最終話 うん。またね。

 旧い図書館にシャンデリアは似合わない。


 黒いワンピース姿の園は天井を指差してマイルームの内装を書き換えた。小ぶりなシャンデリアは空間に吸い込まれるように音もなく消え去り、組み木の天井が頭上に広がった。しかし図書館の一部が吹き抜け構造になっているだけに、天井のデザインがどうにもバランスが崩れて見えてしまう。


 肩にかけていたグリーンのカーディガンに袖を通して立ち上がり、読書机のオイルランタンを手に取った。オレンジ色の小さな炎が揺らめいて、背後の書架に描き出された園のシルエットも大きく揺れた。光源の位置が変わって、天井吹き抜け部が暗い影に覆い隠される。


 やっぱり少し暗過ぎるかな。壁掛けのトーチでも作ろうか。ガス燈みたいな儚い明かりも捨てがたい。灯りが増した読書室を想像しながらオイルランタンを壁際に掲げていると、図書館に設けられた唯一の現実世界との出入り口がかすれた音を立てて開き、ライムグリーン色したパーカーを羽織った園が現れた。


「おかえりー」


 オイルランタンを軽く揺すって迎える黒ワンピースの園。パーカーのフードを脱いで黒髪を撫で付けながらもう一人の園がにこやかに答える。


「ただいまー」


 パーカーの園は真っ直ぐいつも座っている読書机まで歩いて行き、黒ワンピースの園に背中を向けるようにしてばったりと机に突っ伏した。


「やっぱりここが落ち着くわー」


「あんたにもそう言う感情あるの?」


 オイルランタンを手にしたままカーディガンに袖を通した園がパーカーのフードを脱いだ園の隣に座る。オイルランタンが読書机の所定の位置に戻ると、二人の園の影が書架に寄りかかるように長く伸びた。


「そりゃあ感情の一つや二つ、私にだってあるでしょ。たぶん」


「たぶん、ね。お疲れ様」


「うん、疲れたー」


「あんたも疲れるんだ。なんか意外」


「そりゃあ私だって疲れるでしょ。たぶん」


「たぶん、ね。ご苦労様」


 ぽんぽん、と突っ伏したパーカーの園の頭に手を置く黒ワンピースの園。


 それに応えて、クロールの息継ぎのようにくるっと顔を横向きに上げて、片目をつぶって見せるパーカーの園。両腕を読書机に放り出したままの姿勢で黒ワンピースの園ににやりと笑いかけて言う。


「うまくいったよ。ドリフター状態での情報欠落も、喚起式カウンセリングでの記憶侵食もないよ。たぶん」


「そう、よくやった」


 黒ワンピースの園がパーカーの園の頭をぐりぐりと強めに撫でてやった。指に絡むほど豊かな黒髪は弾むような張りがあり、オイルランタンの揺れる光を反射させてオレンジ色の艶を見せてくれた。自分で自分の頭を撫でてやるなんて、少し自分を甘やかし過ぎかな。黒ワンピースの園は空いているもう片方の手で自分の黒髪を撫で付けた。


「悪かったね。損な役回り振っちゃって」


 黒ワンピースの園がパーカーの園の頭に手を置いたまま柔らかく声をかけた。


「優しくする必要はないよ。あんたは私で、私はあんた。誰が損で誰が得とかないんだし」


「万が一って事もあったからさ。あんたなら、人格を書き換えられてもまた記憶を上書きして初期化しちゃえばいいでしょ。とにかくお疲れ様。ドリフターエミュレータ破った時、あいつ、どんな顔してた?」


「目を真ん丸にして黒目ぽつんってさせて、自信過剰な奴が足元すくわれた時の顔ってほんと面白いわ」


「見たかったな」


「見る? 記憶統合しようか」


「うん。もう戻る?」


「うん。戻ろ」


 パーカーの園が身体を起こした。ゆったりと立ち上がり、羽織っていたライムグリーン色したパーカーを脱ぐ。するとダメージデニムのミニスカートと黒ストッキングもするすると消えてなくなり、マイルームでのデフォルトイメージであるインナー姿になり変わった。


 黒ワンピースの園も立ち上がり、グリーンのカーディガンを脱ぎ捨てて膝下から捲り上げてワンピースも脱ぎ、白い腹を露出させたインナーだけを身に付けた姿になる。


 二人の園はお互い身に付けていたワンピースとパーカーとを交換した。


「じゃあまた外に出たくなったら言って。好きにお散歩していいよ」


 ライムグリーンのパーカーを羽織った現実世界の園が言った。


「私はここに篭ってるよ。図書館を改築するいいアイディアがあるの」


 黒ワンピースを頭からかぶった仮想世界の園が笑って言った。


「ひとりぼっちに戻っちゃうけど、いいの?」


「そっちもひとりぼっちでしょ。現実世界も仮想世界もそんなに変わんないよ。それに、ドリフター状態の孤独とここのひとりぼっちとはまるで違うし、一人きりだけど、一人じゃない気もするし」


「そう。またね」


「うん。またね」


 現実世界の園は現実世界に戻る図書館の出入り口を潜り、仮想世界の園は仮想世界の図書館に残って、その後ろ姿に手を振った。




 臨海ショッピングモールのウッドデッキはやはり強い海風が巻いて、どこへ連れ去ろうと言うのか、園の黒髪を攫う。


 灰皿が設置されているベンチに腰を下ろし、いつものようにパーカーのフードをかぶり、その中へ長い髪をしまい込む。これで冷たい風を遮り、髪の毛がマフラー代わりにもなって十分に温かさが感じられる体制だ。園はようやく自在に動くようになった右手でジッポライターを鳴らして、荒れた海風の隙をついてタバコに火をつけた。


 仮想世界の園に偽装していたとは言え、仮想対話による喚起式カウンセリングを体感したせいで、過去の男を嫌に生々しく思い出してしまった。ふと気が緩めば、すぐ隣に彼の体温を感じてしまう程に。タバコが嫌いだった彼のために、煙を吐く時に彼に当たらないようその姿を探してしまう程に。


「これも喚起式の影響かな」


 まるで目に見えない幽霊を感知しているみたいで、意識と無意識が離反した興味深い現象だ。今度レポートにまとめて倫理委員会の定例会議に提出してみよう。園はふうっと誰もいない空に向かって煙を吐き捨てた。


 園が体現したドリフター時の仮想対話による喚起式カウンセリング実施のサンプルデータは倫理委員会の定例会議にかけられる事となった。しかしながら、果たして形骸化した会議に参加するだけの電脳非実装の老人達にどこまでそれが理解できる事やら。


「知った事じゃないか」


 園は無意識に辺りを見回して、ふと、優一とユカリ夫婦の姿を探し求めている自分に気が付いた。


 会ってどうすると言うのだ。話す事など何もない。もう彼らに対する仕事も完了した。別のドリフター現象が発現したら、またそこへ出向くだけだ。それが園の仕事だ。


 優一もユカリも、もはや別人格に書き換えられた事は誰にも証明出来ない。お互いに理想の夫、理想の妻を創り上げて、過去の自分を消去して、ありもしない架空の思い出を共有して、疑似的な幸せを演じ合っている事だろう。狂ったようにお互いの虚像を愛し合えばいい。


「知った事じゃないか」


 園は右手薬指にはまったチタンの指輪を撫でた。表面が焼かれて虹色に鈍く輝く指輪は、園の細い薬指にしっかりとしがみ付き、さらさらとした触り心地で園の心を撫で返してくれているようだった。


 あれ? 私はいつからこのチタンの指輪をはめていたっけ?


 緊急覚醒コードをつぶやいてみようか。ふと、園は思った。


 園の背後、夕陽が海をオレンジ色に染めていた。冷たい海風が心地良く、万が一にも今の気持ちが消えてなくなるのは惜しい。


 園は口を開きかけて、やめた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ニューロ・パンケーキ 鳥辺野九 @toribeno9

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ