第17話 ほらほら、目を離さない。ここからが大事だよ
さて、この天高くそびえ立つホットケーキタワーをどうにかして処理出来ないものか。
映画を観ながら、園はその事だけを考えていた。それだけ『非線形のエレクトリカ』は退屈な映画だった。
良く言えばとても文学的、そして哲学的で、人とは何か。ロボットとは何か。観る側の考えを飛び越えて来る映画である。しかし悪く言えば意識の高さを押し付けるような、観る者のロボットに対する先入観の全否定に終始した考える事を放棄してしまいそうな映画だ。
どの道、個性的な教授の一方的な講義を受けているような、角度の違った興味と深みにはまった退屈さとが同居した映画だと園は感じた。
主演のロボット、エレクトリカを演じたフランス人女優は可愛らしかった。同性の園ですら一緒にお茶したくなるほどの愛嬌のある大きな目が印象的だった。
映像も美しいと思えた。園が今までに観てきた映画の中でも特に印象に残る色遣いだ。モノトーンなエレクトリカの周囲が物語が進むにつれて色彩に溢れていく。
ロボットのエレクトリカが様々な人間達と出会い、何気なく交わされる会話の中にストーリーのキーとなるアイテムを見つける。そのアイテムは必ず目にも眩しい鮮やかなオレンジ色をしていた。エレクトリカはそのアイテムを愛用する事で人間に近付こうとするが、うまく使いこなせずに逆にロボットらしさをさらに際立たせてしまう結果となる。
それを繰り返していくうちに、エレクトリカはロボットでもなく人間でもないモノに変容していく。人生を豊かなものにするはずのカラフルなアイテム達に囲まれて、ぎこちなく人間らしく振る舞いながら新しい日々を過ごしていく。
なるほど、確かにメッセージ性が高いと言うか、この映像作品はアートですと言わんばかりのまるで絵画のような画面構成だ。園はホットケーキにかぶりつきながら、主演女優のロボット的な仕草に見入った。エレクトリカを演じる女優の一挙手一投足に込められた演出もあざとさを感じるギリギリのラインを攻めている。
キーアイテムがオレンジ色をしてると言うのも解りやすい。しかしその解りやすさがかえって意外性を排除してしまい、次のストーリー展開がすぐに読めてしまう。そしてその予想通りロボットらしい失敗をしてエレクトリカは人間を学習する。そのままこれと言って特に事件も発生せずにストーリーは淡々と進むので、半分も観た頃には園はすっかり飽きてしまった。
「結局、非線形ってなんなのさ」
一人の部屋で思わずぼそっと呟いてしまう。電脳でワード検索でもかけようかとすると、不意に画面の中のエレクトリカとぱちっと目が合った、ような気がした。
強い目力に当てられてびくっと身体が震えてしまう園。何て事はない映像演出だが、カメラ目線の女優に「ほらほら、目を離さない。ここからが大事だよ」と注意を受けたような居心地の悪さに、背筋を伸ばしてソファに座り直してしまう。
「ちょうど飽きてくる時間に、ズルイ演出ね」
じろりとカメラへ目線を送ったエレクトリカは白いテーブルクロスにオレンジ色のプレートを並べ始めた。音程の外れた鼻歌を奏でながら、卵、砂糖、小麦粉、牛乳を皿の隣に並べる。
園自身もついさっき用意した食材だ。どうやらエレクトリカはホットケーキを焼くらしい。
「意外と難しいよ」
園はテーブルに積み重なったホットケーキタワーを眺めながらテレビに向かって、エレクトリカに言った。これらをどうすれば処理出来る何かヒントでも得られれば、とタワーにフォークを突き立ててまるごと一枚引っぺがしてかぶりつく。
エレクトリカのホットケーキ作りはとてもロボットとは思えない精細さを欠いた不器用な動きで始まり、しかし人間とも思えない精密で直線的な指裁きで仕上げていく。
エレクトリカはホットケーキを何枚も何枚もそれこそ機械的に焼き上げ、プレーン以外にもアレンジを加えて仕上げていた。ココアパウダーを混ぜたり、インスタントコーヒーの粉を振るったり、ヨーグルトを生地に練り込んだり。
「あれ?」
このホットケーキアレンジを園は知っていた。ユカリの思い出だ。優一がユカリのために焼いたホットケーキのアレンジとまったく同じだ。
そうか。色々とアレンジホットケーキを焼けば良かった。園は食べかけの一枚をホットケーキタワーに戻し、メイプルシロップ以外にもソースのアレンジはないものかと電脳検索をしようとしたが、思考のサーキットに何かが引っかかって電脳が思い通りに回転してくれなかった。まるで意識の歯車が一部欠けてしまったかのようにがっちりと食い込んでロックされる。
ユカリの思い出。いや、正確には何者かが園に植え付けようとしたユカリの思い出と言う名の偽物の記憶だ。
優一はユカリのためにホットケーキを焼いた。映画のエレクトリカと同じアレンジで焼いた。ユカリはそれをどう思ったのか。園はビデオを一時停止して電脳に保存しておいた喚起式カウンセリング時のユカリの言葉を引き出した。
ワード検索する。検索結果、該当なし。仮想対話中に『非線形のエレクトリカ』に関する単語は一言も発せられなかった。
優一はネット掲示板ではエレクトリカの始祖と呼ばれていた。電脳空間の海に溶けてしまうまでは、エレクトリカになりたがるほどこの映画にのめり込んでいたはずだ。しかし喚起式カウンセリングでは一切それに触れられていない。
ユカリがそれを望んだから? ならば何故優一の人格を上書き消去したユカリは、喚起式カウンセリングでこのホットケーキのアレンジを語ったのか。優一の心の深層に澱むエレクトリカに関する記憶を呼び起こしかねない。そこは避けて通らなければならない道のはずだ。
ユカリは知らなかったのか。エレクトリカが何をしたかったのか、ユカリは知らなかった。人間になりたかったエレクトリカ。エレクトリカになりたかった優一。優一を人間に戻したかったユカリ。エレクトリカは人間になれなかった。優一はエレクトリカになれたのだろうか。ユカリは優一を人間へと戻せたのだろうか。
ドリフターから帰還して、ユカリに人格を上書き消去され、優一が人間ともロボットとも呼べないエレクトリカになれたのだとしたら、それは理想の夫を手に入れたユカリにとっても、理想の姿になれた優一自身にとっても喜ぶべきカタチなのだろう。
そして、その偽物の思い出を園に書き込もうとして、園自身が理想の夫婦像の目撃者となって、何が変わったのだろうか。
テレビ画面の中、エレクトリカはにこやかな人間らしい柔らかい笑顔で、ロボットらしく丈夫な表皮素材の素手でホットケーキをひっくり返しながら静止していた。
ユカリと優一の思い出にもっと触れなければならない。たとえ他人の思い出に土足で踏み込む行為になろうとも、園は動かずにはいられなかった。園に偽物の記憶を植え付けてまで隠蔽したかった事実とは何なのか。
電脳を繋ぎっぱなしにしてコレクティブコンソールにオンライン接続し、ギプスで固めた右手を庇うようにアクセルを踏み込むだけで車を走らせた。
平日の昼間なだけあって人影もまばらな臨海ショッピングモールに着くと、目的の場所へ脇目も振らずに最短距離で向かう。ユカリとコーヒーを飲んだあのカフェ、喚起式カウンセリングでも思い出として語られたモンブランが評判の店だ。
この海の見えるショッピングモールには園もよくタバコを吸いに来るのだが、そういえば今までこのカフェに入った事はなかった。園は店舗入り口に貼られたメニューを見ながら思った。前はユカリと一緒だったから躊躇なく入れたが、こんな小洒落たカフェに自分みたいな飾りっ気のない女が一人で入ってもいいのだろうか。
入ろうか、それとも、やっぱりやめようか。カフェの入り口でメニューを睨みながら逡巡していると、不意に背後から声をかけられた。
「はい?」
意表を突かれて浮き上がった声を出してしまった園。慌てて振り返ると、そこには見憶えのない若い女性が立っていた。
園と同じように痩せ型の身体付きだが、肩幅があり、洋服の上からでも筋肉質な体格が見て取れた。即座に特徴のある小鼻の形と幅広の肩幅とに目印のクリップを取り付け、記憶領域の人物ファイルにマッチングをかける。瞬きする間もなく検索結果が視界に表示された。該当人物、なし。まったくの初対面だ。
「あの、何か?」
「突然ですみません。天野ユカリさんのお知り合いの方ですか?」
予想外の質問に戸惑いが顔に出てしまった。何故初対面の人間に天野ユカリとの関係を質問される? 何て返答したらいい? 知り合いなんてレベルではない。むしろもう関わりたくないくらいだ。しかしこの人物は天野ユカリに関して何らかの情報を持っているかもしれない。どうする? そんな園の困り顔を見て、その女性は矢継ぎ早に言葉を継ぎ足した。
「あの、実は先日、こちらのカフェであなたと天野さんがお話してるのを見かけまして、お友達の方なのかなって思って声をかけたのですが」
「ああ、そうですか。天野ユカリさんとは、少し仕事上のお付き合いがある程度ですが」
嘘ではないし、本当でもない。園は相手を牽制するようにわざと間を置いて聞き返した。
「あの、あなたは?」
まだこちらの素性を明かしてやるほど天野ユカリの情報をもらっていない。まずはこの人物が誰なのか。そして天野ユカリに関する情報をもっているかどうか。自己紹介はそれからだ。
「あ、失礼しました。私はこのモールのカルチャースクールでヨガ教室をやらせてもらってる岩田と言いますが、ここのところずっと、天野さんがレッスンに出ていなくて、どうしてるのかなって思ったもので」
ここ最近のユカリは仮想対話による喚起式カウンセリングで優一に付きっ切りだった。カルチャースクールのヨガ教室どころではなかったはずだ。しかしその情報をこちらから提供するのはまだだ。まだ弱い。
「私はそこまでユカリさんの事は知りませんので、ちょっとわからないですね」
「そうですか。私達のスクールは少人数制で、担当インストラクターとグループを組んでレッスンを行うんです。私は天野さんを担当していたんですが、天野さんは毎回休まずにレッスンを受けていたのに急に来なくなったので」
「はあ、そうなんですか」
よく喋る人だな、と園は岩田の喋るままにさせた。薄ぼんやりとした相槌で園は岩田の質問をはぐらかした。その程度の知り合いならこちらからわざわざ自分の事、そして優一の事を教えてやる必要もない。
「もちろんレッスンに参加するしないは天野さんの自由ですが、ご主人が事故に合われたと聞いたもので、天野さんご自身もだいぶ憔悴している様子でしたし、ちょっと心配していました」
「事故、ですか。私は何も聞いていないので、わかりません」
「そうですか。あなたと一緒にいるのを見かけた時、まるで別人みたいに明るく笑っていたので、ご主人ももう退院したのかな、と思いました。もうだいぶ経ちますもんね」
ちくりと、細く鋭い何かが園の電脳に突き刺さった。その何かはニューラルネットワークにスパークを走らせ、園の記憶領域をざわざわと掻き乱す。
「ヨガのレッスンって、ここ一ヶ月くらいの話ですよね?」
「いいえ。もう半年以上も前になりますよ。ダイエットするんだって、ご主人に内緒でレッスンに来てくれてたんですが、半年前のご主人の事故以来はずっと休んでいましたね」
半年前。仮想対話による喚起式カウンセリングが始まったのは十五週間前だ。優一は半年前に事故に合ったのか。そんな事実はない。電脳で記憶を遡る必要もない。喚起式カウンセリング前に優一に関して調べた園がよく知っている事だ。
この時間のズレは何だ。園は電脳がちりちりと熱くなるのを感じた。
「あの、私はこれから仕事でしたので、これで失礼します」
岩田がまた何か長々と喋り出す前に、園は会話を切り上げてその場を去った。
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