第5話 ファーストきっす?

 動物と人間との大きな違いは、「約束の概念を理解しているか」らしい。

 そういう理屈でなら、あのサルは人間と呼べるのかもしれない。


 サルが再びあらわれたとき、その背中にリュックをかついでいた。

「あっ!? オレのリュックだ!」


 鉄砲水で流されたリュック。

 中には水筒と、温泉をくむペットボル、そしてサルが入れたのだろう。大きなスイカが入っていた。


「でかしたぞサル!」

 オレが褒めると、サルは「おぎゃあ」と鳴いて、洞窟の奥へ消えてしまった。

 なぎさがスイカを見て目を丸くする。

「これ、でんたろう西瓜よ。このあたりの名産で、すっごく高いの。1個5千円もするんだから」


 言われてみれば、ふつうのスイカより全体的に黒っぽい。

 葉月さんがスイカのヘタを見て、「ヘタが小さいから、かなり甘いと思います。当たりですね」

 と、嬉しそうな顔をする。


「スイカうんまい……」

 噛みしめるように食べていると、なぎさがリュックの前ポケットをごそごそ漁り、「あったー!」と叫んで、何かを取り出した。


「何だそれ?」

「魚肉ソーセージよ! あたしこっそり隠しておいたのよね!」

「マジか! 1本くれ!」

「だいじょーぶ。全部で6本あるから。葉月も食べるでしょ?」

「ふえ?」


 このとき葉月さんは、オレのパンツが気になっていたらしい。会話のバトンが回ってきた途端、キョトンとして首をかしげた。

 ちなみにオレはボクサーパンツ一丁だ。着ていた服はすべて、葉月さんがまとっている。


「何の話ですか?」

 首をかしげる葉月さんを、なぎさがからかった。

「浩一がさ、パンツの下がかゆいんだって」

「ええっ!? 大丈夫ですか!?」

「おい、この状況で下ネタはよせ。それと葉月さん、今のは嘘だからね? だからそんなに股間を見ないで」

「すっすみません、すみません……」


 葉月さんが縮こまった――そのとき。

 洞窟の奥から「しゅるしゅる」という、不思議な音が聞こえてきた。

 なぎさがライトを暗闇に向ける。ほとんど同時に、暗闇からロープのようなものが飛びかかってきた。


「――ヘビだ!」

 オレは叫びながら、なぎさをかばった。

 直後、右手に激痛。

 銀色のヘビが、鋭い牙を、オレの肌に食い込ませていた。


「くっ……らあっ!」

 左手でヘビの頭をつかみ、無理やり牙を引き離す。

 ジタバタ暴れるヘビを、空のペットボトルへ押し込んだ。


「浩一くん!」「浩一!」

「いってええええ……なんかジンジンしびれるし」

 傷口をちゅーちゅー吸っていると、葉月さんの鋭い悲鳴が上がった。


「どうしたんだ!?」

「そ、そのヘビ……猛毒です」

「猛毒!?」


 葉月さんがノートをひろげた。

 そこにはヘビの絵といっしょに、『猛毒注意! 嚙まれたら諦めよう!』


「――――」


 長い……長い空白の時間。

 そのあいだにオレは絶望と祈りを繰り返して――でも、最後にはやさしい境地へ落ち着いた。


 しびれは右手から全身へ広がり、オレは地面に大の字になった。

 2人は泣きながら、

「浩一くん! いやです! 死なないでください!」

「や、やだあっ! 浩一死んじゃやだあ! あっあたしのせいで……うわあああああん!」


 オレはしびれる顔面を、どうにか笑顔にして、

「なあ……お願いがあるんだ」

 オレの最後の仕事。きっとそれは、なぎさの罪悪感を減らすことだ。


「ほっぺにちゅーしてくれ……それで幸せだと思えるから……」


 目はかすみ、意識は遠ざかりつつある。

 すべてが真っ白な世界へすべり落ちる寸前――2人の香りが唇に触れた気がした。



 ●  ●  ●



「んうう……」

 目覚めると、むきだしの岩肌が目にとまった。

 視界がやけに明るい。まぶしいくらいだ。

 オレは目を細め、だるい体を動かそうとしたが、


「やめたほうがいい」

「!?」

 視界いっぱいに青年の顔。

 大学生だろうか。ショートヘアの、キレイな男性だ。


 男性は、横たわるオレを見つめながら、

「解毒剤が効いたみたいだね」

「……お兄さんはお医者さんですか……?」

「ちがうよ。ぼくは――」

 お兄さんが立ち上がる。すると胸のふくらみが視界に入った。


「ぼくは匂薔薇におうばら亜子あこ。苗字は長ったらしいから、亜子って呼んでくれ」

「亜子、さん……? あの……オレは一体……」


 気力を振りしぼり、どうにか上体を起こす。

 すると、亜子さんが「驚いたな」とつぶやいた。

銀鼠ぎんねずヘビの毒を食らって、すぐ動けるのは大したものだよ。ひょっとすると……彼女たちのおかげかな?」


 亜子さんの視線につられ、後ろを振り返る。

 オレが座っているパイプベッドの後ろに、もう1つ同じベッドがあって、そこに葉月さんとなぎさが、体を寄せあって眠っていた。


「さっきまで君の看病をしていたんだよ」

 亜子さんはそう言って、湯気の立つマグカップをオレにくれた。お茶が入ってる。

 オレは周囲をきょろきょろ眺めながら、

「ここはどこですか?」

「妻恋山の洞窟さ。高さで言うと3合目あたりかな」


 亜子さんは説明してくれた。

 自分が探検家で、徳川の埋蔵金を探していることを。そのために、妻恋山の洞窟にテントや機材、日用品などを搬入していることを。

 

 話を聞いて、オレは意気込んだ。

「じゃあ、明日には下山できるんですね!?」

 葉月さんは無言で立ち上がると、すまなそうな顔をした。


「……予想外の大雨で、普段、ぼくが利用している道が崩落してしまったんだ。残念だけど……このまま洞窟を進んで、山頂でヘリコプターを待つしかない」

「そうですか……」


 このとき、オレはそんなに失望していなかった。だって元々、山頂を目指す予定だったから。

 しかし、すぐにオレは思い知らされる。洞窟の――いや、温泉のおそろしさを。



 ●  ●  ●



 ふたたび眠って起きたときには日付が変わっていた。

 ベッドのそばには、オレが葉月さんに渡した洋服がキチンと畳まれ、たくさんの缶詰といっしょに置いてあった。オレはシャツとジーンズに着替え、缶詰をむさぼるように食べた。女子たちの姿は見えない。


「……みんなどこへ行ったんだ?」

 ひとりごちながら、ランプを片手に歩き回る。

 雨はまだ降っているらしく、目覚める前より、洞窟の中はひんやりしていた。


「なぎさー! 葉月さーん! 亜子さーん!」

 叫びながら歩いていると、三叉路に出た。

 直感で左の道を進むと、だんだん空気が暖かくなってくる。


「しかも、この卵みたいな臭い……きっと温泉だ!」


 声をはずませた瞬間、足もとでズルリと音がした。

 転んだ拍子にランプが地面に落っこちる。

「うわっ!? 灯りが消えた!?」


 マズいぞ……方向はどっちだ!?

 卵の臭いが鼻にこびりついて、来た道が分からん!


「ヤバいよヤバいよ……」

 暗闇のなか、恐怖はひとしお。

 だが、しばらく目をこらしていると、前のほうで小さな明かりが揺れ動いた。人の声も聞こえてくる。


「――なぎさたちだ! おーい!」

 オレは走った。3人の名前を呼びながら足を動かした。

 そしてオレの予感はは正しかった。

 目の前にはたっぷり湯をたたえた温泉と、亜子さんがいた。


「亜子さーん!」

 大声で叫んだ瞬間、オレは凍りついた。自分のウカツさを呪った。亜子さんがどうして温泉にいるのか――それは入浴するためだ。 


「「…………」」

 見つめ合うこと数秒。

 先に悲鳴を上げたのはオレだった。


「ひええええっ!?」

「なぜ君が叫ぶ!?」

 亜子さんはショックを受けた顔で、こっちへ向かってきた。

 大きな胸を上下させ、ツルツルのくぼみを手で隠しながら近づいてくる。

 そして亜子さんは叱りつけるように言った。

「そんなにぼくの体はおかしいか!?」

「お、おかしくないです! たとえ毛が生えてなくても……あ」


 失言とはこのことだ。

 亜子さんのクールな目が吊り上がった。

「ぼくの秘密を口にしたな……匂薔薇におうばら家の当主である、ぼくの秘密を……」

「ひええっ!? もう口にしません! 亜子さんのアソコのことは2度と――」


「「…………」」


 沈黙のあと、いきなり亜子さんが襲いかかってきた。

「君も服をぬげ! そしてぼくに秘密を見せてみろ!」

「きゃー!?」


 亜子さんがすごい力でオレを押し倒してくる。


「亜子さん、やめてください!」

「やめないね! 君の秘密を見るまでは!」

「おっぱいが当たってます!」

「それがどうした!」


 亜子さんがベルトをはぎとり、ジーンズを脱がした。 

 そのとき、ふいに尿意が込み上げてきた。


「お、おしっこが漏れそうなんです!」

「そんなこと言って、ぼくから逃げるつもりだろう!」

「ほ、本当ですって!」

「だったら君がおしっこするのを見せてもらおうか!」

「嘘っ!? あっ……ダメ!」


 亜子さんがオレのパンツに手をかけた。

 ――ぷるん。

 まろび出る開放感。そして……


 ――じょぼじょぼじょぼ……


「「…………」」


 永遠のような時間が経過したあと、

 ――ぱたり。亜子さんが気絶する。


「うわあっ!? 亜子さんしっかり!」

 オレが亜子さんの体を抱きかかえた直後、なぎさと葉月さんが現れた。 


「浩一! あんたそんなとこにいたの――」

 なぎさの顔がこわばった。

 葉月さんは「ふええっ!?」と叫びながら、両手で顔を隠した。でも、指の隙間から、しっかりこっちを覗いている。


 なぎさが声をふるわせ、

「ああああんた……何してるの?」

「待て! オレは無実だ! 亜子さんのほうから迫ってきたんだ!」

「亜子さんから迫った!? ややややっぱりエロいことしてたのね!?」

「違う! エロい意味じゃなくて……」


 しどろもどろなオレを、なぎさはキッと睨みつけ、

「どんだけ激しくしたのよ!? 亜子さん気絶してるじゃない!」

「ちがーう!!」


 ……このあと2人を納得させるのに、オレはたっぷり1時間は費やした。

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