第14話 なんせ私はコピーですから

 陽の光も届かない深い地下駐車場。壁際の一際薄暗いスペースに園はメタリックピンクの愛車を停めた。隣の車を気にしなくていいから、多少出入り口から遠くなろうとも壁際スペースに停める事にしている。エンジンはかけたままエアコンで車内の空気を循環させて、ハンドルにもたれかかるようにして車の外をきょろきょろと窺う。探し求めるオレンジ色の姿はなかった。


 タバコがスイッチになってるんだっけ?


 心の中でふざけて呟いて、園はシガレットケースから一本、細い紙巻タバコを取り出した。人差し指と中指でくるくると回して、お菓子をついばむような感じでタバコをくわえた。鋭い金属音を奏でてジッポライターを開き、返す親指でフリントホイールを勢いよく弾く。一発でオレンジ色の炎が舞い踊った。


 窓から駐車場の様子を確認しながら、くわえタバコにジッポライターのオレンジ色の炎を近付ける。すると、タバコの先端に火が乗り移るかどうかと言うタイミングで、地下駐車場遠くのエレベーターが開いて鮮やかなオレンジ色の作業服が現れた。


 ほらね。ひょいとくわえタバコをジッポライターの火から遠ざけてやる。貴重な一日五本限りのタバコだ。中途半端に火をつけて、そしてすぐに揉み消してしまうなんてもったいない。先端がくすぶったタバコをシガレットケースに戻して、園は車から降りてオレンジ色の作業服、清掃用具を満載にしたカーゴを転がす掃除のおばちゃんの元にヒールの音を響かせて歩いて行った。


「おばちゃん」


「あら、園ちゃん。今日はタバコの匂いさせてないのね」


「私だって吸わない時もありますよ」


「そうなの? せっかく園ちゃんのために用意しておいたのに」


 掃除のおばちゃんはカーゴの中をごそごそとやり出して、小さなスプレーボトルを取り出した。テレビやネットのコマーシャルでよく見かける消臭スプレーだ。人懐っこい笑顔でカラフルなボトルを園に差し出す。


「はい、良かったらこれ使いなさい」


「これって、もしかして私専用ですか?」


「そうだよ。園ちゃん用スプレー。他のおじさん達はそもそもタバコ以外の臭いの消臭剤が必要でしょ」


 掃除のおばちゃんはけらけらと声を上げて笑った。園も遠慮がちに付き合い程度に笑って、消臭スプレーを受け取る。


「ありがとうございます。でも、せっかくだけど、これ、しばらく必要ないかもしれない」


「あら、どうして?」


「私、右手を怪我しちゃって、ちょうど一つの仕事が片付いた事だし、有給もらって怪我の治療のため少しお休みしようと思ってます」


「あらあら、怪我しちゃったの? 仕事で? 細い身体してんだから気を付けなくちゃ」


 園は消臭スプレーを掃除のおばちゃんに返して言う。


「しばらくここには来れないから、それまで、預かっててください」


「はいはい。じゃあ、また園ちゃんが来るまで、取っておくから」


 掃除のおばちゃんはカーゴの清掃用具群の中に消臭スプレーを戻そうと、くるっと振り返って園にオレンジ色の作業服の背中を見せた。その太めで丸っこい背中に園は小さな声で言った。


「はい。また私が来るまで、お願いします」


 そしてぱちっと瞼を開ける。壁際に停めたメタリックピンクの愛車の中で、園はくわえタバコに火をつけようとジッポライターを探した。


 どこに置いたっけ。と、ダッシュボード下のスペースに手を潜り込ませる。そこには片手で持てるほどの大きさの黒い立方体があり、ジッポライターはそのブラックボックスの側に落ちていた。


「そこにいたか」


 運転席から身を乗り出してジッポライターを拾い上げ、早速親指を弾いて硬い金属音を奏でて火を灯す。小さな青白い炎がぱっと踊った。くわえタバコをそっと炎に寄せて、タバコの先端に火が乗り移るまで揺れる炎を見つめて、ふうっと一服。それから延髄部の生体端末に繋がった接続ケーブルを引っこ抜いた。


「またね、おばちゃん」




 オイルランタンの明かりがニス塗りの読書机をオレンジ色に染める。二階の読書スペースは天井がそこまで高くない。背の低い書架が机を取り囲むように配置され、光源がオイルランタンのみのため薄暗さが黒い霧のように周囲に立ち込める。それがいい。それが園の好きな雰囲気だ。


「ねえ、痛む?」


 この旧い図書館は静かだ。音源となる物を何も設定していないので当然と言えば当然だが、木材の質感と暗めの色合いと適度な狭さが静寂さを演出していた。向かいに座る仮想世界の園の囁き声でさえうるさく感じられるほどだ。


「別に。あんたが気にするような事じゃない」


 現実世界の園はパーカーのフードをかぶり、もう一人の園から視線をそらすように電子雑誌に目を落とした。仮想世界の園は軽く肩をすくめてカーディガンを羽織り直し、現実世界の園と同じように雑誌をはらりとめくった。


「まったく、壁を殴りつけて手首を折っちゃうだなんて、ちょっと貧弱過ぎやしない?」


「うるさい」


「あんたは私で私はあんたなんだし、余計な事は聞くなって気持ちはよく理解できるよ」


 黒ワンピースの園が上目遣いにパーカーの園を見つめて言った。パーカーの園はちらっとそれを見返すだけで何も答えず、内容なんて全然頭に入ってこない電子雑誌をさらにめくり続けた。


「ねえ、あんた、気付いてるんでしょ。あんたのコピーである私とこんな風に考えが食い違ってるなんて、それってあんたが変わってきてるってささやかな兆候だよ」


「変わってきてる? 私がか?」


 そういえばこの旧い図書館もだいぶ変化してきた。パーカーの園は周りの本棚を見回した。吹き抜け構造になって二階にも読書できるスペースと新たな書架が並び、窓の外には森の風景とどこかに続く小径。


「そうよ。あんたは変化してる。コピーである私が言うんだから間違いない。友達ごっこのせい? 電脳空間に入り浸ってるせい? 他人との接点が増えたせい?」


「人は常に変化するものでしょ。そんなもんよ」


「変化も見越して成長するのがデジタルクローンよ。でも、あんたの変化の速度に対応しきれないかも」


「じゃあデジタルクローニング失敗ね。この程度の変化の速度をカバーできないなんて、とんだ失敗作ね」


「さあ、どうだか。外で、現実世界で何があったの? 私にまだ話してない事あるでしょ」


 現実世界の園は電子雑誌をぱたんと閉じて、仮想世界の園に真っ直ぐ向き直った。そして右腕を振り上げて仮想世界の園の顔を掴み取るような仕草をする。


 握りしめた右手を開くと、その手のひらにはアルミ製シガレットケースと使い込まれた色合いのジッポライター。シガレットケースの中にはきっちり五本の紙巻タバコ。パーカーの園は一本摘まみ取り、唇にくわえた。すると黒ワンピースの園もいつの間にかその唇にタバコをくわえていた。


「真似するな」


「なんせ私はコピーですから」


「コピーのくせに口答え?」


「さあね。あんたがタバコを吸う時は電脳にスイッチを入れたい時か、自分を包囲する環境を変えたい時よね。一日に五回だけ使える緊急避難的な。ねえ、火をつけて」


 黒ワンピースの園が身体を前のめりにして唇を突き出す。


「あんたもタバコを吸いたくなったの?」


「緊急避難的にね」


 パーカーの園は言われるままにジッポライターに火を灯して、そのオレンジ色の小さな炎を見つめながら囁いた。


「ねえ、外に出たい?」




 園はインターシヴィルワールドのビアカフェにいた。古い時代の東ヨーロッパを思い起こさせる質素な木造りのカウンターがあり、その奥には読めない文字で飾られた様々なボトルが並んでいる。そんな木の香りがしそうなカウンターに園は一人、何をするとなく座っていた。


 何気なく右手で木製のカウンターを撫でる。一本の樹から切り出したような大きな木材をそのまま加工した、流れるような木目が美しいカウンターだ。さらさらと滑るような手触りもまたいい。


 ふと、園は自分のゴブレットグラスが空になっているのに気が付いた。紙製のコースターにかすかな濡れ跡を描いて、白い泡の痕跡が残ったゴブレットにそうっと触れてみる。わずかに冷たさを感じた。そしてその隣には、飲みかけの琥珀色の液体が溜まったグラスが、一つ。


「誰?」


 ビアカフェ店内を見回しても、人間は園一人だけ。あとはカウンターの向こうに象をモチーフにしたアバターのバーテンダーがいるだけだ。園と視線が合った象のバーテンダーは柔らかい女性の声で言う。


「もう一杯、お作りしましょうか?」


 園は自分の隣の席の半分だけ液体が満たされたグラスを見つめて、空になった自分のゴブレットをバーテンダーに差し出した。


「うん。何か、お任せでお願いする」


「かしこまりました。では、今どんな気分ですか?」


「気分?」


「ええ。気分」


「ふわふわした気分ね。なんか落ち着かない」


 象の女性バーテンダーは大きな耳が揺れる程度に頷いてカウンターの奥に引っ込み、オレンジ色に満たされたボトルを棚から選び出した。その後ろ姿をぼんやりと眺めていた園は、店の奥側、明かりが届かない影から誰かが静かに歩み寄ってくるのに気が付いた。そしてほとんど本能的に、この場に居てはいけない、とカウンターから立ち上がり、ビアカフェの出口に駆け出した。


 白く塗り潰され、何もかもが消えてしまう。


 園がカウンターの側を駆け抜けた時、ふと、ボトルの列の横に古めかしいトランジスタラジオが置いてあるのが見えた。ラジオは園がこちらに気付いたのを確認したかのように不意にチューニングを合わせ、電気的なノイズを撒き散らした。


「……ら、さ、はら。砂原。何をぼんやりと酒を頼んでいるんだ。ドリフターのエミュレートを始めるぞ」


 ラジオは山鹿の声で喋り始めた。

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