第一幕 THE GOD'S ADVENT《018》
万雷の拍手が蒼天に高く響き渡る。色とりどりの花が舞い、歓声が舞台上の4人へと降り注いだ。
神々が住まうアースガルズ。緑豊かな大地に佇む荘厳な神殿前のステージで、賞賛を一身に受ける彼らは、観客に一礼すると、手を振りながら舞台を降りていった。
神殿に入ってもなお、4人を求める熱狂的な歓声は続いている。
「トール様」
「ん?」
呼び止める声に、最も体格のいい青年――トールが振り返る。それに続くように、残りの3人も足を止めた。ゆったりとした足取りで近づいてくるのは神官の1人だ。恭しく4人に礼をすると、目を伏せつつも用件を口にする。
「オーディン様がお呼びです。公演が終わり次第、館にいらっしゃるようにと」
「ああ。すぐに行くと伝えてくれ」
「かしこまりました。」
神官は再び頭を下げると、来た時と同じゆったりとした足取りで去って行った。
「オーディンが呼んでるって? めんどーな話じゃねーだろうなっ」
いち早く怪訝そうに眉根を寄せたのは、勝ち気な顔をした少年、ヘイムダルだった。
「てか、なんでいつもいつもトールに言うんだよ。リーダーはオレだぞ!」
「はは。単に俺がでかくて目立ったってだけだろう。カッカするな、ヘイムダル」
「でも、急にお呼びになるなんて……よくないことでもあったんでしょうか?」
精緻なガラス細工のように美しい顔の少年、バルドルが、声に愁いを滲ませる。その隣で、長い前髪の隙間から冷ややかな表情を覗かせたブラギが、淡々と言葉を発した。
「……また、何か面倒なことを思い付いたんじゃないですか」
「ブラギ。オーディン様のお命じになることは、どれも面倒なんかじゃないよ?」
「でもよ、バルドル。あのオーディンだぜ? オレたちに思いつきで芝居させようって奴だ。また、なんかとんでもねーことやらせようってんじゃねえの?」
「そうだとしても、僕は嬉しいよ。オーディン様のお役に立つのも、他の神々を楽しませられるのも」
「……兄さんらしいですね」
ブラギが呟けば、トールがぽんぽんぽんと、3人の頭を撫でた。
「ま、なんにせよ、行ってみればわかることだ。早いとこ着替えちまおう」
トールの穏やかな声に促されるよう、先頭に立ったヘイムダルは、控えの間の扉を開けた。
すると、
「ああ、戻ったな。待ちわびたぞ」
フードを目深に被った青年が、目と鼻の先で出迎える。思わずヘイムダルは扉を閉めた。
「今、なんかいたよな。ていうか、アイツだよな!?」
ヘイムダルの見間違いではないらしい。トールは苦笑を浮かべているし、バルドルも困り顔をしている。ブラギだけはいつもの無表情だ。
「ヘイムダル、急に閉めると指を挟んじゃいますよ?」
「いや、びっくりして……よ、よし。もう一度開けるぞ」
扉を開ける。そこには、間違いなくその神、オーディンがいた。神出鬼没な最高神だ。
「オーディン!」
「どうだ、驚いたか?」
「そりゃそーだよ。呼んでるっつーから、こっちからあんたの館に行くところだったんだぜ! なんでこんなとこに」
「ヘイムダル。その反応は、相手の思う壺かと」
ブラギが静かに言えば、オーディンは満足げな笑みを浮かべた。
「気が変わってこちらから出向いた。それより、今日の舞台も素晴らしかったぞ。さすがは私の見込んだ者たちだ」
「どーも。けど、今更そんなこと言いに来たわけじゃないだろ?」
トールの問いに、オーディンはふっとフードの下の笑みを深くする。
「理解が早くて助かる。お前たち、ロキの話はもう聞いたか?」
ロキの名前に、4人の空気がふとこわばる。けれど、誰も何も聞いていないようだ。
「あいつまた何かやったのか? でも、そんなのいつものことだろ。そうじゃなきゃ、あいつじゃねーし」
ヘイムダルはそれがどうしたんだと首を傾げた。
ロキが何をしたにしろ、あのイタズラ好きは今に始まったことではない。ロキのことでわざわざオーディンが足を運んだ理由が、他にあるというのだろうか。
「――ロキが、とうとう、人間を殺めかけた」
「!」
4人の間に緊張が走る。
人間の生命に干渉することは、神にとって最大の禁忌だ。だがそれだけではない。どす黒く、嫌な記憶がそれぞれに甦る。あんな事件を起こしておいて、まだ反省していないのか。
トールは眉間に力を込め、ヘイムダルは息を飲み、バルドルは花のような唇を引き結んだ。ブラギが前髪の奥で怒りを宿した目を見開き、静かに口を開く。
「……あのクズならいつかやるとは思っていました。ですが、私たちにはなんの関係もありません」
静かな拒絶の言葉。しかし、オーディンは重ねて言った。
「関係はある。お前たちには、ロキの手助けをして欲しい」
「手助け?」
トールの問いに、オーディンはひとつ頷いた。
「最近のあいつの行動は目に余る……小さなイタズラならば目をつぶっていたが、今回のことは見過ごせない。罰として、アースガルズへの帰還を禁じた」
「えっ!? いねえなとは思ってたけど、どっか遊びに行ってるんじゃなかったのか……!?」
「それは……ロキを追放なさる、ということでしょうか。もしそうなら、僕は――」
ヘイムダルは驚愕し、バルドルが声を震わせる。しかしオーディンは首を振った。
「追放はしない。だが、帰還のため、2つの条件を出した。人間たちの“心からの笑顔”を集めること。そして、ロキが殺めかけた人間の“真実の願い”を叶えること――」
「それを、俺たちに手伝えって話か」
トールの表情は硬い。
「いいや。これは、ロキ本人の力で達成しなければ意味がない」
ならばどういうことなのかと、トールたちはオーディンの言葉を待った。
「今ロキは、人間の少年たちとともに“心からの笑顔”を集めようとしている。――“芝居”を通じて、な」
「芝居!? あのロキが!? オレたちの芝居を鼻で笑って、馬鹿にしてた、あのロキが!?」
オーディンに掴みかからんばかりに食いつくヘイムダルを、オーディンは軽くいなした。
「それが、ロキが手に掛けようとしていた者の“真実の願い”を叶えることにも繋がるからだ。概ね受け入れられて、仲良くやっているようだぞ」
それまで微動だにせず話を聞いていたブラギが、ハッ、と嘲笑した。
「その人間、ロキに殺されかけたんでしょう。なのに受け入れるなんて……クズのところには、クズが集まるようですね」
「ブラギ、そんな言い方しないで」
兄バルドルの悲しげな瞳にも、ブラギはきつい態度を緩めない。
オーディンは静かに続けた。
「善良な人間たちだ。彼らにロキを預けた私の目に狂いはなかったと思っている」
「……」
「だがしかし、ロキはあの性格だ。あちらの居心地がよくなれば、本来の目的を忘れ、投げ出すかもしれない。それでは、なんの意味もない」
「つまり……オレたちに、ロキの試練になれ、と?」
「そうだ。発破をかけつつ、必要な障害を作り、成長を手助けしてやれ」
オーディンの言葉に、トールをはじめ、皆が黙り込む。
「どうだ。やってくれるか?」
それを聞いて、ヘイムダルはニッと笑った。
「障害になるってよくわかんねーけど、要するにあいつと戦えるってことだろ? ならいーぜ。やってやる!」
「それって……その、僕たちも人間界に行くってことでしょうか?」
オーディンが頷くのを見たバルドルは、頬を薔薇色に紅潮させた。
「それなら、ぜひやらせてください、オーディン様。ロキのこともとても心配ですし、それに僕……人間界に、会いたい人がいるんです」
力強く言ったバルドルを横目に見て、ブラギが溜息を吐く。
「またあいつと、関わり合いを持たなきゃならないなんて……。しかも手助け? ありえない。最悪を軽く通り越してる」
「ブラギ……じゃあ、一緒には行けない?」
「……。兄さん1人であいつに会わせるつもりはありませんよ」
オーディンは3人の答えに満足したように頷いて、トールを見た。
「お前はどうだ?」
「――ロキの手助け、ね」
トールは一瞬、笑うのに失敗したような複雑な表情を浮かべる。優しげな目元ではあるが、その眦にはどこか、暗い淵が覗いている。その闇を振り払うように、トールはオーディンを見返した。
「オレも行く、が正解なんだろ。そもそもこいつらだけじゃ、心配だしな」
「別に、来たくないなら来なくてもいいんだぜ! バルドルとブラギのことはオレに任せろ!」
「あなたに任せる方が試練でしょうね」
「なんか言ったか、ブラギ!」
「いいえ、何も」
そっぽを向くブラギをどこか微笑ましく見て、バルドルはトールを見上げた。
「ありがとう。よろしくお願いします、トール」
「おう。お前も会いたいヤツってのに会えたらいいな」
「……はいっ! もし会えたら、本当にとても嬉しいです。僕が芝居を始めてからずっと、憧れている人だから」
トールは、はにかむバルドルの頭を撫でる。そして、ここにはいないロキの背に思いを馳せるように、遠くに視線を投げたのだった。
神様しばい 三糸ユウ、犬井 楡/ガルスマノベルス @glsmnovels
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