14.

 シカゴの街に佇む鉄橋のほど近く、高架電車の音は聞こえるが決して煩わしくないあたりに『コロシモズ・バー』という名のバールがある。

 名前で一目瞭然だが、そこがコロシモファミリーの拠点だ。表向きにはリストランテ・バールを謳っているものの、この禁酒法の時代に堂々と酒を出していることは公然の秘密。店の裏は事務所になっており、最近ではファミリーの関係者しか出入りしない。

 だがその日、バーには珍客が現れた。

 涼やかなカウベルの音と共にドアを潜ったのは長身の老人だ。やけにくたびれたキャスケット帽を除けば、そこそこいい身なりをしている。背筋もしゃんと伸びていて、ヘーゼル色の瞳に怯えや卑屈の気配はない。

「……いらっしゃいませ」

 と低く声をかけながら、店主はカウンター越しに注意深く彼を観察した。初めて店に来る顔だ。すなわちファミリーの関係者ではない。

 同じく店内にいた数人の顔馴染みも、怪訝そうに目配せし合って老人の様子を窺った。少なくともこの中に彼を知る者はいないということだ。かと言ってただの客とも思えない。カポネ派と揉めるコロシモファミリーの店に好んで来たがる客なんて、今のシカゴにはまずいないだろうから。

「……ご用件は?」

「この店にトーマスという若者がいると聞いてきたんだが」

 と、胸を張って老人は言う。ほんの少し顎を上げ、昂然とこちらを見下ろす様は店主を蔑んでいるように見えなくもなかった。

「ああ、トーマス・オヘアのことなら確かにいるが……あんた、あの小僧の知り合いか?」

「まあ、そんなところだな。彼は今どこに?」

「生憎今は出かけてる。やつはどうも近頃ふらっといなくなるんでな。いつ戻るか分からんが、何か飲んでいくかい?」

「いいや。いないなら好都合」

「何?」

 話が見えず、店主は眉をひそめて聞き返した。が、次の瞬間、この不審な老人をすぐさま敵と見なさなかったことを後悔することになる。

「彼が戻ったら伝えてくれ。金は用意できんから、代わりに手土産を置いていくとな」

 銃声が弾けた。老人の右手から放たれた弾丸は店主の額をまんまと撃ち抜き、カウンターの中を血の海へ変えた。

 色めき立った店内の者たちが一斉に立ち上がる。だが彼らが銃を構えるより、老人の射撃の方が正確で速かった。

 ほんの数瞬の動揺のうちに五人が撃たれて倒れ込む。西部劇のガンマンも顔負けの早撃ちだ。彼はいち早く銃を抜いた者から順に撃ち殺し、そして最後の一人に銃口を向けた。

「くそっ! ジジイ、てめえ何者だ!?」

 唯一の生き残りがボックス席の陰から叫ぶ。彼も銃を手にしてはいるものの、見知らぬ老人の奇襲に肝を潰され情けなく震えていた。

 だが老人は急に構えを解いて立ち尽くす。彼は弾倉が空になった己の半身を見下ろすと、最後に銃把を手放して、言った。

「イタリア人さ」

 時代遅れのリヴォルバーが落ちると同時に、最後の一人が立ち上がった。彼はすかさず銃を構え、震える両手で狙いをつける。

 フロントサイトの向こう側で、老人は微笑んでいた。

 高架電車の警笛が、銃声を掻き消していく。

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