第10話 巣5
「ほぅ」と最初に呟いたのは誰だったか。
ユーリエが去った場で誰もがその余韻を噛みしめていた。
女王もその娘たちも動くものはいない。
最初に強張った体をほぐすように動かしたのはパナケアであった。
「ふぅ。ユーリエ様がここに来ると、いつも被害が甚大ですね」
彼女は自分の左側に並んでいた妹たちを呆れたように見つめた。
皆、動かないのではなく、動けないのである。
理由は「訪れた
言っておくがユーリエはそのようなスキルを持っていないし、それに該当する術も使っていない。
全部、一族に共通する突き抜けた忠誠心とか崇拝とか心酔とか呼ばれる感情を原動力とする想像がもたらした現象だ。
ちなみに巣内にこのような感情をもつ者が数多く存在することは、ユーリエにはまったく知られてはいない。
パナケアは「それに」と横へ視線を向ける。
そこにはちょっと顎を上げただけの姿勢で固まっている全員の母であり、第四将軍でもあるルオミオがいる。
こちらもさっきから微動だにしない。
いや、目を凝らして見れば、かすかに振動しているのが分かる。
ユーリエに直接触れられるという名誉を通り越したナニカによって、感動が突き抜けて放心している状態なのだ。
ユーリエがいるときは耐えていたが、姿が見えなくなったらもうダメである。
「ああなったら、しばらく帰って来ませんね……」
「そうね……」
パナケアはリプレと顔をつき合わせて同時に溜息を吐く。
「何はともあれ独立おめでとうございます。お姉さま」
「先に巣を出るのはパナケアだと思っていたわ」
「どうでしょうね。私はユーリエ様に副将と認識されているので、巣立ちの任務は永久に来ないような気もしますが」
「それはそれで嫌な話ね」
労いの言葉をかければ、リプレは些か困惑気味に返してきた。
逆にパナケアが諦めたような苦笑を浮かべれば、リプレは肩をすくめた。
「何はともあれ動かないとどうしようもありませんね。新たな巣は異種族の巣の目の前にあるというじゃありませんか。働き蟻と兵隊蟻を二割ほど持って行くようでしょうね」
「二割も持って行っちゃって大丈夫かしら? 私は少数精鋭で構わないと思うのだけれど」
「お母様に頑張ってもらえばいいだけですから。ほら、いつまで感動に打ち震えているんですか、お母様」
ルオミオの大顎の部分をポコンと蹴るパナケアである。
ルオミオは人によっては恐ろしい容姿の頭部を横へ向け「ひどい」と震える声で呟いた。
途端にトラック程もある体がぐにゃりと歪み、そこには水色のドレスを纏った黒髪の清楚な美女が姿を現す。
「ひどいわパナケアちゃん。いきなり蹴るだなんて……。お母さん何もしてないのに」
涙目でハンカチを握りしめ、頬を押さえて「よよよよ」と泣き崩れる。
パナケアとリプレはそんな美女の行動に、額に手をやってうんざりした表情になる。
この深層の令嬢のような姿の美女がルオミオのヒト型形態である。
この辺りの第一世代部分はローヒーが拘ったため、第二世代であるパナケアらほど昆虫色が出ていない。
ちょっと違うといっても巨体過ぎて下半身まで変化できぬため、ドレスの腰から下にはドクドクと不気味な鼓動を打ち、背後の奥まで伸びる腹部は健在であった。
「いつまでも悲しんでないでください。お母様には姉さんについていく働きと兵隊二割分だけでなく、巣の拡大に合わせた娘たちを増やしてもらわねばならないんですから!」
「ええええ~。お母さん一人でそれだけ増やすのって酷いと思わない? 誰か手伝ってくれてもいいじゃない~」
ぷうと頬を膨らませる姿は可憐だが、あいにくそれが萌える者はローヒーだけしかいないので、娘たちには全く通じない。
それに一つの巣に女王は一人だけしか君臨できないので、誰かに代役を頼もうとすればルオミオは死ななくてはいけない。
「わかったわよ。わかりました。ホラ、リプレちゃんも早く支度なさい。
ぶーぶー言いながらもその身をもとの大蟻の姿に戻しながら、ルオミオはリプレを促した。パナケアと視線を合わせてクスリと笑ったリプレは、ルオミオの前で恭しく頭を下げると早足で女王の間を出て行った。
パナケアも妹たちを連れ、その後を追う。ついでにフェロモン伝言で兵隊蟻と働き蟻の一部にリプレへの追従を促して巣の外へ出る。
リプレが出発するまでには第一軍や第三軍と足並みを合わせなくてはならないからだ。
が、ルオミオが巣を出たところで、めんどくさそうな顔で欠伸をする第三将軍のカーディナルと第一将軍のバルラロッサが、二十人ほどの部下を連れて待っていた。
「やれやれ、仕事が山積みだよ。めんどくせえ」
「よっ。選抜メンバーはもう出るのか?」
「二人ともずいぶん迅速ですね。どうしたんですか?」
「どうせディナんとこもいるだろうと思ってな。声をかけてきた」
「ありがためいわくだわ、まったく」
ふわわ~と欠伸をするカーディナルは隣にいたカミキリ種の副将に「しゃんとしてください!」と怒られていた。
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