9.

 ニューヨークには、ピンツォーロファミリーと呼ばれるシチリア系のマフィアがいる。

 彼らは当時、アメリカでの勢力拡大を狙って縄張りを広げる一方、優秀な人材――この場合は喧嘩や狡智という意味で――を見繕ってはヘッドハンティングするという行為を繰り返していた。

 そのための求人所のような役割を果たしていたのがクラブ・ダドーネだ。あのクラブはそもそもファミリーの所有物で、彼らはゴミ溜めに群がる無法者の中からシチリア出身の者を選り分けると、注意深く性格や能力を検分した。

 そこでマフィアたちのお眼鏡に適った者だけが、秘密のベールに包まれた彼らの世界へ招かれるというわけだ。

 クラブ・ダドーネに通う非行少年たちの間では、もしもファミリーの幹部に肩を叩かれることがあったらそれは長い人生の中で最高の名誉だと考えられていた。ニューヨークの裏社会を瞬く間に駆け上がっていったピンツォーロファミリーは一種の信仰対象として、クラブ・ダドーネの愛好者に仰がれていたから。

「俺はファミリーからの誘いを一も二もなく承諾した。何しろマフィアになれば、働き次第で大金が懐へ転がり込む。ケチな喧嘩や賭け事で日銭を稼ぐ生活ともオサラバできるというわけだ。加えて俺には、組織の下で金を掴む自信があった。その実現のために全力を尽くす覚悟と理由も」

「……お母様のもとへ帰るため、ですか」

「そうだ。そこから第二の人生が始まった。初めはタダ働きみたいな下っ端からのスタートだったが、俺は文句も愚痴も言わず淡々とファミリーに尽くした。それが上の好評価につながってな。幹部たちに一目置かれるようになるまで、そう時間はかからなかったよ」

「……」

「だが十九歳を迎えたある日……転機が訪れた。当時目をかけてくれていた幹部の一人が、銃を差し出してこう言ったんだ。〝おまえの忠誠心を見込んで大役を任せたい。この仕事をやり遂げたなら、組織は相応の待遇でもっておまえを迎えるだろう〟とな」

「その大役とは?」

「殺しだよ。俺は器量と腕っぷしを買われて、組織の殺し屋ヒットマンになったのさ」

 再び暗闇と静寂が垂れ込める。懺悔室の中を来たときよりも暗く感じるのは、日が暮れ始めたからだろうか。それとも神か聖霊が、自分たちの未来を暗示しようとしているのか。

「つまりあなたは、殺人を犯した」

「ああ。それも一人や二人なんてものじゃない。数え切れないほどだ。俺は上から言われるがままに殺し続けた。取るに足らないチンピラから敵対組織の幹部まで」

「抵抗はなかったのですか。他人の人生を奪うことに」

「今じゃ感覚が麻痺しちまって何も感じないがな。最初は当然動揺したさ。俺は父を殺したことで道を踏み誤った。なのにまた人を殺すのかと」

「……」

「だが断ることはできなかった。金の問題もあったがそれ以上に、そんな真似をすれば自分が消されると分かっていたからだ。俺は差し出された銃を受け取り、引き金を引いた。次の日には目の玉が飛び出るほどの大金が俺の手の中にあった」

 殺しの任務は難易度が高い上に、実行者の身にも危険が及ぶ。だから数あるマフィアの仕事の中でも特別に割が良かった。

 当時はそうして手に入れた金を握り締め、自分に言い聞かせたものだ。これで母を苦労の淵から救ってやれる。人殺しはそのためにどうしても欠かせないことだったのだ、と。

「お母様は喜ばれましたか?」

 ところがそんな欺瞞を打ち消すように、神父の鋭い声がする。

 先程までの穏やかな調子は一変していた。問い質す神父の声は硬く、きっと彼は神の法に従わぬ者に怒りを覚えているのだろうと察した。

 同時に彼の問いかけが胸の中を攪拌する。答えようとした言葉は喉につかえた。

 らしくないな、と内心苦笑してから思い直す。いいや、そもそもこの懺悔室に足を踏み入れた瞬間から、自分はずっとらしくないじゃないか、と。

「母は喜んだよ。大金を携えて戻った俺を見ると、まるでキリストの復活でも目の当たりにしたかのように泣いて喜んだ。数年ぶりの対面だったし、俺がどうやってその金を稼いだのか、母は知る由もなかったから」

「真実を隠したのですか?」

「あんただったらどうする? 息子との再会に咽び泣く母親を前にして、これは人を殺して得た金だと宣言できるか? 少なくとも俺にはできなかった。だから適当に誤魔化した。この国で成功したイタリア人の富豪に、同郷だからと可愛がってもらったとか何とか言ってな」

 嘘の中にほんの少しの真実を織り交ぜる。それが人を欺く上で最も有効な手段だということは、裏社会における駆け引きの中でよく学んだ。

 おかげで母は、数年ぶりに戻った息子をすっかり信じきっていたように思う。彼女は知らなかったのだ。腹を痛めて生んだ子がその頃には皮だけ残し、中身はまったくの別人になっていたことを。

「俺はそれからの数年間をまやかしの中で過ごした。母の幸福を守るためならと、重ねた嘘の陰に隠れて邪魔者や裏切り者を殺し続けた」

「……」

「真実を知らずにいることが本当に幸福か、と言いたいんだろう? だが実際母は幸せそうだった。貧困のどん底にあった生活は安定し、リッチモンド・ヒルに家も買い、周りのアメリカ人にも一目置かれて……しかし、あの日――」

 言いかけたところで、またも言葉が喉につかえた。しかも今度は飲み下せない。代わりに体が震えて息が詰まる。

 自分を落ち着かせるために、額に手を当て深呼吸した。だが状況は一向に良くならない。神父もこちらの異変に気がついたのだろう、網目の向こうで身を乗り出した気配がある。

「どうされました?」

 さすがに心配そうな声色に、答えようとして無理だと悟った。クスリが切れた薬物中毒者みたいなものだ。素面のままではこれ以上、この場を満たす聖浄な暗闇に耐えられない。

「……すまない。煙草を一本吸ってもいいか?」

「それは困りますね。見てのとおりこの部屋は木造ですから、火気は厳禁です。灰皿だってありませんし」

「だったら外で一服してくる。悪いがちょっと待っててくれ」

「いいえ、お待ち下さい、マグダレーノさん――実は煙草などよりもっといいものが、ここにはあるのですよ」

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