第3話 いざ温泉へ…SOS!

 朝食どき。なぎさがキュウリの漬物を食べながら言った。


「温泉に行けば記憶が戻るんじゃない?」

「どういうことだ?」

「あんたに好きな子がいるんなら、温泉へ行けば思い出すかもしれないわ」

「なるほど」


 オレは鮭の切り身をご飯といっしょに呑み込んで、

「どうすれば温泉へ行けるんだ?」

「そんなのカンタンよ。山の中腹まで歩けばロープウェイが出てるから、ゴンドラに乗って山頂の温泉まで行けるの。往復で3時間くらいじゃないかしら」


 そう言って、なぎさが「えへん」と胸をそらす。話をきけば、なぎさの父親がロープウェイを建てたらしい。それで自慢しいなのか。


「でも」桂さんがスマホを見ながらつぶやいた。「今日、山に行くのは危険かもしれません。ほら……」


 スマホの画面には、『お昼ごろから大雨の確率50%』の文字。

「山の天気は移ろいやすいですし、明日か明後日にしませんか? たしかに工藤くんの記憶を取り戻すのは大切ですけど……」


 桂さんの提案に、なぎさが「だいじょーぶ!」と胸をはった。「9時半に出発すればギリギリセーフよ!」


 オレもなぎさに同意しつつ、

「一応、傘はもっていくべきだな。桂さん、オレのぶんの傘も貸してもらえる?」

「はい」

 桂さんがうなずくと、なぎさがこっちを向いた。

「そういえば、あんたたち……なんで名字で呼び合ってるの? 」

「「え?」」

「あたしたち友達なんだから名前で呼び合わない?」


 オレは桂さんと顔を見合わせた。

 目で意思疎通したあと、まずはオレから、

「葉月さん」

「こ、浩一くん……」


 オレは恥ずかしいのグッとこらえ、

「葉月さん。このご飯おいしいね?」

「あ、ありがとうございます。浩一くん……」


 とそのとき、なぜか葉月さんがオレに向かって右手をさしだした。

 意味がわからず、その手をにぎると、葉月さんは困ったように頬を染めて、

「ご、ご飯のおかわりはいかがですか?」

「あっ……いただきます」


 なぎさがニヤニヤしながら、「浮気はダメだからねー」と歌うように冷やかした。



 ●  ●  ●



 妻恋つまこい山――それは群馬と新潟のあいだに横たわる山だ。標高1400m。高さはそれほどだが、東西に長く伸びていて、「ラクダのこぶ」のようなデコボコした形をしている。


「さあ出発するわよ!」


 なぎさの先導するままに、オレと葉月さんは並んで歩いた。

 同じシャンプーを使っているはずなのに、葉月さんからは石鹸のような香りがする。


「あ、あの……浩一くん?」

 自然と距離が縮まりすぎたらしい。葉月さんがモジモジする。

 なぎさのジト目がこっちを向いて、

「2人でイチャついたら、あたし帰るからね」


 オレは冗談めかして、なぎさに言った。

「きっとオレは灰色の高校生活だったんだよ」

「どうして?」

「なぎさのような女王様タイプでも、けっこう可愛いって思えてるから」

「…………」

「おいっ!? 無言で蹴るなよ!」


 なぎさは「ばーか」と言い放ち、スタスタ先へ行ってしまった。

 オレは葉月さんに尋ねた。

「……本気で怒ってないよな?」

 

 葉月さんはくすくす笑って、

「なぎさは照れているだけです。だって、わたしたちも灰色の高校生活でしたから」

「え。じゃあ……」

「そうなんです。わたしたちの学校には男子がいないんです」

「中学のときは?」

「小・中・高といませんでした。だから、わたしたちがはじめて出会った男子学生は浩一くんなんです」

 そう言って、葉月さんは恥ずかしそうにうつむいた。おそらく自分の思わせぶりな発言にテレているのだろう。とそこへ――


「こらあ、浩一! またセクハラしたの!?」なぎさが猛然とダッシュしてくる。

「誤解だ! オレは葉月さんの中学時代について訊いてただけだ!」

「ホントお? 葉月、もし浩一にセクハラされたらあたしに言うのよ」

「だ、大丈夫」


 ……こんなふうに騒ぎながら、オレたちは山を登り、1時間ほどしてロープウェイに辿りついた。



 ●  ●  ●



 ロープウェイのゴンドラに揺られること20分。もうすぐ山頂というところで、

「おい……雲行きがあやしくないか?」

「そう? 気のせいでしょ」


 いや、気のせいじゃない。ゴンドラの外を眺めると、灰色の入道雲がものすごい勢いで広がっている。やはり大雨になりそうだ。

 しかしなぎさは、

「2人ともいい? ゴンドラを降りたら、温泉まで走るわよ!」

「いや、温泉はオレ1人で行く。2人はこのゴンドラでUターンしてくれ」

「なんで!? せっかくここまで来たのに!」


「落ち着けって。もし横なぐりの雨が来たら、シャツが肌に貼りついて、だいぶセクシーになるぞ。それでもいいのか?」

「うっ……」

 女子2人が、想像して顔を赤らめる。

 直後、銃弾のような雨がふってきた。


 ――ドドドドドドドド!!!!

 窓ガラスを粉砕しそうな音。ゴンドラが風に揺れる。オレたちは身をすくませた。

 ……さすがに割れたりしないよな?

 そう考えたとたん、ゴンドラがガクンと揺れた。天井のライトが消え、あたりが闇に包まれる。


 はじめに我にかえったのは葉月さんだった。

「非常ボタンが反応しません! 電線が切れてしまったんです!」

「うそ……」

 なぎさがよろめく。

 オレが右手でなぎさを抱き支えると、頭上のほうで「バチン!」大きな音がした。直後――ふわり。体が持ち上がる感覚。気がつけば、オレたちはゴンドラごと落下していた。



 ●  ●  ●



「浩一! 起きて! 起きてよう! うううぅ……」


 なぎさの泣き声に、オレの意識はゆっくり浮上した。

「ううん……」

「浩一!?」「浩一くん!?」


 まぶたをあけると、オレは暗闇の中にいた。そばに川があるらしく、ドドドドドと激流の走る音がする。そして2人の温かい息づかいも。


 オレは上体を起こしつつ、

「……まだ目が暗闇に慣れないんだが、オレたちはどうなったんだ?」

「浩一!」

「うわっ!?」

 なぎさが抱きついてきた。

 オレが困惑していると、葉月さんが事情を説明してくれた。


 どうもオレたちのゴンドラは山の斜面をすべり落ちたらしい。山頂付近から山腹まで、ゴンドラは奇跡的に障害物にぶつからなかったのだ。しかしオレたちがゴンドラを脱出すると、いきなり鉄砲水が襲ってきて……激流に呑まれてしまった。


「あのとき浩一くんは、おぼれかけたわたしたちを激流から助けてくれたんです」

「……マジ?」

「マジよ!」なぎさが鼻をすする。「……このお礼は絶対するからね。でも、とりあえず今はこれだけ。……あ、ありがとう」

「本当にありがとうございます」

「お、おう」


 むずがゆくて頬をかいていると、ようやく目が暗闇に慣れてきた。

 荒れ狂う川が眼下に見える。

 どうやらオレたちは洞窟の入り口のあたりにいるらしい。てことは、オレは2人をここまで引っぱり上げて、それで力尽きたのか。


「しっかし……この雨じゃ下山できないな。それに明かりもないし……」

「明かりなら大丈夫です」

 葉月さんは弾むように言うと、何かを手にした。

「洞窟の中に手動のライトがあったんです。こうしてレバーを回すと……」


 パッと明かりがついた。あんがい光量が大きく、レバーから手を離しても、しばらく明かりはついたままだった。

 葉月さんはライトを天井へ向けたまま地面に置くと、今度はノートを取り出した。


「このノートはライトのそばに置いてあったんです」


 葉月さんから受け取ったノートをひらくと……驚いた。1ページ目にデカデカと『徳川の埋蔵金レポート』と書いてある。


 オレはページをめくりながら、

「たぶん探検家が忘れていったんだ。埋蔵金か……男のロマンだな」

 ノートには数十ページにわたり洞窟内部のようすが描かれていた。


「なるほど。この洞窟は妻恋山のてっぺんまで繋がっているのか」

「じゃあっ!」なぎさの顔がほころんだ。「この洞窟を進めばっ!」

「ああ。わざわざ下山しなくても、山頂に出てヘリコプターに助けてもらえばいい」


 目的がハッキリして、オレたちは視界がひらけた気分だった。

 だが、そのとき。


「――ひゃうん!?」

 なぎさが奇声をあげた。

「ちょっと浩一! あたしのお尻さわったでしょ!?」

「はあっ!? ノート持ってるのに無理だろ!」

「じゃあ一体誰が……」


 言いかけて、なぎさの顔がこわばった。そして、だんだん泣き顔へ変わってゆく。

「ね、ねえ……あたしのお尻にヘンなのがくっついてるんだけど……」

「ヘンなの?」


 なぎさの腰を見ると、ジーンズに黒くてうねうねしたモノが貼りついていた。

 それは……たぶんヒルの一種だ。めちゃくちゃデカい。テレビのリモコンくらいある。


「きゃあああああっ!?」なぎさが絶叫した。

「落ち着け! ヒルといっても肌にくっついてるわけじゃない! パンツの上だ!」

「だったら取って! 取ってよう!」

「分かった! 分かったから……あれ? すべってつかめないぞ……」


 オレが手こずっていると、葉月さんが言った。

「浩一くん。ノートにヒルについて書いてあります」

「でかした! 葉月さん読んでくれ!」

「は、はい! ええと……このヒルは泥を食べるヒルで、人体に害はないそうです。でも、どうしてもヒルを退治したいときは……」


 葉月さんが口ごもる。なぎさがかした。

「ちょっと葉月!? どうすれば退治できるの!?」

「ひ、ヒルを退治するには……」

 葉月さんは深呼吸して、

「ヒルを退治するは……ええええっちなことを考えれればいい、と書いてあります」

「「…………」」


 空白の時間が進行した。

 オレもなぎさもポカンと口をあけ、

「……冗談だろ?」オレは訊いた。

「ううぅ……本当です……」

  葉月さんはうつむくと、ノートの続きを読みあげた。

「このヒルは人間のせせせ性的興奮……すなわちステロイドホルモンの大量分泌をきらって逃げてゆく――そうです」


 気まずい沈黙が流れる。それを破ったのは渚だ。

「浩一、お願いがあるの」

「無理だ! この状況でエロい気分になれるやつはいない!」

「あんた男子でしょ!? 男子っていつもエロいこと考えてるんじゃないの!?」

「考えてねえ!」


 オレがなぎさと言い会っていると、葉月さんまで参戦してきた。

「浩一くん、なぎさのためにもお願いします!」

「はあっ!? エロいこと考えろって!?」

「難しいのは分かっています。でもそれなら……」


 葉月さんは恥ずかしそうに目をうるませ、でも決心した顔で、

「――えいっ!」

 

 ――ぽにょん。

 葉月さんがオレの手をつかみ、それを自分の胸へ。

 ……一体どんなブラジャーをしているのか。それとも、していないからか。

 とにかく、それはすばらしい柔らかさだった。


「ちょっと葉月!? そこまですること……って浩一! なに鼻血だしてるのよ! ――このヘンタイ!」

「ぐはあっ!?」


 なぎさのハイキックが、オレの顔面に直撃。

 せっかくの天使の感触は、あっという間に消えてしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る