湯けむりサバイバル!

猫とちくわぶ

第1話 ボーイミーツガール

 ――恋が叶う温泉があるの。


 彼氏に捨てられ1週間。いよいよ姉さんはオカルトに走ったらしい。オレの部屋に入ってくるなり温泉情報誌をつきつけて、

「ねえ浩一。あんたアタシの代わりに、この温泉の湯をくんできて!」

「はあっ!?」


 雑誌にはデカデカと『恋が叶う温泉! 妻恋つまこい温泉』と書いてある。

 いったい誰がこんなバカげた惹句じゃっくを考えたのだろう。さすがに読者をバカにしすぎてる……とオレは思うのだが、目をキラキラさせている姉さんを見ていると、あんがい日本には、姉さんみたいにピュアな読者が多いのかもしれない。


 オレはため息をついて、

「行ってもいいけど……旅費は払ってくれるんだろ?」

「なに言ってるの。自転車でいけばタダでしょうに」

「ウソだろ!? 千葉ここから群馬まで200kmもあるんだぞ!?」

「じゃあ……往復でジュース6本は必要ね」

「ジュース代だけ!? せめて1万は払おうぜ!」


 ――というわけで、オレは手に入れた1万を電車賃にして群馬までやってきた。

 群馬といっても北のほう。新潟とスレスレの場所だ。そこに妻恋山つまこいやまという標高1400メートルくらいの山がそびえ立ち、その山頂には温泉が湧いているらしい。

 飲めば恋が叶う。そんなバカげた温泉が……


「はあ……はあ……」


 肩で息をしながら山をのぼる。8月の昼間といえど、高木がしげっている山の中は薄暗く、ジメジメしている。まるでホラー映画のような雰囲気だ。

 しばらく歩くと、目の前にトンネルがあらわれた。


「ここを通るのか……」


 苔むしたトンネルは、反対側の出口の明かりがほとんど見えない。たぶん結構な長さがあるせいだ。オレはUターンしたい気持ちをどうにか押さえ込んで、トンネルに踏み込んだ。水のしたたる音にビクビクしながら、スマホのライトをたよりに足を動かす。


 ――どうか何も起きませんように。


 そう祈った直後、正面から冷たい風が吹いた。一瞬、誰かの姿が見えた気がしたが、ライトで照らすと……誰もいない。


「き……気のせいかなあ?」


 恐怖をまぎらわそうと声に出した途端、「――きゃああああああっ!?」

 ものすごい悲鳴がトンネル内に響いた。つられてオレまで悲鳴をあげた。悲鳴をあげながらトンネルの出口へ走った。すると、何か柔らかいモノにつまずいた。まるで女性がしゃがんでいて、それにぶつかったような柔らかさだった。


「「――あっ!?」」


 その柔らかい存在と声が重なった直後――オレは勢いよく壁に衝突した。



 ●  ●  ●



「すみません、すみません……」


 黒髪ロングの少女が必死に頭をさげる。彼女はかつら葉月はづきさん。高校2年生。


「わたしがゴキブリに驚いて叫んだせいで……」

「いや、オレこそ前方不注意だったから」


 トンネルを出たところで、オレたちは地面にすわり向かいあっている。

 桂さんは近くの湧き水で濡らしたハンカチを、オレの頭のたんこぶに当てながら、


「痛みます……よね?」

「ちょっとだけ」

「本当にごめんなさい。それにスマホも壊してしまって……」

「桂さんのせいじゃないって。落としただけで壊れるスマホがいけないんだ。それより……困ったな」

「はい……」


 オレたちは同時にうつむいた。重苦しい沈黙がながれる。だってこんな非常事態は生まれて初めてだ。まさかオレが……


……」


 唯一、オレが覚えているのは自分の名前が『工藤浩一』ということだけ。住所や家族、友だち、学校のことは何も思い出せない。せめて所持品からヒントを得ようにも、スマホは壊れてしまったし、財布にはお金しか入っていない。リュックには空のペットボトルと、麦茶入りの水筒が1本ずつ。


「どうすれば記憶って、よみがえるかな?」

「…………」


 桂さんが縮こまる。オレはバカな質問をしたことに気づいて「コホン」と咳ばらいし、「とりあえず町に行ってみるよ」と言いながら立ち上がった。


 すると、桂さんが慌てたようにオレの左ひじをつかみ、

「あのう……町で何をするつもりですか?」

「人に訊いてまわるよ。オレを知ってる人はいませんかーって」

「やめたほうがいいです。おもしろがって嘘をつく人がいるかもしれません。だったら……」


 普段の桂さんは、きっと人見知りするタイプなのだろう。声をふるわせ、視線をさまよわせ……でも最後にはオレを見つめて、

「記憶が戻るまで、わたしのうちに居てください」

「……いいの?」

「はい。古い家ですけど」


 ――そう言って微笑む桂さんは、きっとオレの人生で1番の美少女だった。

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