中でいつも通りなのはロキくらいのものだろう。
この盛況は、そのロキがもたらしたものだ。謎の美形転入生と、学校中が注目している。華奢で少女にも見えるあの外見だ。男子校だというのに、紹介してくれと言ってくる者もいるし、本当は男装女子なのではと興奮気味に聞いてくる者もいる。漫画の読み過ぎだと笑えないのは、ロキが男装女子どころか、北欧神話の神で、実際性別的にはどちらでもないからだ。しかも、学校に慣れてくるごとに、本来のイタズラ好きが顔を出し、力を隠しもせずに好き勝手するため、何かと話題が尽きない。部員総出でなんとかごまかした結果、学生たちは神の力を手品やトリックの一種だと思っているらしい。
「今更だけど、よく部室で公演やる許可下りたよな」
聞いてくる章に、総介は軽く胸を張った。
「そりゃぁ、オレと部長で育ちゃんのこと説得したもん」
育ちゃんこと顧問の
部員が1人増えたくらいで、真尋がトラウマを克服できるのか、と。
『無理したとこで、余計に傷が深くなるだけならやらないほうがましだろ』
『新しく入ったのがフツーの奴なら、そうかもしれない。でも、ロキはただの役者じゃないんだ。育ちゃん。オレたちに賭けてよ』
竜崎は、すっと目を細めた。
『賭けに負けたら、今度こそ叶を完全に潰すかもしれないんだぞ?』
分かってんのか? と声を低くする竜崎に、総介はぐっと拳を握って、揺れそうになる気持ちを抑え込んだ。
『分かってる。でも、成功すればもう一度見られる。輝いてる、叶真尋を』
先生だって見たいはずだ。その想いで強く竜崎を見つめる。
『――勝算は?』
『ある』
竜崎は視線を流し、衣月を見やる。
『お前も同意見か、南條』
『はい。ロキには、ほかにない華がある。きっと、風が吹きます』
きっぱりと言い切った衣月に、竜崎は一瞬渋い顔をして溜息をついた。文武両道で品行方正、演劇部のみならず数々の部活の助っ人や、寮長までこなしながらいつでも柔和。超がつく模範生徒の衣月にそう言われては、返す言葉がないのだろう。
『……分かった。部室に人を集める許可は取っておく。その代わり、今の言葉、嘘にするんじゃないぞ』
『はい! あざーっす!!』
『そんなときだけ敬語かよ』
竜崎の前では半ば強引に押し通したが、今はほんの少しだけ不安が増している。先日、真尋の本音を聞いたからだ。
(『怖い』……か)
何かきっかけさえあればまた舞台に立てると、総介はずっと思ってきた。今もその考えは変わっていない。
真尋は芝居バカで、稽古は欠かしたことがないし、演じているときが一番生き生きしている。“好き”という熱意は誰にも負けていない。自らも子役出身で、数多くの役者を見てきた総介がそう思うのだから間違いない。だから、ロキの存在がきっかけとなって、もう一度舞台に立てさえすれば、状況はきっと変わるはずだ。
けれど、もし、自分の見当違いだったら……?
「……真尋」
少し離れた場所で、真尋は太陽の衣装を着て所在なく佇んでいる。その孤独な背中に、総介はなんと声をかけていいか分からず、自分の未熟さを悔いた。
(心臓、うるさい……)
真尋は目を閉じた。
ドッドッドッドッ――鼓動が、まるで全力疾走したときのように跳ね回っている。喉がからからだ。冷たい指先をぎゅっと握り込む。
客席のざわめきが舞台袖の中をも侵食し、渦巻いている。暗幕を垂らしただけの急ごしらえの舞台袖だったが、姿を隠してくれるだけでも今はありがたかった。
(落ち着け、落ち着け……)
ロキがうんざりして、飽きたと暴れ出すくらい何度も稽古した。セリフも流れも、完璧に頭の中に入っている。間違えようがない。もしセリフが飛んだとしても、身体が自然と動くだろう。それなのに、込み上げる不安が今にも口から飛び出して、悲鳴を上げてしまいそうだった。
「真尋?」
そっと肩に置かれた手に、びくりと過剰に反応してしまった。振り返れば、苦笑した衣月が真尋の衣装を改めて整える。
「大丈夫だよ。あんなに稽古しただろ。自分を信じて」
「……はい」
その自分が一番信じられない。でも、こんなに優しく笑いかけてくれる衣月には――仲間には、それは言えない。
「そろそろ時間だ。ロキ、準備オッケー?」
「おう! 初舞台だなっ」
総介の言葉に、同じく舞台袖のロキは張り切って返事をした。北風を表現しようと衣月が工夫し、薄い布を重ねた衣装が、ロキによく似合っていた。初めて会ったとき、芝居を“ヒラヒラした格好をしたお遊び”と言っていた割には、気に入ったようで機嫌がいい。これさえ終えれば“心からの笑顔”がある程度集まるという期待もあるのだろう。
そして、
「ヒロくん」
「……うん」
総介に……演出に名を呼ばれる。それは、始まりの合図だ。
「開演10秒前」
部室の照明がすべて消える。
ドクン、ドクン――鼓動以外の音が、遠い。
総介が指を折りカウントしていく。
「5秒前。4、3、2、……」
総介がサッと腕を振り、操作卓の音響担当・律と照明スイッチング担当・章に合図を送った。
舞台にスポットライトが降り注ぐ。最初の出番は北風だ。ロキはまさしく、風のように軽い足取りで袖を飛び出し、光の中へと躍り出た。
こうして、舞台袖から誰かの芝居を見るのも久しぶりだった。ロキは初舞台でもまったく恐れず、堂々と、観客の眼差しを一身に受けている。ライトの中に浮かび上がるその姿は、この世のものとは思えないほど輝いていた。
ロキは華だ。誰もが心を奪われる華。
それに比べて、自分は?
――“真尋には、もう、芝居なんて――”
「……っ」
痛い過去が牙を剥く。心臓の音が、ロキのセリフを掻き消す。それでもロキの身振りだけで、どのセリフを言っているのか分かる。このあとすぐに、太陽の出番だ。
視界が狭い。息が苦しい。
ぐらぐらと揺れているのは、床? それとも自分?
寒い、いや、暑い。分からない。いつの間にか、汗が噴き出していた。
出なくちゃ。あの、観客の視線の中へ。行かなくちゃ。そうしないと、また――。
そう思うのに、足が動いてくれない。
舞台代わりにしつらえた教壇の、たった15センチ。その、15センチが越えられない。
「っ、はっ、はあ……」
“――真尋!”
幼い声が、耳の奥で木霊する。
(ダメだ――)
やっぱり、俺にはできない。
真尋は、ずるずるとその場にしゃがみ込んだ。
もう、立っていられない。
ロキがいるのに。仲間があれほど力を注いでくれたのに。
それなのに自分は、あの場所に二度と、立てないんだ――。
悲しくて、悔しくて、情けなくて、いっそ泣いてしまいたかった。
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