第9話 巣4

 ユーリエたちは畑エリアを抜け、事実上巣の外苑である針葉樹エリアを抜けた場所に来ていた。


 以前であればこの先には外苑と同じような針葉樹で埋め尽くされ、うっそうとした昏い森が広がっていた。

 今はせいぜいユーリエの腰くらいまでしかないシダ系の灌木で埋め尽くされ、この盆地を囲む山脈のふもと付近までは、亜熱帯のようなジャングルで占められているようだ。

 の割には随分と気温が低い。

 薄着であれば少々肌寒くなるような気温を感じていた。

 ユーリエの体はその程度の気温差などではあまり動じないものとなっているが。


「たしか、ろくに大型の獣も魔獣もいないという報告を聞いているけど?」

「はい。小さな爬虫類や、猿などの獣が多く生息しているという調査報告が上がっております」


 今こうしている間にも、探索を得意としているチームが至るところまで入り込んで、調査を続けていた。

 ユーリエが手元で拡げた地図には、今この瞬間もじわじわと拡大を続けている。周辺の地形が手に取るように判明していく。

 地表、森林、山脈、草原、荒野、湿地帯、乾燥地帯、水辺。

 全ての区域に細かく分けられたうえに、温度や湿度。各所に生息している動植物。食用になるかどうか。栽培可能かどうか。掘削可能な鉱物などなど。

 すべてが赤裸々に暴かれて、巣でデーターを管理している部署により開示されていってる。

 探索は第二軍が担当しているが、情報管理をしているのは第五軍である。


 ユーリエが手元に開いた周辺の地図も、会議を開いた時より表示される範囲が倍以上に広がっていた。

 先程はこの盆地を囲む険しい山脈までであったが、現在はその山脈の先の方まで表示されている。


「あら?」

「どうしましたか?」


 山脈の部分を目で追っていたユーリエが、何かに気付いたように呟く。静かに控えていたカラが、顔をあげて尋ねた。

 バルラロッサはというと注意深く近辺を警戒している。


「山脈、西の方だけはすぐまた森が広がっているわね」


 カラがユーリエの手元を覗き込むと、確かに西側だけは山脈というほど山は多くない。すぐになだらかな斜面となって緑いっぱいの森が広がっている。

 ただ、盆地の中に広がる森とは違った環境に変わっているようだ。


「ここの植生はどうなってんのよ……」

「確かに、その疑問には同意致します」


 西側に広がる森は落葉樹、針葉樹入り混じった森であった。まごうことなき森林。ノーマル・オブ・ベスト、森林とはこうあるべき。

 どこかで聞いたようなセリフを演説するローヒーのナレーションが、ユーリエの脳内を駆け抜けていった。


「ユーリエ様!」

「あら、ユフクレナ」


 トンボと蝶の部下を引きつれたユフクレナが近くへ降り立った。

 跪きはしなかったが、恭しく頭を下げたユフクレナが受けた命令を完遂したことを述べ、ユーリエはそれを労った。


「ひとつ気付いたことがありまして」

「何?」

「西側の森林の先ですが、どうも何者かの種族が住む集落があるようです」

「え、マジ!?」


 一瞬硬直するも、考え込むように沈黙したユーリエの采配を待つユフクレナ。

 そんな同僚の脇腹をつつき、バルラロッサが小声で訪ねる。


「お前のことだ。視認しただけじゃあ済まねえんだろう?」

「何を邪推しているかは知らぬが、生憎と任務で受けた探索の範囲外だ。視認しただけに決まっいてるだろう」

「ホントか?」

「無論。だが、功を焦った部下がそれ以上の情報を得たとしても、わたしはソイツを命令違反で厳罰するかもしれんがな」

「功を焦った? 焦らせたの間違いじゃねえだろうな」

「お二人とも。聞こえています。内緒話ならばもっと遠くでやってください」


 聞くに堪えぬといった口調でカラが割り込んだことで、二人の悪だくみは中断された。

 地図をにらんでブツブツと呟いていたユーリエは、顔をあげると界樹の方へ向け歩き出した。バルラロッサとカラも慌てて後を追う。


「ユフクレナは現状維持。あとは範囲内を五軍と探索。有用な資源を片っ端から採取しておいて。お願いね!」

「ハッ、承りましてございます」


 もう一度頭を下げ、部下を連れたユフクレナは上昇していった。

 ユーリエは第四軍、蟻族の巣の出入り口までやって来ていた。

 界樹の周辺のいくつかにこの出入口は設置されている。ほとんどは果樹園の収穫をするためだが、もしもの時のために侵入者を分断する意味もあった。


「こんなだったけ?」

「このようなものでしたよ」


 そこが地下神殿入り口みたいな装飾をされているのにユーリエは困惑していた。聞いてみたらカラに前からこれがそうだったと言われ、首を傾げてしまう。

 警護をしていた兵士蟻二名にパナケアの所在を聞けば、すぐ中へ通されて案内役が一人やって来る。

 用途別に特化したフェロモンを通路に流せば、地下通路に列をなす働きアリネットワークが、瞬時に巣内を網羅して個別に情報を届けるのだそうな。


 巣内を上へ下へと歩かされた三人は、巣の中枢である女王の部屋へ通された。

 案内役のパナケアの姉妹は、もの凄い恐縮したようすで「支配者マスター様にこのようなところを歩かせるなんて」とこぼしていた。


 城などと同じく、中枢に続く道は迷路状になっているのが当たり前である。

 リアルの肉体であればすぐにへばっていただろうが、今のユーリエはゲーム内最強を維持していられたアバターである。

 一日に数百km歩いたとしても、疲れを感じれるかどうか。


支配者マスター様。このような穴倉にようこそおいで下さいました」


 厳かな声が巨大な洞窟となったところに響く。

 第二軍を統べるルオミオは直径五m、長さ三十mにもなる腹部を持つ巨大な女王蟻の姿をしている。肥大化した腹部はあちこちが発光しながら、ドクドクと鼓動を刻んでいた。

 ダンプカーみたいに巨大な頭部付近には、パナケアを中心とした彼女の姉妹がずらりと並び、跪いている。


「お願いがあるんだけど」


 すっとルオミオに歩み寄ったユーリエが、人など軽く咥えられそうなアギトに手を伸ばした。

 支配者マスターが自ら触れるなど配下にとっては至上の喜びである。ルオミオの娘たちの目には羨望の眼差しが宿っていた。


「何なりとお申し付けくださいませ」


 顎がユーリエの足元まで下げられ、ルオミオの頭が地に着く。


「巣分けをしてもらいたいから、一人選出してちょうだい」

「巣分け、ですか?」

 ルオミオの複眼が驚いたように発光した。


「西側に山脈の切れ目があるの。その先にはまた別の森が広がっているわ。カモノハのところに新しい女王候補が生まれたのでね、その子と同じく別の森で勢力範囲を広げたいの。頼まれてもらえるかしら」

「それでしたら適任がおります。リプレ!」


 ルオミオが呼び掛けると、パナケアの隣にいた少女が立ちあがった。

 ルオミオの大きな触覚で肩を叩かれたリプレは、恭しくユーリエに一礼し、微笑んだ。


「リプレはこの中で最年長ですので、新たな女王には最適でしょう」

「そう。なら準備はお願い。カモノハのビロウドはまだ卵だったから、地上を先に抑えておいたほうが良いかもしれないわね」

「ご意志通りに」


 その場にいたルオミオの眷属がもう一度頭を下げる中、ユーリエはバルラロッサにも命令する。リプレの移動に伴う護衛隊を派遣するようにと。

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