2.

「クソッ、クソッ、クソッ、クソッ!」

 その日、ラークは荒れていた。

 ――何だって俺は自分の十七歳の誕生日に、こんなクソッタレな気分でクソッタレな道をクソッタレな車に乗って走ってるんだ?

 理由は簡単、兄貴分のジョーがしくじったからだ。

 あの野郎、この酒で一儲けできるなんて甘い言葉で俺を厄介事に巻き込みやがって。おかげでどうだ。やつは目の前で額に風穴を開けられ、俺の短い人生も間もなく幕を閉じようとしている。今夜二十時までに一〇〇〇ドル掻き集められなきゃ、俺もヤツの二の舞ってワケだ。

 現実ってのは非情なもので、ただでさえ素寒貧の俺から更に金を搾り取ろうとする。いや、それともやっぱり楽して儲けようなんて考えたから罰が当たったのか?

 だけど中等教育を終えるなり世間からはみ出した親なしに、選べる道がどれだけあったと思う? 働いても働いても状況は悪くなるばかり。そこにトドメの世界恐慌だ。

 こんなんじゃ人生に嫌気が射して、悪魔の囁きに耳を貸したくなるのも仕方ない。だから頼むよ神様、ジョーの誘惑に乗ったことは反省するから、どうか今回だけは見逃してくれ――と顔中をぐしゃぐしゃにして祈りながら、ラークは思いきりアクセルを踏んだ。

 アマガエルみたいな色のシボレーは、現在オークパークに差しかかりつつある。ミシガン湖の反対側、シカゴ西郊に広がる閑静な住宅街だ。

 どこへ向かっているのかと訊かれたら、ラークは当然答えられない。行く宛なんてないからだ。思いつく限りの金策はすべて講じた。しかしそれでもコロシモファミリーから要求された額には到底足りない。

 手元にあるのはジョーと密造酒を売って稼いだ四〇〇ドルと、友人知人に無理を言って借りた二〇ドルだけ。売上の残り六〇〇ドルは酒と話を持ってきてくれたジョーに譲ったのだが、それが大きな間違いだった。

 だって借金まみれのジョーは六〇〇ドルなんて大金を、手品みたいに一瞬で蒸発させてしまったのだ。そもそもあいつはあの酒がコロシモファミリーからくすねたものだなんて一言も言ってなかった。

 ラークが聞いたのは「いい密造酒を作るやつを見つけたから一緒に大儲けしないか」という話だけ。つまり自分もファミリー同様、あのビール腹野郎に一杯食わされたということになる。

 ――だけどその代償を俺が一人で背負わなきゃならないなんて。

 理不尽を噛み締めれば噛み締めるほどラークは何やら泣けてきた。眉一つ動かさずジョーを殺したファミリーの幹部は「慈悲だ」と言ったが、こんな風に死の恐怖を抱えて駆けずり回る羽目になるくらいなら、いっそひと思いに殺してもらった方が良かった。

 時刻は既に夕方の六時を回っている。フロントガラスから空を仰げば、まるでラークの未来ゆくてを閉ざすように夜が降りてきつつあった。

 約束の時間まであと二時間もない。ラークはいよいよ途方に暮れた。このまま車を飛ばしてシカゴを脱出してもいいが、そんな真似をすればこのさき一生追っ手に怯えながら、死んだ方がマシだと思うような人生を送ることになるのだろう。

 ――だとしたらあとはもう、破れかぶれだ。

 ラークは緑の葉をいっぱいにつけたにれの木の下に車を止めた。

 規則正しいエンジン音が行かなくていいのかとラークを急かす。まったく持ち主ジョーに似てせっかちな車だ。

 ラークは外を眺めてしばし考え込んだのち、逸るシボレーを宥めるように助手席の座面をサッと撫でた――そこに放ってあった外套の下から、一挺の拳銃を探り当てる。

 ウェブリーMkⅥ。ウェブリー&スコット社がついこの間まで生産していた、イギリス軍御用達のリヴォルバーだった。

 思えばこの銃をどこからかくすねてきたのもジョーだった気がする。近頃シカゴも物騒だし、お守りのつもりで持っていろよ、と。

 まさかその引き金に指をかける日が来るとは思わなかったが、背に腹は変えられない。生き延びるためにはもうこれしかないのだ。

 ラークは覚悟を決めて肘当てつきの外套を羽織り、くたびれたキャスケット帽も目深に被った。更には適当な布を回して鼻から下を覆い隠し、ウェブリーの弾倉にしっかり弾が込められていることも確認する。

 真っ青な顔で深呼吸。体の震えが収まるのを待ったが、無理そうなので諦めて外へ出た。

 このあたりは住宅街は住宅街でも、いわゆる高級住宅街と呼ばれる地域だ。郊外なので自然が多く、市街地の方から来るといきなり田舎へ迷い込んだような錯覚に襲われるが、大きな庭つきの家々は一目で金持ちのものだと分かる。

 ラークはその中から一軒の民家に目をつけた。比較的逃げやすい十字路の角にあり、なおかつたくさんの庭木に囲まれた家。

 一見すると森の中に佇む隠れ家みたいな風情があるが、手入れが行き届いていないのか草木が生い茂っていて視界が悪い。ちょうど家の玄関あたりまで枝が垂れているせいで、出入りする人間の姿もろくに見えないのだ。

「ここしかない」

 自分を催眠術にかけるため何度もそう呟きながら、ラークは足早に玄関へ向かった。外套のポケットに両手を突っ込み、首を竦めてあたりを警戒する様はどう見ても不審者のかがみだが、今のラークに客観的見地から自己評価を下す余裕などあるはずもない。

 周囲に人影がないことを確認すると、素早く玄関前のデッキへ駆け上った。上品な手摺が回されたデッキの上にはニスのきいたロッキングチェアとハンモックがあって、住人の優雅な生活を物語っている。ここで酒でも飲みながら、風に吹かれて眺める庭の景色は絶景だろう。

 どうでもいいことを考えて気を紛らわせつつ、ついに玄関のベルを鳴らす。ドアの横のボタンを押すと、サイレンみたいな品のない音がした。

 ラークはここが誰の家なのかも、どんな人物が住んでいるのかもまるで知らない。ただ強盗を働きやすそうな金持ちの家に目星をつけただけだ。その選択が吉と出るか凶と出るか――

「――どなた?」

 ほどなく窓つきの玄関の向こうから誰何すいかする声が聞こえた。声の主の姿は薄いカーテンのせいでよく見えない。

 けれど低くしわがれた声の調子から、老齢の男性だろうと推測できた。――やった。当たりだ。ジジイ一人なら俺だけでも何とかなる。あとは彼に同居人がいないことを祈りながら、一旦覆面を外して声を上げる。

「すみません。こちらポーリーさんのお宅で合ってますか?」

「……いいや。うちはマデリンだが」

「あ、あれ? ここでもない? まずいな、完全に迷ったぞ……」

 迫真の演技で頭を掻きながら、道路を振り向き背中を晒した。有り難いことに禁酒法が成立してからというもの、カナダとの国境に程近いシカゴは荒れる一方だ。こっそり北から酒を輸入し、一儲けしようと企む荒くれどもが街に群がってきたおかげで、住民たちの防犯意識は最高水準に達しつつある。

 だから敢えて無防備な姿を見せることで、まず相手の警戒を解こうと思った。難しいのは破綻なくデタラメを並べて目の前のドアを開けさせることだ。

 踏み込む前から銃を振り回したりしたら、あっという間に鍵をかけられ警察に通報されるだろう。最近は自宅に電話を置く金持ちが増えているから。

「あ、あの、すみませんがジョー・ポーリーさんのおうちをご存知ありませんか? このあたりだって聞いてきたんですけど……」

「知らん。少なくともこの近所にそういう名前の者はいない」

「そ、そうですか……困ったな。あの、よければ市街地の方へ出られる道を教えてもらえませんか? 車でそこまで来たんですけど、フラフラしてる間に迷っちゃったみたいで……」

 ハハハ、といかにも頼りなさそうな笑みを貼りつけ、ラークは同情を引こうとした。向こうもこちらの顔は見えないだろうが、幼気な若者であることは声で分かっているはずだ。

 ――頼む。出てこい。出てきてくれ。

 そんなラークの祈りが通じたのかどうか。そのときカチリと鍵が外れた。

 次いで真白いドアによく映える金色のノブがくるりと回る。今だ。

「動くな。騒げば殺――」

 素早く覆面を引き上げ、わずか開いたドアの隙間に無理矢理銃口を捩込んだ。そうしてドアの縁に右手をかけ、強引に押し開こうとしたところで予想外の事態に遭遇する。

 何ってドアの向こうの老人が、ラークの左手を拳銃ごとガッと押さえ込んだのだ。

 まるで初めからこうなることが分かっていたかのような華麗なる手捌き。それに虚を衝かれている間に、いきなり飛び出してきた皺だらけの手がラークを屋内へ引きずり込んだ。

「うわっ……!?」

 慣性に逆らえずドアを潜った先で、足を引っ掛けられてつんのめる。そのまま派手にすっ転べば、一瞬で天地が逆さまになった。

 フローリングの床に背中を打ちつけ、痛みのあまり息が詰まる。だがとっさに上げようとした抗議の声は、額に突きつけられた銃口を見るなり尻尾を巻いて退散した。

「うちに何の用だ、小僧」

 鈍く光る四十五口径の向こう側で、ヘーゼル色の瞳がぎろりとこちらを見下ろしている。ふと左手へ目をやれば、さっきまで確かに握っていたはずのウェブリーが忽然と消えていた。……なるほど、こいつは大しただ。持ち主が劣勢と見るや否やただちに強者へ寝返るなんて。

「い、い、いや、あの……スミマセン、ちょっとした出来心で……」

「ほう。だが若気の至りにしては大層なオモチャを持ってるじゃないか。子供の小遣いで買えるようなモンじゃないだろう、これは」

 言いながら老人はウェブリーを持つ手を拈る。フロントサイトが首を傾げて、ラークの間抜け面を覗き込んだ。

 こうなるともう完全にお手上げだ。ラークは乗り込む家を誤った。

 というかそもそも強盗で稼ごうなどという発想が間違いだったのだ。このすらりと背の高い老人は、これから身の程知らずの悪ガキをたっぷり締め上げたのち、警察を呼んでただちに身柄を引き渡すだろう――終わった。俺の人生は。

「目的は何だ。金か?」

「まあ、えっと、つまり……そんなとこです……」

「だからと言って何故この家を選んだ?」

「それは……何となく……」

「何となくだと?」

 そんな馬鹿な話があるかと言いたげに、老人は白い眉を寄せた。シミの浮いた目尻の皺がいかにも気難しそうな老人だ。

 薄くなった毛髪も雪を被せたように白く、服装は質素ながらも上品だった。襟つきシャツの首からは高そうなループタイが下がっていて、金色の帯留めが何かの勲章みたいに見える。

「まったく最近の若いモンときたら、遊ぶ金欲しさに強盗までするのか。しかも、たまたま目に入った家へ無計画に? 酒が飲めないあまり気でも狂って、妙なクスリをキメてきたのか、小僧」

「う、うるせーな、誰が好き好んで強盗なんかするかよ! 俺は他に方法がなくて仕方なく……!」

 カッとなってそう反論しかけてから、ラークは急に冷静になった。いや、冷静になったというよりは、生に対する情熱が突然冷めてしまったと言っていい。

 だって元々いい人生じゃなかった。家庭にも財産にも恵まれなかったラークはいつからかギャングたちの世界に片足を突っ込んで、刹那的な生活を送ってきた。どうせ自分のような人間に行き場などない。寿命もそう長くはないのだろうし、今を楽しめればそれでいい、と。

 そうだ。初めから何も期待なんてしていなかった人生だ。

 だったら手放すのなんか惜しくない。この数時間無様に足掻いてしまったのは、目の前で悪友を殺され気が動転していたから。ただそれだけ。

 そう思ったら何もかもどうでも良くなった。このままマフィアに殺されるか、刑務所にぶち込まれるか。もうどっちでも構わない。なるようになれ。

 すっかり観念したラークは、冷たい床の上にだらしなく四肢を投げ出した。老人はウェブリーの引き金に手をかけたまま、そんなラークを怪訝そうに見下ろしてくる。

「もういいよ、じいさん。おどかして悪かったな。警察を呼ぶなら早くしてくれ。でないとタイムアップになる」

「タイムアップだと?」

「ああ……こっちの話。電話とか持ってないの?」

「……うちにはそんなモン必要ない。立て」

 言うが早いか、老人はさも不機嫌そうな顔でラークの右足を蹴っ飛ばした。こんなに大きな家に住んでるなら電話くらい持ってるんじゃないかと思ったのに、意外と古式ゆかしい生活を重んじる人だったりするんだろうか。

 まあ何だっていいけど、と内心吐き捨てながら、ラークはよろよろ立ち上がった。銃を相手に取られてしまった以上、従わないわけにはいかない。老人は未だ銃口をこちらへ向けて、眼差しも険しく歩み寄ってくる。ああ、もしかして俺、殴られんのかな――とぼんやり思った、直後。

「バンッ!」

 とすさまじい音がして、ラークは思わず跳び上がった。撃たれたのかと思い、とっさに自身の胸を見下ろす。

 だが違った。それどころかラークは見た。老人がスリの達人みたいな手捌きで、ラークの外套のポケットに素早くウェブリーを戻したのを。

「マデリン!」

 次いで響いたのは知らない男の声。低く野太いその声は老人の背後から聞こえた。途端に老人の眉間の皺が深くなる。元々不機嫌だったのが、無遠慮な喚き声を聞いて更に不機嫌になったようだ。

「……何の用だ、クロウ。我が家に無断で上がり込むのはやめろと、何度もそう言っとるだろう」

「失礼。だがこの家に青年が引きずり込まれるのが見えたんでな。その子は誰だ?」

 ラークは目を白黒させながら老人の後ろを窺った。そこにはやや小太りで、ブルドックみたいに顔の皮が垂れた男がいる。

 鼻の下にちょこんと生えた口髭は愛嬌があるのに、瞳には刃物のような眼光を湛えた男だった。しかもよくよく目を凝らせば、どういうわけか拳銃を携えているじゃないか。

 何なんだこいつらは。ラークは事態についていけなくて腰を抜かしそうになった。けれども老人は至って平静で、クロウと呼んだ中年男を高みから見下ろすように言う。

「コレは儂の甥だ。もう何年も会ってなかったモンでな、つい嬉しくて家の中へ引っ張り込んだんだが何か問題が?」

「……え?」

「甥だと? あんたに甥がいたなんて初耳だが?」

「ああ、そうだろうさ。生憎この州の法律には、赤の他人に自分の家族構成を曽祖父の代まで遡って教えなきゃならないなんて法はないからな。仮にあったとしてもおまえにだけは教えないが」

 刺々しい語調で辛辣な言葉を投げつけて、老人はクロウをひと睨みした。

 だが待ってほしい。この廊下の一体どこに老人の甥がいるというのだろうか。現在居合わせているのはラークと老人とクロウという名前らしい男だけ。いや、あるいはこの老人には存在しないもう一人の誰かが見えているとか……?

「さあ、分かったらさっさと出てけ。そして二度と我が家の敷居を跨ぐな。次にまた同じことをしやがったら、不法侵入罪で警察に通報するからな」

 ラークが立ち尽くして混乱している間にも、老人はシッシッとクロウを追い出した。うるさい小蝿でも払うようにあしらわれたクロウは苦り切った顔をしていたが、彼が断りもなく老人の家へ踏み込んだのは事実なので、反論もできずに立ち去っていく。

「まったく最近の若いのときたら、つくづく礼儀ってモンがなっとらん……ときに甥よ。おまえ、名前は?」

「えっ……あ、ら、ラークです……」

 老人の気迫に気圧されて、馬鹿正直に答えてしまった。そこでハッと我に返り、ラークはようやく本来の自分を取り戻す。

「お、おい、ていうかちょっと待てよ。あんたの言う〝甥〟って、もしかして俺のことか?」

「他に誰がいるって言うんだ? それとも儂が霊能力者サイキックにでも見えるか?」

「い、いや、けど俺は強盗で……そもそもさっきの男は誰だよ?」

「ああ、クロウのことか。あいつには気をつけろ。――捜査局BOIだ」

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