第9話 早まった告白

 鉄扉に記された――『温泉迷宮  湯けむりサバイバル』。


 亜子さんがゴクリと喉をならし、ふるえる指先で扉に触れようとする。

「この奥に埋蔵金が……」

 それを葉月さんが押しとどめた。

「待ってください! 迷宮とかサバイバルとか……ちょっと怪しいです」


 それはオレも気になってた。

 もしこの奥に埋蔵金が眠っているなら、『扉に触れた瞬間、毒矢がプスリ』なんてこともあるかもしれん。気をつけたほうがいい。


 亜子さんはハッとして、

「そうだね。まずは扉を調べてみよう」


 ――調べた結果、扉とその周囲に異常はなかった。


「いっせーの!」

 オレたちは声をそろえ、扉を押した。重たい鉄扉が「ぎいいい……」と口をひらく。その先は――


「ジャングルだ……」

 鬱蒼うっそうとしげる高木。

 天井には、この洞窟固有のヒカリごけが生え、木々の隙間から、まばゆい光を放っている。そして肌にまとわりつく暖かい空気。


 なぎさが「本物のジャングルみたい……」とつぶやいたとき、天井から人の声が響いた。


『ほっほっほ……』

「――誰だ!?」

『いまわしの名を尋ねたかな? 儂は徳川の財産をあずかる徳川いばらじゃ。お主たちが来るのをずーっと待ちわびて……とうとう待ちくたびれて死んでしまったぞ』

「まさか幽霊……」

 葉月さんが青ざめた顔でつぶやいた。


『幽霊ではないぞ。これは儂がつくった発声装置じゃ。扉をひらくとゼンマイが巻かれてな、儂の言葉が響くようになっておる』


 どうやらオルゴールの応用らしい。それとも蓄音機か。


『儂が死んだというのは冗談じゃが……おそらく、お主たちがここへ来るときには死んでおるじゃろう。ちなみに今は天保てんぽう13年じゃが……そっちは何年じゃ?」


 亜子さんが指を折り曲げて、

「天保13年……1842年だ」


 ってことは、オレたちは180年前の人の声を聞いているわけか。感慨深いな。


 徳川いばらは話を続けた。

『お主たちは徳川の財宝を求めてやって来たのじゃろう?』

「いや、オレはちがうけど……」


 天井の声はオレを無視して、

『――よかろう。財宝ならくれてやる。じゃが……その前に試練を乗り越えてもらおうか』

「試練?」

『うむ。儂がつくった温泉迷宮。名づけて――湯けむりサバイバル。これを攻略した者だけが、財宝を手にする資格がある』


 徳川茨は、やけになめらかな発音で言うと、

『さあ……この奥へ進むがいい! 未来の日本人たちよ!』


 ――ぷつり。

 途切れるような音と共に、天井の声は沈黙してしまった。


 なぎさが頬をふくらませ、

「ちょっと! あたし早く帰りたいんだけど!」

 

 オレは気になって亜子さんに尋ねた。

「徳川の埋蔵金ってどれくらいなんですか?」

「ざっと23兆円かな」

「…………はい?」

「23兆円だよ。この山には5千トンの金塊が眠っているんだ」


 オレはなぎさと顔を見合わせた。葉月さんとも。

 そして、ふたたび訊いた。

「23兆円って……1億円の何倍ですか?」

「23万倍だね」

 亜子さんがクールに言ってのける。


 ――ヤバい。頭がくらくらしてきた。

 

 なぎさが遠慮がちに、だけど大胆に質問した。

「もし埋蔵金が見つかったら、ちょびっと分けてもらえたり……?」

 すると、亜子さんはニヤリと笑い、

「君たち1人につき1割でどうだろう?」


 ――それが決め手だった。



 ●  ●  ●



「さあ出発するわよ!」

 なぎさが意気込む。

 オレたちは洞窟の中のジャングルを、足並みをそろえて進んだ。

 あちこちにバナナの木が生えていて、甘い香りが漂っている。


 葉月さんが道ばたに落ちているバナナを拾い、

「食べられそうです」

 なぎさも香りをくんくん嗅いで、

「浩一、あんた食べてみなさい」

「オレが? ま、いいけど……もぐもぐ……おおっ!? すんげえ美味い!」


 バナナは甘くねっとりしていて、滋味じみに富んでいた。


 オレたちは熟したバナナを2房ほど拾い、それを食べながら歩いた。すでに出発して3時間半ほど経っているが、バナナの甘味が疲れを吹き飛ばしてくれる。

 

 しばらく歩いていると、

「……あれ?」

 正面で、大きな扉がひらいている。

 イヤな予感に、オレたちは自然と早足になった。


「嘘だろ……」

 オレは夢でも見てる気分だった。

「なんでスタート地点に戻ってるんだ……?」

 

 扉には『温泉迷宮 湯けむりサバイバル』の文字。


 オレは葉月さんを振りかえり、

「まっすぐ進んでたよね?」

「はい……でもひょっとすると角度が少しズレていたのかもしれません」

 なぎさが首をかしげ、

「それにしたって180度もズレる?」

 

 その質問のバトンを、亜子さんが引き受けた。

「たぶんバナナの木がななめに配置されてるんだ。だからバナナの木に沿って進むと、スタート地点へ戻ってしまう」


「「「なるほど」」」


 何しろ、ここは『温泉』だもんな。いかにも目の錯覚を仕掛けていそうだ。


 なぎさがホッとした顔で、「なーんだ。じゃあ気をつけて進めば大丈夫ね」

 そう思っていたのだが……



「――何でまた戻ってきちゃうわけ!?」

 なぎさが地団駄を踏んだ。


 葉月さんがオレを手招きして、

「見てください。わたしがさっき地面に描いた模様がそのまま残っています」

「ってことは、やっぱりスタート地点なのか」

「はい。でもおかしいです。今度こそまっすぐ進んでいました」

「うーん」


 悩んでいると、やけに亜子さんが静かなのに気づいた。

 心なしか、顔が青ざめているような……


「亜子さん、大丈夫ですか?」

 オレが尋ねると、亜子さんは首を横にふり、

「……なんだか吐き気が……」

「吐き気!?」


 亜子さんは口元をおさえ、苦しそうにあえいでいる。

「はあ……はあ……」


 まさかバナナで食あたりしたのか!?

 ……いや、それならオレにも同じ症状があらわれているはず。


 オレが戸惑っていると、亜子さんの体がふらついた。

「――危ない!」


 倒れかかる亜子さんを、とっさに抱き支える。すると次の瞬間、

「うえっ……」

 亜子さんが胃の中身をぶちまけた。

 オレのシャツに、酸っぱい染みが広がってゆく。


「こ、浩一くん……すまない……」

 亜子さんは息も絶え絶えにそう言うと――がくり。

 力が抜けたように気絶してしまった。


「うわー!? 亜子さんしっかり!!」



 ●  ●  ●

 


 2時間ほど経って、亜子さんは目を覚ました。

「あれ……? どうしてぼくは……」


 亜子さんは上体を起こしながら、ぼんやりと周囲を見まわし、

「そうか、ぼくは気を失ってたのか……」

 と、そこで亜子さんは目を丸くして叫んだ。

「――浩一くん!? 君はなんて格好をしてるんだ!?」


 亜子さんが驚くのも無理はない。だってオレは原始人みたいに、葉っぱでつくったパンツを穿いているのだから。


 亜子さんは顔をそむけ、

「ちゃんと服を着たまえ!」

「それが……服はみんな汚れてしまったんです」

「汚れた?」


 亜子さんは、気絶する前に自分が何をしたのか思い出したらしい。恥ずかしそうにうつむくと、

「そうか……ぼくのせいで、そんなパンツを穿いてるのか……」

「気にしないでください。それより、気分は良くなりましたか?」


「……うん。だいぶ良くなったよ。……ところで他の2人はどうしたんだい?」

「なぎさと葉月さんなら、食べ物を探しに行っています」


 オレは言いながらリュックをあさり、「バナナならありますけど、食べますか?」

「うん。……ありがとう」


 亜子さんは伸ばしかけた手を――途中でひっこめた。

 そして自分の腕をくんくん嗅いで、

「……ぼくの体、におうかな?」

「いやあ、ちっとも」

「……おい。それならどうして目を泳がせる」


 亜子さんは悔しそうに眉根をよせると、それから一転、目をうるませて、

「……ぐすっ」

「ええっ!? なんで泣くんですか!?」

「だって……こんな醜態しゅうたい……生まれてはじめてで……」

「ゲロを吐いて気絶したことが?」

「――うわあん!! 言うなバカ!」


 亜子さんの弱々しいパンチが飛んでくる。


「このおっ! ぼくをバカにしてっ……ぐすっ」

「べつにバカにしたわけじゃ……」

「でもゲロくさいと思ったんだろ?」

「それはまあ……でもゲロなんて誰でも吐きますし」

「やっぱりゲロくさいんだ……」


 亜子さんはどんよりした顔で、

「……ぼくはカメムシだ……」

「どんだけ気にしてるんですか!?」


 逆に言えば、それだけ亜子さんは完璧主義者だということか。それなら――


「亜子さん、よく聞いてください。亜子さんはカメムシなんかじゃありません。優雅に花の蜜を吸うクロアゲハです」

「ははは……」


 やばい! 亜子さんが死んだ目になってる!

 ここは思いっきりはげましてあげないと!


 オレは亜子さんを抱きしめた。

 すると、亜子さんはギョッとした顔で、

「なっ……何をする!? ぼくのゲロの臭いがうつるぞ!」

「オレはゲロなんて気にしません!」


 このとき、オレは亜子さんの胸の柔らかさにテンパっていた。

 だから混乱のあまり――


「だってオレは……亜子さんが好きなんです!」

「え……?」


 あれ? オレ、とんでもないこと言ってないか?


 気づいたときには、腕のなかで、亜子さんは真っ赤になっていた。

 ……ヤバい。早く訂正しないと。

 けど、亜子さんは上目づかいでオレを見つめ、「本当に……?」


 オレは「うっ……」とたじろいだ。

 亜子さんの瞳の引力はものすごい力だった。見つめられると、否定の言葉を口にできない。


 互いにジッと見つめ合っていると、

「ただいまー」

 なぎさと葉月さんが帰ってきた。

 オレは混乱のあまり、勢いよく立ち上がり、

「――オレはみんなのことが好きなんです!!」

 叩きつけるように叫んで走りだした。

 もう自分でも訳が分からない。

 ただただ恥ずかしさから、オレはジャングルのほうへ逃げ出した。


「浩一くん!?」

「ちょっと浩一! 今のはどういうこと!?」

 背後から2人の声が追いかけてくる。

 それを振り切るように、オレは全力で走りつづけた。

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