第8話 湯けむりサバイバル

 お昼ごろ、ようやく行程こうていの半分まで辿りついた。

 なぎさが地面に腰をおろし、

「あたし、もうお腹ぺこぺこ!」

「オレも……今なら牧草だって食えるかも」


 亜子さんが苦笑しながら缶詰を渡してくれる。

 オレはコンビーフにおでん缶。なぎさはサバの水煮をパンに挟んで食べている。

 ……すげえ、パンの缶詰なんてあるのか。

 ちなみに葉月さんと亜子さんはゼリー飲料とミニドーナツだ。


「コンビーフうんまい……」

 噛みしめるように食べていると、なぎさが「一口ちょーだい」と言って、コンビーフを指ですくった。


「……あら? 意外と美味しい」

「初めて食べたのか?」

「だってあたしお嬢様だもん。お肉はいつもシャトーブリアンしか食べないの。葉月も同じよ」


 それにしちゃ、胸のサイズにひらきがあるんだが……


「あんた今、失礼なこと考えなかった?」

「考えてませんヨ」

「あたしだってね、いつかは大きくなるんだから!」

「そうだな。そんな薬が開発されるといいな」

「……!」

 なぎさが無言でオレの尻をキックした。


「痛っ!?」

 顔をしかめた次の瞬間、記憶のかけらが落っこちてきた。

 オレの失った記憶……これは誰だ? ロングヘアーの美女が、オレにお金を手渡している。

 もっとよく観察したかったが、脳裏の映像はぷつんと途切れてしまった。


「だあああっ!? 今の美女は誰なんだよ!」


 オレが頭をかきむしっていると、葉月さんが声をかけた。

「……浩一くん?」

 気のせいか、どこか冷ややかな声。

「何か思い出したんですか? たとえば……好きな人のこととか」

「え」

「そうなの浩一?」なぎさも顔を近づけてきた。


「い、いや違う。女の人だけど、好きな人じゃないよ……たぶん」

 

 オレの言葉になぎさは「ふうん?」と首をかしげ、「ねえ、あんたさっき『美女』って言ったわよね? それって、あたしたちより美人ってこと?」


 ――ピシリ。

 そんな音が聞こえた気がした。


 オレはとっさに首を横にふって、

「いや……2人に比べたら、ぜんぜん美人じゃないぜ」

「ほんとうですか?」

「ホントお?」


 オレは内心チワワのように震えながら、「本当だ。世界でいちばん美しいのは、ここにいる3人だ」

 そう言った途端、不穏なオーラは消滅した。なぎさも葉月さんもニコニコしている。


 オレがホッとしたのも束の間、亜子さんがニヤリと笑って尋ねた。

「ちなみに3人の中だと誰が1番だい?」

「…………みんな1番ですよ」


 そう言うしかないだろ?



 ●  ●  ●



 食事がおわり、出発の準備をしていると、亜子さんが両手を打ち鳴らした。


「みんな、よく聞いてくれ。これから温泉が湧いている場所を突っ切らなくちゃいけない。濡れたら困るものは、今のうちにビニールでくるんでくれ」


 言われたとおりにして、オレたちは腰まで温泉につかりながら先を急いだ。温泉の深さは1mほど。中途半端な深さのせいで、歩きにくいったらありゃしない。


 なぎさは泳げるようになったのを自慢したいのか、

「浩一、ちょっと荷物を持ってて」

 オレにリュックを押しつけると、いきなりクロールをはじめた。

 

「おおー、けっこう速い!」

 オレが驚いていると、葉月さんが心配そうに、

「のぼせないでしょうか?」

「あ……」


 葉月さんの予想どおり、なぎさは50mあたりで力尽きた。

「ごめーん……肩車なんかさせて」

「ったく、あと1g重ければ放置してたぞ」


 オレは冗談を言いつつ、なぎさを肩車して歩いた。

 後ろから「なぎさ、いいなあ……」と、葉月さんの声がしたので、オレは振り返って尋ねた。

「葉月さんは肩車してもらった経験がない?」

「あります……いえ、ありません」

「どっち?」

 

 そこへ亜子さんが笑いながら、

「浩一くん、君はヘンに鈍感だね」

「ヘンに鈍感?」

 オレがその意味を考えていると、頭上でなぎさが「あっ!?」と叫んだ。

「――見て! あそこに鍵穴がある!」


 それはたしかに鍵穴だった。

 岩壁の高いところにポッカリ、女子トイレのマークのような穴が。


 亜子さんがポケットから鍵を取り出して、なぎさに手渡した。

「なぎさちゃん。あの穴に、これを差し込んでもらえるかな?」

「任せて!」


 なぎさが鍵を差し込んだ。

 ――カチャリ。

 小気味いい金属音。その直後――


 ゴゴゴゴゴゴゴゴ……

 温泉のお湯が、オレたちの後方へ流れだした。


「みんな! 岩場につかまるんだ!」

 亜子さんの指示に従い、みんなで岩壁の突起をつかむ。すると――ぐらり。地面が揺れた。

 混乱のさなか、葉月さんが叫んだ。

「上を見てください!」


 一体どういうことか理解できなかった。

 天井の一部にポッカリ穴があいている。さらによく観察すると、その穴の奥に金属のロープが見えた。


「……エレベーターだ」

 亜子さんのつぶやきに、オレはハッとした。


 どうやらオレたちが立っている岩場を、あのロープが吊り上げようとしているらしい。

 きっと滑車の応用なのだろう。温泉が流れ出る力を利用して、オレたちごと岩場を引っぱり上げる仕組みなんだ。


 葉月さんが亜子さんに尋ねた。

「徳川家がこのエレベーターをつくったんでしょうか?」

「……分からない。でも、こんな大がかりな仕掛けをつくれるとしたら……」


 2人が会話をしている間にも、エレベーターはどんどん上昇して、天井の高さを超えてしまった。


「昔の人ってすげえな」

 オレが感心していると――ガコン。

 エレベーターが停止した。

 

 目の前には、無人駅のホームのような空間が広がっている。オレたちは呆気にとられ、しばらくその場で立ち尽くしていた。


「とりあえず先へ進もうぜ」

 オレの言葉にみんながうなずいて、エレベーターをゆっくり降りる。

 しばらく奥へ向かって歩いていると、つきあたりに巨大な鉄扉てっぴがあった。その扉には、金釘かなくぎ流で、こう記してあった。


 ――温泉迷宮 湯けむりサバイバル

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