第11話 渦まく温泉

「すごい湯けむり……」

 葉月さんが目を丸くした。

 オレたちの前にはプールのような温泉が広がっている。しかも水深はだいぶ深く、ロープを垂らすと2mもあった。


 なぎさがうんざりした顔で、

「こんなの泳げっこないわよ! すぐのぼせちゃうわ!」

「たしかに。向こう岸も見えないしなあ」


 オレたちが話しているあいだに、亜子さんは温泉のお湯をくんで、それを検査機にセットした。すると、たちまちブザーが鳴った。

「有毒だね」

「「「有毒!?」」」

「うん。ベルチニンがたっぷり検出されたよ」


 オレは亜子さんに尋ねた。

「ベルチニンって何ですか?」

「動物を飢餓きが状態にする成分だよ。簡単に言うと、いくら食べても空腹のままなんだ。しかも時間が経つにつれて、空腹で動けなくなる」


「ひえっ!?」

 なぎさが慌てて温泉から遠ざかる。――とそのとき、天井から笑い声が響いた。

『ほっほっほ』

 徳川いばらだ。

『1つ言い忘れておった。この温泉迷宮の出口は洞窟の最奥じゃ。もはやお主たちは後戻りできぬぞ』


 ――ぷつり。

 唐突に音声は途切れてしまった。

 

「嘘でしょ……」なぎさが崩れるように腰を落とす。その目は涙ぐんでいた。

 オレはなぎさの肩を抱いて、

「大丈夫だ。オレに考えがある」

「……考えって?」


 オレは3人を見回して胸を叩いた。

「――みんなでボートをつくろう!」



 ●  ●  ●



 そういうわけで、オレたちは洞窟に生えている竹でいかだをつくり、それをさらに加工して……およそ30分でボートは完成した。


「よし! 出発だ!」


 さっそくオレたちはボートをぎはじめたが――そんな光景を、徳川いばらは見通していたのかもしれない。

 遠目に対岸が見えたその時、葉月さんが「あっ!?」と叫んで、指をさした。


「見てください! 渦巻きです!」

「「「渦巻き!?」」」


 それは大きな渦巻きだった。――ノルウェー語で『メイルシュトローム』と呼んだほうが、しっくりくるほどの。


 亜子さんが青ざめた顔で、

「ダメだ! いくら漕いでも渦から離れられない!」

 なぎさが慌てふためいた。

「どっどうすればいいの!? あたし泳げるようになったばかりよ!?」


「大丈夫だ」オレは冷静に言った。「ボートのへりを分解すれば竹馬になる。それに乗って渦を迂回しよう」

「「「竹馬!?」」」

「ああ。こんな時のために竹馬もつくっておいたんだ」


 3人がオレに抱きつき、

「浩一くん、すごい!」

「あんた天才よ!」

「あとでご褒美だね」

「……まだ助かると決まったわけじゃないぜ」


 そう言いながらも、オレはこの竹馬作戦がうまくいくと考えていた。しかし――運命というやつは、どこまでも試練を与えてくれるらしい。

 いざボートから脱出するとき、なぎさが呆然とした顔でつぶやいた。


「ごめん……竹馬落としちゃった……」

「何い!?」

「ご、ごめんなさ……」

「泣くな! なぎさ、お前はオレの竹馬を使え!」

「でっでもっ! それじゃあ浩一はどうするの!?」

「オレは泳いで向こうへ渡る!」

「無茶よ!」


 なぎさが引き留めるが、時間は1秒も無駄にできない。

 オレは覚悟を決めて温泉へ飛び込んだ。



 ●  ●  ●



「ぜえ……ぜえ……わはは……泳ぎ切ったぞ……」

「浩一!! 大丈夫!?」

「ま、待て! いま抱きつかれたら……胃が揺れて苦しい……」 


 胃がお湯でちゃぽちゃぽ。

 き、気持ちわるい……


 オレがぐったりしてると、葉月さんが背中をさすって、

「吐いてしまったほうがいいです」

 

 ためらってるオレに、亜子さんが言った。

「葉月ちゃんの言うとおりだ。この温泉にはベルチニンが入ってる。少しでも吐き出さないと大変なことになるよ」

「た、大変なことって……?」


「餓死だよ。いくら食べても、脳みそは飢餓状態だと認識してしまうんだ。――結果、死んでしまう」

「何だってえっ!?」

 オレがおののいたとき、タイミングよく徳川いばらの声が響いた。


『ほっほっほ。苦しんでおるかのう?』

「こ、このジジイ……殴りたいのに殴れねえ……」

『この温泉にはたっぷり毒が入っておる。いわば餓鬼地獄のような毒がの』


 徳川茨はそう言って笑うと、

『むろん、わしも鬼ではない。毒を中和する果実を、ちゃんとこの洞窟に用意しておる。むろん、四季に合わせてるように、いくつも種類を用意してな』


「果実……?」

 オレたちは耳をそばだてた。


『うむ。果実はそのままではアクが強すぎて食えぬが、火を通せば食えるようになる。ほほっ……おいしく食うがよいぞ』


 ――ぷつり。声は途切れてしまった。


 なぎさが立ち上がり、

「あたし果実をとってくる!」

「わたしも行きます!」

 葉月さんまで立ち上がった。

 2人の視線の先には、得体の知れない下草や灌木かんぼくがウジャウジャしている。


 なぎさがオレの手をにぎり、

「待っててね浩一! あんたの命を救ってみせるから!」

 言うが早いか駆け出してしまう。そのあとを葉月さんが追いかけた。

「なぎさ待ってください! わたしも行きます!」


 亜子さんがポカンとした顔で、

「あの2人……どんな果実か分かっているのかな?」

「さ、さあ……?」

 

 ――しばらくして、2人は恥ずかしそうに戻ってきた。

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