湯けむりサバイバル!
猫とちくわぶ
第1話 ボーイミーツガール
――恋が叶う温泉があるの。
彼氏に捨てられ1週間。いよいよ姉さんはオカルトに走ったらしい。オレの部屋に入ってくるなり温泉情報誌をつきつけて、
「ねえ浩一。あんたアタシの代わりに、この温泉の湯をくんできて!」
「はあっ!?」
雑誌にはデカデカと『恋が叶う温泉!
いったい誰がこんなバカげた
オレはため息をついて、
「行ってもいいけど……旅費は払ってくれるんだろ?」
「なに言ってるの。自転車でいけばタダでしょうに」
「ウソだろ!?
「じゃあ……往復でジュース6本は必要ね」
「ジュース代だけ!? せめて1万は払おうぜ!」
――というわけで、オレは手に入れた1万を電車賃にして群馬までやってきた。
群馬といっても北のほう。新潟とスレスレの場所だ。そこに
飲めば恋が叶う。そんなバカげた温泉が……
「はあ……はあ……」
肩で息をしながら山をのぼる。8月の昼間といえど、高木がしげっている山の中は薄暗く、ジメジメしている。まるでホラー映画のような雰囲気だ。
しばらく歩くと、目の前にトンネルがあらわれた。
「ここを通るのか……」
苔むしたトンネルは、反対側の出口の明かりがほとんど見えない。たぶん結構な長さがあるせいだ。オレはUターンしたい気持ちをどうにか押さえ込んで、トンネルに踏み込んだ。水のしたたる音にビクビクしながら、スマホのライトをたよりに足を動かす。
――どうか何も起きませんように。
そう祈った直後、正面から冷たい風が吹いた。一瞬、誰かの姿が見えた気がしたが、ライトで照らすと……誰もいない。
「き……気のせいかなあ?」
恐怖をまぎらわそうと声に出した途端、「――きゃああああああっ!?」
ものすごい悲鳴がトンネル内に響いた。つられてオレまで悲鳴をあげた。悲鳴をあげながらトンネルの出口へ走った。すると、何か柔らかいモノにつまずいた。まるで女性がしゃがんでいて、それにぶつかったような柔らかさだった。
「「――あっ!?」」
その柔らかい存在と声が重なった直後――オレは勢いよく壁に衝突した。
● ● ●
「すみません、すみません……」
黒髪ロングの少女が必死に頭をさげる。彼女は
「わたしがゴキブリに驚いて叫んだせいで……」
「いや、オレこそ前方不注意だったから」
トンネルを出たところで、オレたちは地面にすわり向かいあっている。
桂さんは近くの湧き水で濡らしたハンカチを、オレの頭のたんこぶに当てながら、
「痛みます……よね?」
「ちょっとだけ」
「本当にごめんなさい。それにスマホも壊してしまって……」
「桂さんのせいじゃないって。落としただけで壊れるスマホがいけないんだ。それより……困ったな」
「はい……」
オレたちは同時にうつむいた。重苦しい沈黙がながれる。だってこんな非常事態は生まれて初めてだ。まさかオレが……
「記憶を失うなんて……」
唯一、オレが覚えているのは自分の名前が『工藤浩一』ということだけ。住所や家族、友だち、学校のことは何も思い出せない。せめて所持品からヒントを得ようにも、スマホは壊れてしまったし、財布にはお金しか入っていない。リュックには空のペットボトルと、麦茶入りの水筒が1本ずつ。
「どうすれば記憶って、よみがえるかな?」
「…………」
桂さんが縮こまる。オレはバカな質問をしたことに気づいて「コホン」と咳ばらいし、「とりあえず町に行ってみるよ」と言いながら立ち上がった。
すると、桂さんが慌てたようにオレの左ひじをつかみ、
「あのう……町で何をするつもりですか?」
「人に訊いてまわるよ。オレを知ってる人はいませんかーって」
「やめたほうがいいです。おもしろがって嘘をつく人がいるかもしれません。だったら……」
普段の桂さんは、きっと人見知りするタイプなのだろう。声をふるわせ、視線をさまよわせ……でも最後にはオレを見つめて、
「記憶が戻るまで、わたしのうちに居てください」
「……いいの?」
「はい。古い家ですけど」
――そう言って微笑む桂さんは、きっとオレの人生で1番の美少女だった。
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